福住 (札幌市)
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[編集] 概要
- 地名の由来:福住1条1丁目3-1にある浄土真宗本願寺派の寺院、福住寺(ふくじゅうじ)に因んだものとされる。
- 住宅地が主だが、イトーヨーカドーや西友、といった小売店もある。
- 札幌ドームの近くにあるため、プロ野球の日本ハムの試合やJ2コンサドーレ札幌の試合がある日は賑わう。
[編集] 周辺
[編集] 交通機関
[編集] 歴史
[編集] 福住の開基(六軒村)
明治4年(1871年)、月寒に岩手県人44軒が入植し、このとき土地は現在の国道36号線沿いに、44軒で三町三反ずつに分けたが、6軒分が足りなくなったため、この6軒が現在の福住地区に入植し、福住地区は六軒村(通称)となる。明治11年(1878年)には現在の福住寺の前身にあたる説教所が開設され、 明治17年(1884年)には広島県出身の移住者により、現在の福住厳島神社が創祀される。また、明治23年(1890年)には福住二号線(現在の福住中央通り)が開通する。
[編集] 月寒村字西通り
明治25年(1892年)、現在の福住地区は月寒村字西通りとなる。明治35年(1902年)には豊平村・月寒村・平岸村の3村が合併して、豊平村となり、福住地区はこの豊平村の一部となる。明治41年(1908年)に豊平村は町制施行し、豊平町となる。大正7年(1918年)には福住地区にりんご栽培が始まる。大正10年(1921年)には現在の福住2条6丁目あたりで、松本岩松が牛舎を建て、牛12頭を飼育し、福住地区初の酪農を始める。また、太平洋戦争中の昭和17年(1942年)に、戦闘訓練中の少年飛行兵玉田守(当時19歳)が墜落死する。同年には地元住民が玉田の霊を慰めるために玉田殉職碑を建立する。
[編集] 福住に改名(~現在に至る)
昭和19年(1944年)、福住地区は字名改正により、「西通り」から「福住」となった。1961年には札幌市と豊平町の合併により、札幌市福住となる。昭和47年(1972年)には区制施行により、札幌市豊平区福住となり、平成6年(1994年)に札幌市営地下鉄東豊線が開通し、福住駅が開設された。
[編集] 関連項目
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