稲葉大和
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稲葉 大和(いなば やまと、1943年(昭和18年)11月12日 ‐ )は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。
生年月日 | 1943年(昭和18年)11月12日 |
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出生地 | 東京都神田区(現・東京都千代田区) |
出身校 | 中央大学法学部卒業 |
学位・資格 | 学士 |
前職・院外役職(現在) | 衆議院議員秘書 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
農林水産委員会委員長 |
世襲の有無 | 2世 父・稲葉 修(元衆議院議員・元法務大臣) |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
新潟3区 |
当選回数 | 5回 |
所属党派(現在) | 自由民主党(山崎派) |
党役職(現在) | 新潟県支部連合会会長 |
会館部屋番号 | 衆・第2議員会館504号室 |
ウェブサイト | 衆議院議員・いなば大和 |
[編集] 概要
昭和41年(1966年)、中央大学法学部を卒業し、父・稲葉修衆院議員秘書となる。その後、木部佳昭建設大臣秘書を経て、平成2年(1990年)に旧新潟2区から父の地盤を継いで衆院選に立候補するも落選。
渡辺美智雄衆院議員秘書を務めた後、平成5年(1993年)に再び総選挙に立候補して衆議院議員に初当選。渡辺派に属す。以後、連続5期当選。科学技術政務次官、文部科学副大臣などを歴任。
平成9年(1997年)、佐藤孝行の入閣問題で、佐藤の入閣を強く後押しした中曽根康弘らを批判し、所属する旧渡辺派を脱会した。ちなみに、佐藤逮捕時に法務大臣を務めていたのは父の修だった。平成10年1998年、山崎派結成に参加。平成12年(2000)のいわゆる加藤の乱では、閣僚で身動きの取れなかった保岡興治を除き、山崎派で唯一本会議に出席して森内閣に信任票を投じた。
[編集] 関連項目
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