稲葉修
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
稲葉 修(いなば おさむ、1909年(明治42年)11月19日 ‐ 1992年(平成4年)8月15日)は、日本の政治家、衆議院議員(14期)。法学博士。号は虎秀。
[編集] 概要
明治42年(1909年)11月19日、新潟県村上市に生まれる。昭和11年(1936年)中央大学法学部独法学科を卒業。昭和15年(1940年)中央大学大学院を修了。昭和20年(1945年)中央大学教授に就任。昭和37年(1962年)法学博士号を取得。
昭和24年(1949年)の第24回衆議院議員総選挙に新潟2区(当時)から立候補し、当選する。以後、当選14回。自由民主党では中曽根派 - 渡辺派に所属。自民党憲法調査会長のほか、第一次田中角栄内閣で文部大臣、三木武夫内閣で法務大臣を歴任。三木内閣の法相時には、ロッキード事件が発覚し、田中角栄逮捕を許可した。大平正芳内閣時には、三木、福田赳夫、中曽根の三派提携に動き、大角連合と鋭く対立した。しかし、昭和55年(1980年)第36回衆議院議員総選挙(衆参同日選挙)で落選の憂き目に会う。
1990年(平成2年)引退。1992年(平成4年)8月15日死去。衆議院議員の稲葉大和は長男。
皮肉屋で、釣り、相撲好きで、横綱審議委員会委員を務めた。双羽黒の横綱昇進に最後まで反対した。
大久保清の死刑執行許可印を押したことでも知られている。
[編集] 関連項目
|
|
|
|
|
|