笑福亭圓笑 (3代目)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
3代目 笑福亭 圓笑(3だいめ しょうふくてい えんしょう、1860年 - 1933年3月)は、上方噺家。2代目笑福亭福松の実兄。本名: 河合亀太郎。享年73。
初め盆龜と名乗り、盆廻しの元祖。また、全身に見事な刺青があったことから、俗に「がまん亀」と呼ばれた。
後に3代目桂文吾(桂延玉)門下となり延笑を名乗る。次に3代目笑福亭松鶴門下で璃鶴、小松鶴、3代目桂藤兵衛の身内で藤原年史を経て、3代目笑福亭圓笑を襲名。
年史時代は音曲が売物で、流行歌をいち早く高座にかけたので、当時の色町では人気があり、また踊りも上手であった。桂藤兵衛以降の京都落語界において、京桂派(初代桂枝太郎、3代目圓笑)として力を持った。妻は新京極・富貴席の囃子方で「お駒」という名であった。
十八番は『三十石』で、他に『春雨茶屋』『二番煎じ』『疱瘡息子』『宿屋富』などをよく高座にかけた。手堅い老巧な話しぶりであったという。
多芸多趣味で書画をよくし、三味線も上手であった。趣味は、網打ち、小鳥の飼育、絵葉書収集、自転車などなど。神道大教大講義中教正にして、柔道と鍼灸の免許を持ち、易学にも通じていた。法廷衣を着たり、大きな風呂敷の真ん中に穴を開けたものを被ったりして街中を闊歩するなど、奇行の持ち主でもあった。
法名: 眞實院悟道圓笑居士。墓所は新京極の誓願寺。
[編集] 出典
- 『落語系圖』(月亭春松編)
- 『古今東西落語家事典』(諸芸懇話会・大阪芸能懇話会共編、平凡社、1989年、ISBN 458212612X)