笹尾鉄三郎
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笹尾 鉄三郎(ささお てつさぶろう、1868年8月15日 - 1914年12月30日)は日本のキリスト教の大衆伝道者、牧師、神学校教師、宗教家、讃美歌作家。
淀橋教会初代牧師、東京聖書学院初代院長。
[編集] 生涯
- 1868年8月15日 伊勢安膿郡新町古川(現在の三重県津市)に、父・伊藤篤之助、母・そうの末子として誕生
- 1886年 津中学を卒業後、上京、慶応義塾に入学。理材科に入り実業家になるために経営学を学ぶ。(当時、塾長福沢諭吉)
- 1888年5月 渡米、カリフォルニア州サンノゼのパシフィック商科大学に入学
- 1888年末 ダージ夫人によって回心、キリスト教に入信する。
- 1890年 洗礼を受ける。サンフランシスコでリバイバルが起きる。
- 1891年 大学を中退して、サンフランシスコの日本人教会牧師河辺貞吉の下で伝道師、日曜学校校長として働く。後にシアトルで伝道をする。
- 1894年3月 河辺貞吉と共に帰国して6人で東京本郷町で「ちいさき群」の伝道を始める。
- 1896年 島根県松江市のバックストンの下で修養を受ける。
- 1897年 森山秀子と結婚。
- 1898年 上京して、東京四谷信濃町に住む。
- 1901年7月 上京して、神田神保町中央福音伝道館に入り、中田重治らと共に聖書学校の修養生教育と伝道をする。
- 1904年 淀橋柏木の聖書学院に移る。(近所に、内村鑑三の自宅があった。)
- 1905年 肋膜炎を患う。
- 1908年 養女に鈴鹿美和を迎える。
- 1910年6月 アズベリー大学総長モリソン博士の通訳として全国を回る。モリソン博士の招待で渡米。イギリスから渡米したバックストンと共に全米を巡回伝道し、渡英する。
- 1911年 聖教団事件の調停に努力した。
- 1912年 内村鑑三の娘ルツ子の信仰の指導をする。
- 1913年 聖書学院長と淀橋教会牧師を辞任する。独立自給伝道を開始する。バックストンのもとで修養する。
- 1914年12月30日 柏木の自宅で死去(46歳)
[編集] 人物像
- 慶応義塾時代に福沢諭吉から後継者になることを期待される。
- 河辺貞吉とは生涯を通じての友人である。お互いのために祈り合っていた。
- 恩師バークレー・バックストンとは生涯を通じて無二の友人だった。
- 笹尾はバークレー・バックストンの紹介で中田重治と知り合っていた。
- 田中正造は栃木県宇都宮の教会で開かれた集会で、笹尾の説教を聞いてキリスト教に影響を受けた。
- 讃美歌作詞者としても有名である。主な作品に「きょうまで守られ」(聖歌292番)がある。