サンフランシスコ
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愛称: "The City by the Bay, Fog City" | ||||
位置 | ||||
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座標: 37° 46′0″N 122° 26′0″W | ||||
行政 | ||||
市長 | ギャビン・ニューサム | |||
地理 | ||||
面積 | ||||
市域 | 122 km² (47 mi²) | |||
陸上 | 121.0 km² (46.7 mi²) | |||
水面 | 479.7 km² (185.2 mi²) | |||
都市圏 | 8,869.3 km² (3,424.4 mi²) | |||
標高 | 16 m (52 ft) | |||
人口動勢 | ||||
人口 | ||||
市域 (2006年) | 798,680人 | |||
人口密度 | 6,115人/km² (15,837人/mi²) | |||
市街地人口 | 3,385,000人 | |||
都市圏 | 7,168,176人 | |||
都市圏人口密度 | 人/km² (人/mi²) | |||
等時帯 夏時間 |
太平洋標準時 (UTC-8) 太平洋夏時間 (UTC-7) |
サンフランシスコ(英語: San Francisco)は、アメリカ合衆国西海岸の、カリフォルニア州の北部に位置する都市である。
目次 |
[編集] 概要
漢字では、桑港や旧金山と表記される。桑港は、「サンフランシスコ」の「サン」を音訳した「桑」に、港町である事を示す「港」を加えた物。一方の旧金山は、1849年に起こったゴールドラッシュにちなんだ名称である(「新金山」はメルボルンを指す)。
ロサンゼルスと共にカリフォルニア経済、金融、工業の中心地として知られる。サンフランシスコ自体の人口は約75万人(2004年)だが、対岸のオークランド、南岸のサンノゼなど計9郡によるサンフランシスコ・ベイエリアの人口は約700万人にも上る。それゆえに大規模なダウンタウンが形成されており、近代的なビルが建ち並ぶ。
キリスト教のフランシスコ会の修道士が創設者の聖フランシスコを街の名に付けたのが地名の由来である。海流の影響で一年中気温の差があまり無く、気候的にも住みやすい都市である。都市部から13マイルほど南下すると、サンフランシスコ国際空港がある。
シリコンバレー やカリフォルニア大学バークレー校にも近く、コンピュータ系の企業も多い。
また、急な坂や深い霧に覆われる場合が多いことでも有名である。
日本では、特に(航空機での渡航の対象として)「シスコ」の愛称・略称で呼ばれることも多い。アメリカでは頭文字のSF、または「サンフラン」(San-Fran)との愛称・略称で呼ばれることが主である
[編集] 歴史
サンフランシスコは1770年代に現在のミッション地区、ヤーバブエナという町が発祥であり、サンディエゴから陸路を北上してきたスペイン探検隊が天然の良港であった湾と海峡を発見し、カトリック伝道所を設けた。1821年に対メキシコ、また対アジア貿易の拠点、また捕鯨基地として発展した。そして1848年、シエラネバダ山脈で金鉱脈を発見、ゴールドラッシュによって急成長した。ゴールドラッシュ以前の1848年の人口は800人だったが、ゴールドラッシュの起こった1849年を境に急速に人口が増え、1860年には6万人に至った。
1860年代後半には大陸横断鉄道が開通、その拠点として重要性を持ち、同時にアジアから多くの移民が訪れた。まずは中国人、そして日本人も多く入植し、1891年に全米初の日本人会が結成された。それに伴い、多くの移民街が誕生する。
しかし、1906年にマグニチュード7.6のサンフランシスコ大地震が市街地を襲った。これによって市街は壊滅的な打撃を受けるが、復興の旗印として「フェニックス」を掲げ、新たな都市開発に取り組んだ。1914年にはパナマ運河の開通により、拠点性を増大させ、都市飛躍の一歩となった。また、サンフランシスコと対岸のオークランドを結ぶ主要橋梁の建設に乗り出し、1937年には市のシンボルでもあるゴールデンゲートブリッジ(金門橋)が完成、今日では7本の橋が市街地を結び、また海底トンネルも都市連結の役割を果たしている。
第二次世界大戦後、サンフランシスコはカリフォルニア州北部の中心都市として重要な地位を占め、大発展を遂げた。1951年には、サンフランシスコで、講和条約が結ばれた。(サンフランシスコ講和条約)1960年代頃から主要産業であった製造業に陰りが見え始めるが、代わりに登場したサンノゼ一帯のシリコンバレーの発展により、IT関連企業を輩出、地位を回復し、今日に至る。サンフランシスコは全米の大都市の中でも治安に優れ、また優れた計画都市としても知られ、常に住みたい都市のトップクラスにエントリーしている。
なお、坂の多い土地柄を背景に、1873年にはケーブルカーが営業を開始し、今日でも市民の重要な足となっていると共に、観光客を惹き付ける魅力の一つにもなっている。
[編集] 地理
カリフォルニア州の北部に位置し、北緯38度、西経122度5分にある。気候は温暖で、夏に降雨が少なく、区分ではCs(地中海性気候)に分類される。市街地はサンフランシスコ湾口の南岸にあたり、サンフランシスコ半島の先端に位置する。東の対岸にオークランドやバークリー、サンフランシスコ湾奥の南岸にサンノゼがある。平野部は少なく、急峻な丘陵地や窪地が多く、いわば小樽や尾道のような、後背地が狭い古い港町の都市成立様式であるといえる。都市圏人口は約700万人だが、他の都市圏のように土地が豊富でないため、爆発的な人口増加はあまり見られない。100㎞北東方に州都のサクラメントがある。
アメリカ合衆国統計局によると、この都市と郡は総面積600.7km²(231.9 mi²)である。このうち120.9 km²(46.7 mi²)が陸地で479.7 km²(185.2 mi²)が水地域である。総面積の79.86%が水地域となる。
この都市の地理的な中心地は、アルバラド(Alvarado)と23番ストリートの間のグランドビュー・アベニュー(Grandview Avenue)の東側である。
1月の最低気温の平均は46°F(8℃)で、最高気温の平均は58°F(14℃)。8月の最低気温の平均は56°F(13℃)で、最高気温の平均は72°F(22℃)。また、平均56.6cmの降水量を記録している。
[編集] 人口動勢
2000年現在の国勢調査2で、この都市は人口776,733人、329,700世帯及び145,068家族が暮らしている。人口密度は合衆国内で2番目の密集都市(および5番目の密集郡)である、6,423.2/km²(16,634.4/mi²)[1]。2,865.6/km²(7,421.2/mi²)の平均的な密度に346,527軒の住宅が建っている。この都市の人種的な構成は白人49.66%、アフリカン・アメリカン7.79%、先住民0.45%、アジア30.84%、太平洋諸島系0.49%、その他の人種6.48%、混血4.28%である。ここの人口の14.10%はヒスパニックまたはラテン系である。
民族構成は中華系19.6%、アイルランド系8.8%、ドイツ系7.7%、及び白人系6.1%である。サンフランシスコはアメリカ合衆国内で最大の中華系人口でありハワイ州以外で最大のアジア系人口を持っている。リッチモンド内のGeary ブルーバードは栄えているロシア系コミュニティーの本拠地となっている。
329,700世帯のうち、16.6%が18歳未満の子供と一緒に生活しており、31.6%は夫婦で生活している。8.9%は未婚の女性が世帯主であり、56.0%は結婚していない。38.6%は1人以上の独身の居住者が住んでおり、9.8%は65歳以上で独身である。1世帯の平均人数は2.30人であり、結婚している家庭の場合は3.22人である。
この都市内の住民は14.5%が18歳未満の未成年、18歳以上24歳以下が9.1%、25歳以上44歳以下が40.5%、45歳以上64歳以下が22.3%、および65歳以上が13.7%にわたっている。中央値年齢は36歳である。女性100人ごとに対して男性は103.4人である。18歳以上の女性100人ごとに対して男性は103.1人である。
この都市の世帯ごとの平均的な収入は55,221米ドルであり、家族ごとの平均的な収入は63,545米ドルである。男性は46,260米ドルに対して女性は40,049米ドルの平均的な収入がある。この都市の一人当たりの収入(per capita income)は34,556米ドルである。人口の11.3%及び世帯の7.8% は貧困線以下である。全人口のうち18歳未満の13.5%及び65歳以上の10.5%は貧困線以下の生活を送っている。
関連項目:en:サンフランシスコの統計地図
[編集] 文化及びスポーツ
多様な文化が融合していることで知られ、自由な空気に包まれている印象がある。1950年代にはビートニク、1960年代にはヒッピーといわれる人たちが流行し、世を席捲した。 また現在では、中心部のカストロ・ストリートを中心とした世界最大のゲイコミュニティがある街としても知られ、毎年6月には「プライド」と称したパレードやイベントが開催される。
[編集] 美術館とパフォーミング・アーツ
- サンフランシスコ近代美術館(San Francisco Museum of Modern Art, 通称「SFMoMA」)
- サンフランシスコ・オペラ(San Francisco Opera)
- サンフランシスコ・シンフォニー(San Francisco Symphony)
- ロックの殿堂,サンフランシスコ
[編集] スポーツ
- アメリカンフットボール(NFL)チームのサンフランシスコ・フォーティーナイナーズの本拠地
- メジャーリーグ(MLB)の野球チーム、サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地
- バスケットボール(NBA)のゴールデンステート・ウォリアーズは対岸のオークランドにスタジアムを構えるがサンフランシスコの地元チームである。
[編集] 同市出身のアーティスト
- サンタナ
- ビル・グレアム
- スティーヴ・ミラー
- グレイトフル・デッド
- ジャーニー
- ジェファーソン・エアプレイン/ジェファーソン・スターシップ/スターシップ:(但し、結成されたのはサンフランシスコだがメンバーで同市出身はジェファーソン・エアプレインでヴォーカルとリズムギターを担当していたポール・カントナーだけである)。
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- 特にスターシップは、1980年代に『シスコはロックシティ』(”We built this city”)というヒット曲を生んでいることで有名。曲中に「サンフランシスコはゴージャスな快晴、ゴールデン・ゲート・ブリッジは車が大渋滞しています」というDJの声が入る。
[編集] サンフランシスコを舞台としたドラマ
- フルハウス - NHKでも放送され、人気であった。
[編集] 交通
[編集] 道路
サンフランシスコは水路に遮られているために、通過する道路は少ない。主要な高速道路としては、ベイブリッジのサンフランシスコ側を基点としてベイブリッジを渡り東に伸びる州間高速道路80号線(I-80)、サンフランシスコ中心街から南に延びるインターステート280号線、中心街から南部と北部に延びる国道101号線がある。
[編集] 都市公共交通
- カルトレイン サンフランシスコ~サンノゼ・ギルロイ
- BART サンフランシスコ~オークランド、バークレイ、フリーモント
- サンフランシスコ市営鉄道(Muni) サンフランシスコ市内の路面電車、ケーブルカー、バスを運行
[編集] 長距離鉄道路線
サンフランシスコ湾をはさんだ対岸のオークランドからアムトラックの列車が発着している。
[編集] 友好姉妹都市
サンフランシスコはSister Cities International, Inc. (SCI)によって指定された、14の姉妹都市を有している:
[編集] 市歌
元はポピュラーソングや映画主題歌であった2曲が制定されている。
- I left My Heart in San Francisco
- 1954年にダグラス・クロス Douglass A. Cross が作詞、ジョージ・コリー George Cory が作曲した。サンフランシスコへの懐旧の想いを歌ったバラードであるが、作られた当時はヒットしなかった。その後1962年、歌手のトニー・ベネットがサンフランシスコに巡業した際、専属ピアニストのラルフ・シャロンの勧めで歌ったところ非常な好評を博した。そこでレコーディングすると300万枚を越える大ヒット曲になり、この曲を収めたベネットの同名アルバムは同年のグラミー賞を受賞した。諸外国でもヒットし、サンフランシスコのイメージアップに大きく貢献した名歌で、1969年10月6日、サンフランシスコ市歌に制定された。
- San Francisco, open your Golden Gate
- 1906年のサンフランシスコ大地震を題材に1936年に製作されたMGM社の大作映画『桑港(サンフランシスコ)』(W・S・ヴァン・ダイク監督、クラーク・ゲーブル主演)の主題歌として、 ガス・カーン Gus Kahn が作詞、ウォルター・ユールマン Walter Jurmann とブロニスロウ・ケイパー Bronislaw Kaper が作曲した軽快な曲で、劇中で女性歌手役のジャネット・マクドナルドによって歌われ、当時非常に流行した。懐メロ的なナンバーとして長く親しまれ、1984年5月15日に、サンフランシスコ市歌に制定された。
[編集] Japantown
Japantown, (日本町, Little Osaka, J town)サンフランシスコの Western Addition にある6平方ブロックの地域。日本、韓国、中国のレストラン、スーパーマーケット、ショッピングモール、ホテル、銀行、紀伊國屋書店の支店など多数の店がある。Post Street が大通りで、中心には1968年開設の Japan Center(3つの日系ショッピングセンターと Peace Pagoda がある)がある。パゴダは大阪の人々によって寄贈された。
カリフォルニア州最大の日本町で、唯一の第二次世界大戦前からある日本町。日本の真珠湾攻撃後、アメリカ政府は日系アメリカ人を強制収容所に収容した。その後軍需産業を探しに来たアフリカ系アメリカ人が居住した。戦後一部の日本人は戻り地域の再復興を行った、1960年代から1980年代の大規模な再開発の時期に、多くのアフリカ系アメリカ人は今日の居住地、西部 Filmore District、東部 Tenderloin、南部 Hunters Point に移動した。同時に多くの日系アメリカ人は戻り、新日本移民の移住、日本政府、企業による投資が行われた。
[編集] その他
- ファイナンシャルディストリクトに第12地区連邦準備銀行がおかれている。
[編集] 参照
[編集] 外部リンク
アメリカ合衆国の市域人口上位50都市 |
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