花形進
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花形 進(はながた すすむ、1946年1月21日 - )は、日本の神奈川県横浜市出身の元プロボクサー。WBA世界フライ級チャンピオン。右ボクサーファイター。協栄河合ジム(※現: オーッキッド・カワイジム)所属。
地味な試合運びと決定力不足から5割に達しない戦績で、10回戦出場までに31戦、4年間を費やした。しかし、10回戦以降は出入りの早いボクシングを会得、大場政夫などと互角に渡り合う実力を発揮。日本王座陥落後には限界説も囁かれたが、デビューから11年目、5度目の挑戦でついに世界王座を獲得した遅咲きのボクサー。
世界戦の戦績は8戦1勝7敗であったが、強豪を相手に全て判定決着と世界レベルの実力を見せた。現在は「 花形ボクシングジム」会長。星野敬太郎を育て上げ、日本初の「師弟世界チャンピオン」になった。
[編集] 戦績
- 1963年11月 プロデビュー。
- 1968年1月25日 ノンタイトル10回戦。初の10回戦を8回KOで飾る。ここまでの戦績は15勝8敗8分、勝率4割8分であったが、この試合を契機に飛躍を始める。
- 1968年9月2日 ノンタイトル10回戦。後の世界王者、大場政夫に10回判定勝ち。
- 1969年4月7日 日本フライ級王座に挑戦。王者、スピーディ早瀬に10回判定勝ちで王座獲得。以後4度防衛。
- 1969年11月28日 WBC世界フライ級王座に初挑戦。王者、アラクラン・トーレス(メキシコ)に15回判定負け。
- 1971年4月30日 WBC世界王座に挑戦。王者、エルビト・サラバリア(フィリピン)に15回判定負け。
- 1972年3月4日 WBA世界王座に挑戦。王者、大場政夫に接戦の末15回判定負け。
- 1972年7月3日 日本王座5度目の防衛戦。幅修に8回KO負け。限界説も囁かれたが、同年10月6日に行われたリマッチを10回判定で制し王座奪還。
- 1973年10月27日 WBA世界王座に挑戦。大場の死後王座に就いたベテラン、チャチャイ・チオノイ(タイ)に15回判定負け。
- 1974年10月18日 WBA世界王座に挑戦。5度目の挑戦にして王者、チャチャイを6回KOで破り王座獲得。
- 1975年4月1日 WBA世界王座の初防衛戦。王者、エルビト・サラバリア(フィリピン)に15回判定で敗れ王座陥落。
- 1975年10月7日 WBA世界王座に挑戦。王者、サラバリアとのリマッチに15回判定で敗れる。
- 1976年5月15日 WBC世界王座に挑戦。メキシコの英雄、ミゲル・カントに15回判定で敗れ、現役引退。
最終戦績65戦41勝 (8KO) 16敗8分