花紀京
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花紀京(はなき きょう、本名・石田京三(いしだ きょうぞう)、1937年1月2日-)は、吉本興業所属の俳優、お笑い芸人。大阪府出身。
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[編集] 来歴・人物
[編集] エンタツの息子として・そしてアチャコを敬愛
横山エンタツの次男であるが、尊敬する人物は父の元相方・花菱アチャコであると語っている。関西大学入学後の1958年、花登筐に弟子入りし、1959年には劇団「笑いの王国」の旗揚げに参加。
[編集] 吉本新喜劇でスターに
同劇団解散後、1962年に吉本興業に入社。1963年には吉本新喜劇の座長に抜擢され、岡八朗や原哲男とのコンビで活躍する。スキー帽に シャツの上に腹巻 ニッカポッカズボンで、目の下に隈 鼻を赤くしてのスタイルが多く 泥棒役や土木作業員役で、特に、原哲男との掛け合いは、独特の間の中でのボケツッコミは 天下一品であった。劇中では本名の「京三」を役名として使っていた。 同時に「てなもんや三度笠」などのテレビ番組にも出演する。
[編集] 弟子
弟子にチャーリー浜、間寛平らがおり、内場勝則も新喜劇に入団後は花紀に付いていた時期があり、師匠と弟子の関係に近い存在である。弟子に対しては厳しく、寛平が入門当時馴れ馴れしい話し方をした時に激怒した。ちなみに、寛平同様、南海時代からの熱烈なホークスファンでもある。
[編集] 漫才
岡八朗とはマンザイブームの時期に、コンビを組んで漫才をしたこともあった。
[編集] 新喜劇を退団・新境地を開拓
1989年、「新喜劇やめよっかな?!キャンペーン」を開始した吉本新喜劇を退団。その後は、多数の映画やテレビドラマに出演し、新境地を開拓した。
[編集] 若手と共演
また、2001年、ダウンタウン、東野幸治、ココリコ、ロンドンブーツ1号2号、山田花子、藤井隆、間寛平と期間限定ユニット「Re:Japan」を結成し、NHK紅白歌合戦に出場した。
[編集] 病気との闘い・そして現在
2002年8月に脳腫瘍の摘出、2003年5月には自宅で入浴中に低酸素脳症で倒れ入院し、現在は療養中である。
[編集] ギャグ
ボケの間合いとうまさは、歴代の新喜劇役者の中でも1,2を争うといわれた。
- 「ええか、そこだけは絶対に開けたら(見たら)あかんぞ」
- 悪人に取られては困るものの隠し場所を、当の悪人に向かってこう言って教えてしまう。見つかったあと「あれ、何でわかったん?」
- 「ほな、百万円」
- ちょっとしたもの(飲食物など)の代金を聞かれて、ごく普通の顔で答える。相手はずっこける。