菊地毅
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菊地毅 | |
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プロフィール | |
リングネーム | 菊地毅 |
本名 | 菊地毅 |
ニックネーム | 火の玉小僧 日の丸特攻隊 |
身長 | 177cm |
体重 | 99kg |
誕生日 | 1964年11月21日 |
出身地 | 宮城県仙台市 |
所属 | プロレスリング・ノア |
スポーツ歴 | レスリング |
トレーナー | ジャンボ鶴田 渕正信 |
デビュー | 1988年2月26日 |
菊地 毅(きくち つよし、1964年11月21日 - )はプロレスリング・ノアに所属するプロレスラーである。宮城県仙台市出身。
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[編集] 経歴
小・中学生の頃はスイミングクラブに通い、一級下のクラスには斎藤彰俊がいた。大東文化大学へ進学後はレスリング部で活躍。1986年の全日本学生選手権100キロ級に出場し優勝を果たした(その前年までこのクラスを連覇していたのは本田多聞である)。
1987年にジャンボ鶴田の紹介で全日本プロレスに入門。1988年2月26日、滋賀県栗東町民体育館の百田光雄戦でデビュー。同日には自身より1ヶ月遅く入門してきた小橋建太(当時は健太)もデビューして、その後は互いに負けじと切磋琢磨していく。1990年に三沢光晴、川田利明らが結成した超世代軍に加入し、ジャンボ鶴田に対抗。鶴田にやられまくりながらも立ち上がるファイトで人気急上昇。火の玉小僧の異名をとる。この時期、鶴田の怪物性を最も引き出したのが菊地であるといえる。1992年5月25日には小橋と組んで第59代アジア・タッグ王座に輝くと、1996年6月30日には世界ジュニア・ヘビー級王座を獲得した。同日には小橋も初めて三冠王者に輝いている。
2000年6月の全日本大量選手離脱騒動では三沢らと行動を共にし、全日本プロレスを退団してプロレスリング・ノアに移籍。旗揚げ第2戦のメインで小橋が敗れ、秋山との乱闘を救出しお笑い系から離脱、注目を集める。その後バーニングの一員として小橋と共闘する傍ら、2002年8月29日には金丸義信と組んで獣神サンダーライガー&田中稔を破り、第9代IWGPジュニア・タッグ王座を獲得した。
尚、テレビ中継解説者でレフェリーのマイティ井上によると、菊地はヘッドバットの使用過多や、無茶をするファイトスタイルから、パンチドランカーの症状が出ていると言い、ファンを心配させている。
2006年9月24日の武道館大会で秋山が丸藤に敗れ、秋山が「次期シリーズからは前座としてがんばる」と言い菊地に前座の極意を教えてもらうということになり、シリーズ初戦のタッグマッチで秋山が菊地と対戦した。だが、あまりにもふがいない菊地を見て秋山が激怒。これ以上にないエグい技を仕掛けて遺恨が残った。
同シリーズで遺恨マッチとして秋山対菊地というシングルマッチが組まれ、秋山の入場と同時に菊地が奇襲し、かつて火の玉小僧と呼ばれた菊地が蘇った。結果は秋山の垂直落下式エクスプロイダーで菊地が沈み秋山の勝利に終わった。試合後秋山は菊地に握手を求めたが、菊地は握手するふりをして秋山にエルボーを入れた。秋山との遺恨はまだまだ続きそうだ。
[編集] タイトル歴
[編集] 全日本プロレス
- 世界ジュニアヘビー級王座
- 第16代(防衛2回)
- アジアタッグ王座
- 第59代(防衛3回)&小橋建太
[編集] 新日本プロレス
- IWGPジュニア・タッグ王座
- 第9代(防衛1回)&金丸義信
[編集] 得意技
- 火の玉ボム
- ブルーサンダー、或いはゴリサンダーと同系統の技。
- ゼロ戦キック
- 前転を伴わないタイプの浴びせ蹴り。串刺し式などのバリエーションもある。
- フィッシャーマンズスープレックス
- ロコモーションジャーマンスープレックス
- 各種ヘッドバット