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ジャンボ鶴田

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ジャンボ鶴田
プロフィール
リングネーム 鶴田友美
ジャンボ鶴田
本名 鶴田友美
ニックネーム 若大将
怪物
完全無欠のエース
身長 196cm
体重 127kg
誕生日 1951年3月25日
死亡日 2000年5月13日
出身地 山梨県東山梨郡
所属 全日本プロレス
スポーツ歴 バスケットボール
レスリング
トレーナー ジャイアント馬場
ドリー・ファンク・シニア
デビュー 1973年3月24日
引退 1999年3月6日

ジャンボ鶴田(ジャンボつるた、1951年3月25日2000年5月13日)は、山梨県東山梨郡牧丘町(現:山梨市)出身のプロレスラー・元桐蔭横浜大学中央大学慶應義塾大学講師、元・アメリカオレゴン州ポートランド州立大学教授。本名は鶴田友美(つるた ともみ)。身長196cm、体重127kg(全盛時)。血液型O型。ニックネームは「若大将」のち「怪物」。座右の銘は師であるジャイアント馬場から継承した「人生はチャレンジだ、チャンスは掴め」

三冠ヘビー級王座を統一した初代王者であり、第43代AWA世界ヘビー級王者(日本人としては初のタイトル奪取)。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入りまで

広大なぶどう農園を営む家に生まれる。生まれた頃は体が小さく、女の子のようだからという理由で「友美」と名付けられた。中央大学法学部1年生の頃までは、バスケットボールの選手であった。だが日本のバスケットボールの実力では、予選に勝ってオリンピックに出場することができないということで選手層の薄いレスリングでのオリンピック出場を目指すことにした。しかし「一つのスポーツをやりとおすことのできない奴は何をやってもダメ」と言われ、大学のレスリング部に入部することができなかった。それでもあきらめず、自衛隊のレスリング道場で練習に励み、優れた才能で瞬く間にレスリング日本代表に選ばれ、グレコローマンスタイル100kg以上級で1972年ミュンヘンオリンピックに出場する。成績は2回戦失格(予選リーグ2敗)。1972年9月16日鶴田の父の死で自分自身で人生に挑戦しようと思い、世間の人々のプロレスに対する偏見・評価などで葛藤したが、大学の監督・先輩・マスコミなどにアドバイスを受け、最後は日本アマレス界のドン八田一朗の「プロが栄えればアマも栄える。」の言葉に励まされプロ入りを決意した。

[編集] 全日本プロレス入団

ジャイアント馬場にスカウトされ「全日本プロレスが就職するのに一番いい会社かなぁと思って…」という、いわゆる「プロレスに就職します」という言葉と共に全日本プロレス(全日)に入団(デビュー当初のリングネームは本名の鶴田友美)。若いころのニックネームは「若大将」。入団してすぐにアメリカのファンク道場へ修行に行き、スタン・ハンセンボブ・バックランドらと共にトレーニングに励む。特にハンセンとは気があい「トミー」の愛称で親しまれ、日本から持っていったインスタントラーメンを分け合って食べる程の仲だった(ハンセンはその味に痛く感動したようで、鶴田の為に日本から送られてくるラーメンを勝手に食べていたという話も残っている)。

1973年3月24日テキサス州アマリロにてエル・タピア戦でプロデビュー。同年5月20日には、NWA世界ヘビー級王座に挑戦(ドリー・ファンク・ジュニア戦)するという異例の大抜擢を受けるなど、当地で約150戦を消化。

凱旋帰国後の同年10月6日後楽園ホールに於けるムース・モロウスキー戦で国内デビュー(フォール勝ち)。3日後の10月9日に行われたザ・ファンクスとのインターナショナル・タッグ選手権試合(タッグマッチ3本勝負、パートナーはジャイアント馬場。結果は1-1の引き分け)では、テリー・ファンクからジャーマン・スープレックスホールドでピンフォールを奪い大器の片鱗を見せ、すぐに馬場に次ぐ全日No.2の地位につく。

チャイニーズ・カンフーやローリング・ドリーマーといった入場曲も与えられ、20代の中頃までは若い女性の親衛隊もいたほどの人気振りであった。ファンからの公募により、1973年10月27日にリングネームをジャンボ鶴田と改名。日本の航空会社ジャンボジェット機が就航し、一般にもその名称が浸透しはじめた時期であり、師匠であるジャイアント馬場と同様にスケールの大きなプロレスを期待されての命名であった。

[編集] 1970年代中盤

1970年代中盤は、タイガー戸口(キム・ドク)との抗争や、ラッシャー木村とのエース対決、喧嘩番長ディック・スレーターを破ってのチャンピオン・カーニバル初優勝など、徐々に実績を上げていく。また、1977年8月25日に行われたミル・マスカラスとの雨中田園コロシアム決戦は華麗な試合としてファンの間で長く記憶をとどめることとなる。この試合はスタン・ハンセンvsアンドレ・ザ・ジャイアントと並んで田園コロシアムのベストバウトにあげる人もいる。この試合も含め、東京スポーツ主催のプロレス大賞において3年連続年間最高試合賞(ベストバウト)を受賞(他の2試合は1976年3月28日に蔵前国技館で行われたUNヘビー級選手権試合のジャンボ鶴田vsラッシャー木村戦と、1978年1月20日北海道帯広市総合体育館で行われたNWA世界ヘビー級選手権試合のハーリー・レイスvsジャンボ鶴田戦)。

この時期の鶴田の代名詞は、UNヘビー級王座と背後に星を刻んだレスリングパンツ。必殺技は4種類のスープレックス、特にジャーマン・スープレックスとトップロープからのウルトラCドロップキックミサイルキック)を大一番で用いている。このころの好敵手にビル・ロビンソンハーリー・レイスアブドーラ・ザ・ブッチャーらがいる。

[編集] 1980年代前半

1980年代前半は、NWA世界ヘビー級王座 (当時世界三大王座(NWAAWAWWF)のうちのひとつ) に対してあと一歩でタイトルを取り逃がす歯がゆい試合を続けたため「善戦マン」と呼ばれていたが、1983年4月ごろ来日していたルー・テーズから必殺技バックドロップフライング・ボディシザース・ドロップを継承。「今のは百万ドルだな」というルー・テーズの言葉に「NWA世界チャンピオンになったら払います」と答える(NWA王者には結局縁がなかった)。パンツも黒を基調としたエースらしいものに替える。1983年の6月にはNWA王者リック・フレアーに一本勝ちするものの、ルール規定によりベルトは動かず(1981年は2-1の敗北、1982年ジャーマン・スープレックスのダブルフォールで引き分けたのに比べるともっとも善戦しており、AWA王座を奪取するまでの間「鶴田が世界に一番近づいた日」と呼ばれていた)。この後、UNヘビー級王座を返上。1983年8月には蔵前国技館において、力道山以来の日本の至宝インターナショナル・ヘビー級王座ブルーザー・ブロディから奪取。ジャイアント馬場から「今日からお前がエースだ」と公式に全日本プロレスのエースを襲名する。この年末の最強タッグで鶴龍コンビとして初参加、ミラクルパワーコンビに次ぐ準優勝に終わる。この年、プロレス大賞最優秀選手賞(MVP)を、同世代を表す鶴藤長天(格闘頂点)の中で初受賞。

1984年、入場曲を「J」に変更。2月23日にニック・ボックウィンクルをエプロンサイドから抱えあげての「バックドロップ・ホールド」によって負かし、当時日本人として初めてAWA世界ヘビー級王座を獲得する。この年、プロレス大賞2連覇。これにより同世代鶴藤長天の中では一段上の扱いとなり、実力的には馬場・猪木の後継者とされる(漫画プロレス・スターウォーズにおける鶴田の扱いなどを参照)ものの、人気では維新革命の長州力天龍源一郎の後塵を拝す。この実力面と人気面のギャップは、「バックドロップは相手によって落とす角度を変えている」などという鶴田の発言に対し、ファンが「本気でやれ」という反応を見せるなどにその一因があったが、実際にはプロレスの本質を突いた発言が多かった。また、ライバルの長州力・天龍源一郎らはこの点をよく理解していた。


[編集] 1980年代中盤

1980年代中盤は、プロレス界の「キングコング」と称されたブルーザー・ブロディやハンセン、ロードウォリアーズといった大型外人レスラーとの戦いがメインとなり、大型の外人と戦って見劣りしないレスリング技術は後に全日本に参戦した長州力やブロディが新日本に移籍した後対戦したアントニオ猪木との戦いとの比較の中で評価されるようになり、一部の1980年代前半の新日本プロレスのファンが1980年代後半に全日本プロレスのファンに転向するきっかけとなった。相手レスラーからの評価は高く、戦った選手の殆どは鶴田の身体的能力を絶賛している。また、長州力は対戦前に鶴田を散々酷評していたが、1985年11月に大阪にてシングルで対戦した後(結果は60分時間切れ引き分け)、鶴田に対しては一目置くようになりマスコミへ「彼には勝てないよ」と語った。以後は鶴田の無尽なスタミナ面を評価する発言も行うようになる。

その潜在能力が爆発するのは、1987年に「天龍同盟」を結成した天龍源一郎との一連の抗争、そして天龍離脱後の四天王達との戦いであった。またその前にジャパンプロレスとして全日に参戦していた長州力との1985年の大阪での一戦は60分フルタイムドローで終わるものの、試合後ロッカールームで全く動けなかった長州に対して、鶴田はシャワーを浴びて大阪市内にそのまま飲みに出かけたなどの伝説も作る。この一戦は、鶴田はリング中央でどっしりと構え、鶴田の周りを長州が動き回るようなファイトを意識したと語っており(これは馬場がエース候補生たちに必ず教えていた心構えである)、自分が格上のレスラーであると印象付けられた上にスタミナの消費も少ないという効果を狙ったもので、鶴田が王道プロレスを体現した試合として名高い。当時、マッチメークを聞き対戦相手がジャパンプロレス勢だと知るとバックステージでは「今日はカラータイマーだから楽だな」と言っていたという逸話もある。これは、ジャパンプロレス勢が攻めばかりで、スタミナが極端にないことを揶揄したものである。

1988年6月には谷津嘉章とのコンビ(五輪コンビ)で初代世界タッグ王座を獲得。

[編集] 1980年代後半以降

1980年代後半以降は、一般的なプロレス技で仲野信市や天龍を失神させる(これは鶴田のミスで、使い馴れていないパワーボムを天龍に放ったところ、思いのほか急角度に落としてしまったため)等の怪物ぶりを発揮した。

ファンの間では「普段の試合では力の差がありすぎて本当の力を出さない」「怒った時の鶴田は誰よりも強い」という鶴田最強伝説もある。また、右腕を高々と上げ「オー!」と叫ぶ決めポーズはファンの間でも話題になり、「オー! 」コールは鶴田の試合には欠かせないものとなった。

事実、リング上で憤慨した鶴田を止められる者は誰もいなかった。大阪府立第二体育館三沢光晴戦では、鶴田のジャンピングニーが三沢の鼻を直撃し、三沢は鼻骨骨折。しかし鼻を負傷しながらも戦った試合で徹底的に鼻に攻撃を絞り、ファンからは悲鳴が上がった。またその翌日の後楽園ホール大会では、川田利明から顔面へのステップキックを執拗に繰り出されたが、直後に完全に鶴田の目の色が変わってしまい、大迫力のエルボー(エルボーのみで川田をのしてしまったが、それでも鶴田の怒りは収まらず、無理矢理起こしている)、ジャンボキック、場外でのボディスラム、ステンレス部分でのイス攻撃などを川田に繰り出した(タッグパートナーの渕正信が止めに入るものの渕を突き飛ばし、解説の竹内宏介も言葉が出なくなるなど、壮絶なものであった)。和田京平によると、試合後控え室では「何でボク、あんなにキレちゃったんだろう」と普段のジャンボ鶴田に戻っていたと言うが、和田京平は「あれはお客さんに見せるものじゃない。普段の余裕のジャンボを見せたかった」と自書で語っている。

1989年4月には、インター・PWF・UNの三冠を統一し、初代三冠王者となる。これらの実力がようやく認められた結果、ジャンボ鶴田の人気は不動のものとなり、1990年2月の新日本プロレス主催の東京ドーム大会では、敵地にもかかわらず入場時で大量の「ツルタ、オー!」コールが爆発し、日本プロレス界のエースと呼ばれるにふさわしい存在となる。弟子の三沢光晴が初めて鶴田越えを果たした試合は「丸め込み」合戦を制してのものであり、試合後、負けた鶴田はレフェリーに抗議、勝った三沢はリング上で倒れこんでだままで、真に鶴田越えを果たしたとは言い難いものだった。それでも三沢は最初で最後の涙をリングで流し、観客が総立ちであった。

[編集] 晩年

しかし、1992年B型肝炎を発症し長期入院を余儀なくされた。復帰後も再発の危険性があるために極端に負担のかかる第一線に立つことはなくなった(鶴田自身、その時の様子を「棺桶に片足を入れた状態」と評している。又、「一昔前なら棺桶に両足を入れていた(つまり、死んでいた)」とも発言している)。これでメインイベンターとしての鶴田の価値は消え去ったのだが、それでも馬場は鶴田の給料を下げることはしなかったという。復帰以降はリングから学問に活躍の場を求め、筑波大学大学院に再入学をして遂には非常勤講師ながら大学教員となる。そして1999年、馬場が逝った直後に引退発表を行う。この後に「全盛期に前田日明と戦ってみたかった。藤波が度々対戦要求を出してきたが、マスコミ前のポーズだけで実際の交渉は一切なかった。僕はそれが大嫌いだった」とコメントしたことも話題になった(後日、鶴田は藤波に「失礼な発言をしてしまった」と、FAXで謝罪した)。同年3月6日の引退セレモニー後、スポーツ生理学の客員教授としてオレゴン州ポートランド州立大学に赴任していたが、2000年5月13日、フィリピンマニラ肝臓の移植手術中に出血多量により死去。享年49。

[編集] 死後

死後、かつて鶴田の付き人を務めていた三沢光晴が新団体プロレスリング・ノアを旗揚げし選手が大量離脱したことに対して、彼らが全日本で冷遇されていた事を知らぬ鶴田の妻・保子さんは「夫は三沢くんを支持したと思う。でも、三沢くんに全日本を潰す権利は無い」と話したが、真相を知った後に自身のWebサイトで「三沢くんたちの気持ちがやっと分かった」「(馬場)元子さんは許せない」と語った。

鶴田がアメリカへ向かう際、成田空港に三沢が見送りに来たのが最後の対面となったが、その際鶴田は「何かあったらすぐに言って来いよ。俺は三沢の味方だから、それだけは忘れないでくれ」と告げたと言われる。

鶴田の突然の死は各方面で大々的に報道され、2000年11月26日には『知ってるつもり?!』(日本テレビ系)で「ジャンボ鶴田、家族の絆と衝撃死の真相」と題した追悼番組が放送された。[1]

[編集] 人物・評価

現役時代から、「フォークシンガー」としても有名であった。レコードを発売したり、ファンの前でギター片手に歌ったこともある。井上陽水の「傘がない」をテレビで披露したこともある (ただし付き添った三沢曰く「(ライブで)アンコールは起きなかったですね」との事)。 穏やかな性格で、インタビューでも論理的に話す事が多かった。生前NHKのTV番組に出演した際も、鶴田の紳士的な振る舞いに魅了されてファンになったという番組スタッフの証言があった。

プロレスラーとして最大の功績は、現在のプロレスリング・ノアに続く全日派のプロレスの強さを、自らの実力をもって証明し続けた点にあるだろう。新日本プロレスの異種格闘技戦に始まり、UWF、現在のPRIDEへと続く格闘技(プロレス)への潮流の中で、「プロレスはプロレス」とジャイアント馬場が主張し続けることができたのは、新日本あるいはUWFのエースである猪木、長州、前田に実力をもって引けを取ることがない、むしろ上回る可能性が高い、とされてきたジャンボ鶴田の存在があってのものである。また、天龍、三沢、川田ら全日派のレスラーが他のレスラーにより対戦前からその価値を評価され続けたのは、もちろん当人たちの努力によるところが大きいものの、ジャンボ鶴田という存在が無かった場合、その評価は違ったものになっていたと思われる。

死後も「ジャンボ鶴田」の名は伝説の名レスラーとして残っており、プロレスのTVゲームに度々「伝説の強豪レスラー」として登場している。また一度だけだが鶴田の入場テーマ曲「J」を使った事があり、鶴田を彷彿とさせる豪快なバックドロップの使い手であるプロレスリング・ノア森嶋猛選手が次世代の「鶴田二世」として注目されている。

プロレスにおいて重要な「対戦相手との技の受け合い」で、相手の技を受けて苦しむ際のアクションがコミカルに見えてしまうことが多く、プロレスラーとしては不器用なタイプに属すると見る向きもある。プロレスラーにとって大切なのが「本気を出せば強い」ことではなく「客に感情移入させること」だとすれば、長く不人気だったのも仕方がない面があると評する者も多い。この点では師匠の馬場、猪木、ライバルだった天龍や長州に最後まで及ばなかったという評価も存在する。

[編集] 主な得意技など

バックドロップ
この技自体は若手時代から使用していた技なのだが、当時は相手の股へ手を差し込んだ抱え式のバックドロップであった。しかし、バックドロップの祖であるルー・テーズから「臍で投げろ」とアドバイスを受けて数ヶ月のマンツーマン特訓の末、相手の胴を両手でクラッチして投げるブリッジ式のバックドロップに磨きをかけるようになる。最初はつま先をマットにつけたまま素早く低く叩きつけるスタイルだったが、観客の見栄えを意識してか徐々につま先を流しながら高く持ち上げ落下させるスタイルに変化させていく。つま先をつけたまま低い体勢で脚力を使って叩きつけるスタイルのバックドロップは後のバックドロップホールドへと昇華されていく。ニック・ボックウィンクルとのAWA戦でバックドロップホールドでフォールしてベルトを奪取して以降、鶴田の代名詞と呼ばれるようになる。相手の力量によって落とす角度を変えており、三沢光晴や川田利明に対しては、とんでもない角度で落としていた。別名「岩石落し」。
ジャンピング・ニーバット
普段は相手の顔の横を狙って放つが、怒った場合は真正面に向かって放つことがある。一時期は「鶴田が相手をロープに振ったら90%この技」といわれた。実況中継では「ニーパット」と間違えられていた。重要な一戦ではトップロープから放つ事も。技が決まった後は必ず右手を高々と掲げ「オー!」と叫ぶ。現在では秋山準が鶴田から直接教わった事を明言して使用している。
ダブルチョップ
ダブルハンマーとも。頭上から両手を揃えて相手の背中へ張り手の様に放つチョップ。超世代軍相手に放つ事が多く、その威力と大きな音で場内がどよめく事が多かった。
ドロップキック
新人時代に多用したが、キャリア中盤以降も印象的な場面でしばしば用いた。持ち前のバネを活かした打点の高さ、威力、タイミングともに随一である。
4種のスープレックス
ジャーマンダブルアーム、フロント、サイドの4種類のスープレックスを使いこなした。特にジャーマンのブリッジは真円を描くかのごとく美しく、恐ろしい威力を誇り危険であるため、バックドロップが代名詞になる頃には封印される。
ジャンボラリアット
スタン・ハンセンのような一撃必殺技とは行かないが、試合の要所でこの技を使用することがある。キャリアが中盤になるころから使い出した技。1984年テリー・ゴディとの一騎打ちあたりから黒いアームサポーターをしごいて放つジャンボラリアットが誕生したと言われる。鶴田のラリアットの打ち方は特徴があり、通常は下から体ごと伸び上がりながらノドを突き上げる。ただし、菊地毅のような小柄のレスラーには肘を曲げて上から体重を乗せるような打ち方をした。いずれにせよ、鶴田の身長を上手く利用した打ち方であった。また、ラリアットを放った後に腕を痛めるのはお約束のムーブ。
フライング・ボディシザース・ドロップ(テーズ・プレス)
ジャンプして相手に飛びついて、馬乗りになるような状態で背中から叩きつける。使い始めた時期から、ルーテーズからバックドロップを習った際についでに教わったものと見られる。そのままフォールの体勢になることが多いが、トップロープに自らの喉元を打ち付ける誤爆も多かった。また、長身でジャンプ力のある鶴田が使うと勢い余ってヒップドロップの形で落下してしまうこともあった。
パワーボム
天龍源一郎との89年4月20日大阪における三冠ヘビー級選手権で、喉笛へのチョップを何度も食らったために怒った鶴田が、その天龍に対し放った技。そのパワーボムは超急角度かつ落ちるのがハイスピードなものであり、天龍は頭から落とされ泡を吹いて失神。試合は直後に相手の異変に気がついた鶴田がフォールして試合を終わらせている。(実際には鶴田のミスであり、それまではパワーボムをほとんど使用してなかったために加減が分からず「やりすぎた(鶴田・談)」)
ショルダースルー
この技はほとんど相手の反撃にあって失敗する。いわゆる「お約束」的な動きである。ブルーザー・ブロディとのシングル戦では、双方がショルダースルーに行こうとしては反撃で失敗する「ダブルお約束」的シーンが見られた。
タックル
この技も、ほとんど相手の反撃にあって失敗する。いわゆる「お約束」的な動きである。コーナーに投げた相手に向かってタックルをかけるべく頭から突進するがキックを食らうかもしくは自爆。決まったことは数えるほどしかない。
場外でのヘッドロックから鉄柱攻撃
この技もまた、ほとんど反撃にあって失敗する。いわゆる「お約束」的な動きである。場外で相手をヘッドロックにかかえたまま相手の頭部を鉄柱に打ち当てるべく突進。頭を抜かれて自分が鉄柱に体当たりする。
キチンシンク
ロープに振り、戻ってきた相手の腹部に膝蹴りを入れる。2~3回ほど行うのが常だった。特に川田利明の受けっぷりは見事であった。
拷問コブラツイスト
通常のコブラツイストと異なり、かけた相手の頬・側頭部を上から押さえつける。川田との拷問コブラ合戦は名場面の一つ。
レッグラリアット
木村健吾の技とはまったく違い、ジャンピング・ニーバットが横に流れた形。膝ではなく、脛が相手の首にヒットする。
逆エビ固め(ボストンクラブ)
キャリア前半では、ジャンピング・ニーバットからスープレックスへのつなぎ技として多用していた。キャリア終盤では、背の低い菊池毅を相手に決める際に、背の高い鶴田がやるとコの字に見えることから、コの字固めと呼ばれていた。
ジャンボホイップ
アトミック・ドロップの要領で抱え上げ、空中で静止させた後、前方に放り投げる荒技。菊地毅が主な犠牲者。ホイップせずにそのままアトミック・ドロップに行く事も。
ランニングネックブリーカードロップ
走りこんで相手の首に腕を掛けそのままマットに叩きつける。師匠馬場の必殺技であった。
延髄斬り
相手の延髄めがけてジャンプをしながらキックを入れる。天龍が多用していた技でもある。

[編集] ライバル

ジャンボ鶴田のライバルは、「ジャンボ鶴田と5人のライバル」という日本テレビの番組で、ブルーザー・ブロディスタン・ハンセンニック・ボックウィンクル天龍源一郎三沢光晴が列挙されている。このほかに、ライバルとして位置づけられたレスラーに、タイガー戸口、リック・フレアーミル・マスカラス、ディック・スレーター、前田日明長州力藤波辰巳らがいる。ここでは、それぞれのレスラーとの関係を記述する。

  • ブルーザー・ブロディ
自他共に認める終生の最大のライバルである。上記の番組内でも、鶴田自身は、誰か一人を挙げるのであれば、ブルーザー・ブロディをあげるということを明言している。鶴田が(馬場を抑えて)全日本のメインイベンターになった1983年8月31日の蔵前決戦の相手であり、この時まで歯が立たなかったブロディにリングアウト勝ちを納め、日本の至宝と呼ばれるインターナショナルヘビー級王座を奪取した。現在まで続く三冠王座の中でも最上格の王座であり、この日から現在のノアまでの流れが続いているといっても過言ではない。両者はハンセンや天龍と比べ、よく考えて試合を組み立てる共通のスタイルという点でも一致していた。ブロディの死の直前の鶴田からピンフォール勝ちした試合はブロディがファンと一緒に泣いた試合として有名である。底の見えない鶴田が唯一底を見せていた相手が1980年代前半のブロディであった。
  • 天龍源一郎
鶴田が天龍と対比されるようになったのは、後述するタイガー戸口が新日本プロレスに引き抜かれ、日本人No.3の座が天龍に与えられたことによる(天龍の帰国直前はロッキー羽田も候補であった)。しばらくして、ジャイアント馬場がタイトルマッチ等の第一線を引くことになり、1983年の世界最強タッグリーグ戦において鶴龍コンビが結成された。当初は、天龍が「ジャンボは自分のお守りで大変だった」と後年述べている通り、鶴田が天龍を補佐していた。また、対戦相手にミラクルパワーコンビという強敵が存在したこともあり、すぐに実績は出なかったものの、最強タッグに優勝し、長州・谷津との名勝負を繰り返す中で天龍も存在感を増していった。やがて、長州が全日を離脱した直後に天龍が鶴田の目を覚まさせると挑戦状を叩きつけたことから、両者の闘いがスタートする。格上の鶴田、格下の天龍という関係は、天龍の必死の努力により、ほぼ同格になり、平成元年6月5日の直接対決において、天龍が鶴田を下し、第2代三冠王者に輝いた。この試合は鶴龍対決の中でも最高の名勝負とされている。また、後年のノア武道館に続く観客の足を踏み鳴らす行動は、この試合が最初とされている。日本人トップのスーパーヘビー級同士の全力対決の試合は空前絶後であり、後年の四天王、ノアに大きな影響を与えた。しかし、両雄並び立たず、天龍の全日本離脱により名勝負は終焉を迎える。この離脱について、ジャンボは一定の理解を示している(参考:(a) 筑波大学修士論文 (b) 引退後のインタビュー(オーバー・ザ・シュート) (c) 天龍発言「俺の葬式に来る奴は決まった」)。
  • タイガー戸口(キム・ドク)
戸口とのUNヘビー級選手権をかけた試合には名勝負が多い。天龍は鶴田よりレスリング技術などの面ではやや格下のところを、気迫で同格にした(気迫はプロレスラーのとても大切な要素である)。一方、戸口の場合には、パワー・インサイドワーク・グラウンド等すべての側面において鶴田と同格、ややもすると格上の感があった点で、鶴田のライバルの中では特筆される存在である。アマレス・柔道の対比、体格(193cm)においても鶴田(196cm)に見劣りしない点、世界でも通用していた点など、ベビーとヒールの対比こそあれ、鶴田に並び称されるにふさわしい存在であった。馬場・鶴田が師弟コンビを組んでいた際には、2006年に亡くなった大木金太郎との韓国師弟コンビで対抗していた。1981年に新日本に引き抜かれてからはやや精彩を欠いていたが、WWFに移籍してからは、タイガー・チャン・リーの名前で再びトップを取り、ハルク・ホーガンのライバルとして活躍した。
  • ミル・マスカラス
マスカラスとの1977年8月の雨中田園コロシアム決戦は、アメプロ・スタイルとしての70年代全日本プロレスのベストバウトである(他に代表的な名勝負としてファンクスV.S.ブッチャー・シークがあげられるが、こちらは日本的兄弟愛、勧善懲悪といった要素が占める割合が大きい)。70年代の全日本プロレスで最も華と人気があったレスラーはミル・マスカラスであった。若大将ジャンボ鶴田はマスカラスに対抗するために、得意の跳躍力を生かし、ロープを使った空中戦(フライング・ボディ・アタックやトップロープからのドロップキック等)というプロレスを展開し、体格の差を感じさせないライバル関係を作り上げた。79年のプロレス夢のオールスター戦では、新日本の藤波辰巳と共に夢のトリオを組み、トリプル・ドロップ・キックを放ち、一夜限りの夢をファンに楽しませた。
  • 前田日明
ライバルという枠に属するかは微妙だが、前田日明も対決が望まれた一人である。鶴田は世界中の一流レスラーとほぼ対戦を終えていたものの、未対戦のレスラーが何人かおり、夢の対決として熱望されていた。その代表格が外人レスラーではハルク・ホーガン、日本人レスラーでは前田日明である。鶴田は、格闘技色を強めるUWFに一定の理解を持っていたとされる。これは、自身がアマレス出身であることが影響しており、競技色の強いプロレス(本場所)と演技色の強いプロレス(華相撲)の分離は、彼の修士論文における中心テーマとなっている。このことと、体格において自らにさほど劣らないという点で、前田日明のことは意識しており、引退に際して対戦してみたかった選手として前田の名前を挙げた。一方の前田日明は、鶴田と対戦以前の長州等の新日本系の選手と同様に、鶴田はやる気の無いレスラーとしての認識が強く、名レスラーとしてはむしろ天龍の名前を挙げることが多い。しかし、後のリングス等でのアマレス出身の選手の活躍については軽視しているわけではなく「全日本系ではポテンシャルはピカ一」「アマレス出身プロレスラーの先駆者」といった評価を鶴田に対してすることがある。また「鶴田と前田のどっちが最強?」といった論争は当時のプロレスファンの夢を最も揺さぶるものであり、方向性は異なったものの、両者とも最後にプロレス最強幻想を与えたレスラーと評価できる。
  • 長州力
ライバルというものが、その背景となる団体や組織の名誉をもかけて競い合うものであるとするならば、鶴田に対してライバルであったといえるのは長州力である。ともにミュンヘン・オリンピックにアマレス選手として出場した経験を持つ両者であるが、鶴田の全日本プロレス入団の1年後、新日本プロレスに入団した長州はライバルとして鶴田の名前を挙げた。しかし、当時オールスター戦の例外はあったものの、テレビの契約も厳しく、両団体の交流は実現不可能とされていた。日本人の一流選手で複数の選手のレベルでこの壁を最初に打ち壊したのが長州力である。日本テレビに長州力が初登場したときの興奮は、当時のファンは懐かしく、テレビ局間の交流が盛んな現代のファンでは残念ながら想像もつかない。当時のファンの誰もが夢見たBI砲対決を仮想的に実現する両者の対決をすべてのファンが待ち望んだ。当初両者の対決は8月に予定されていたが、鶴田の入院により流れ、11月4日大阪城ホール、ついに両者は激突。結果は60分のドローであったが、長州と長州ファンは鶴田の奥の深さに気づかされた。現在では様々な面で評価を落としている長州であるが、当時の長州はまぎれもなく一時代を築いており、鶴田との関係はライバルと呼ぶにふさわしいものであった。
  • 藤波辰巳
1970年代後半、馬場の後継者としての位置を固めつつあった鶴田に対し、年齢的にも若く、人気を集めつつあった藤波が、猪木の後継者として雑誌で対比されることが多くなった。鶴田は体格が違うことを当初から意識していたが、藤波はBI砲の後継者としての共感が強く、初夢に対決を夢見ることなどを発言しており、ジャンボも徐々に共感を強め、二人はさわやかなライバル関係を築きつつあった。しかし、両者は団体の最後の支柱であり、長州や天龍とは異なり、両団体を離脱しての交流はありえない点でも一致していた。それでも、交流のチャンスは鶴田の新日ドーム参戦(1990年)や、全日ドーム初開催時(1998年)など何度かあった。その度に、藤波がチャンスを逃してしまったことが結果として両者の関係を遠ざけることとなった。現役時代はさわやかさ、誠実さという点で比べられることの多かった二人であるが、晩年は、新日本プロレスの社長と大学客員教授と対照的な人生を歩むこととなり、両者はライバルというよりは、馬場、猪木の後継者として対比されていたに過ぎなかったというのが現在の一般的な評価である。
  • スタン・ハンセン
スタン・ハンセンと鶴田は、両者とも超一流の選手であるにもかかわらず、お互いの試合では凡戦が多かった。この点で、両者はライバルとは言えなかった面があるかもしれない。鶴田とハンセンの名場面は、鶴田が病気から復帰した際に、二人でタッグを組んだ時のプロレス雑誌の一面がもっとも印象深い。「アマリロ時代に戻ろうぜ!」ファンク一家の下でラーメンを共有しながらエリート鶴田と落ちこぼれハンセンが紡いだ友情は、ハンセンの新日本から全日本への移籍、三冠統一を巡る争いなど長年の積み重ねを経て、見事な結晶に昇華されていた。二人はこの項に出てくる選手の中で、もっとも長い期間を共に戦い続けた、紛れもない戦友であった。
  • リック・フレアー
リック・フレアーがNWA世界王者を奪取したての頃の評価は決して高くなく、短命王者に終わるといわれていた。前王者であるハーリー・レイスに対してNWA選手権では引き分け、UN選手権では勝利すらしている鶴田が勝つことの期待は大きかった。その後の歴史を知るものは、フレアーのインサイドワークが超一流であることを知っている。しかし当時「No!No!」ポーズで逃げるフレアーに強さを感じる日本のファンはなく、なぜ鶴田が勝てないかは日本のファンの理解の範疇外であり、結果として鶴田は「善戦マン」というありがたくないニックネームを頂戴した。NWA世界選手権を通じた結果だけからは、フレアーと鶴田のライバル関係は見えてこないが、若き日米のエースというレスラーとしてのライバル関係は成立しており、フレアーにとっても、体が自分より大きくスタミナも十分で数々のスープレックスも使いこなせる鶴田には強い印象を残していた。2003年のWWF横浜アリーナ興行の際に、フレアーはリング上にて日本プロレス界で闘ったライバル達の名前を挙げた。筆頭に挙げたのは、後年に戦った数々の一流レスラーではなく、1978年4月青森県野辺地町でUNを賭けて最初に闘った「ジャンボ鶴田」であった。
  • ニック・ボックウィンクル
ニックと鶴田の関係はライバルというよりは、鶴田が世界に打って出ていく過程の対戦相手の一人として評価できる。ニックはむしろ、ハーリー・レイスドリー・ファンク・ジュニアなどと並び称される。しかし、クラシカルなプロレスを経てAWA世界王者を奪取した試合は、徳光和夫アナなどを興奮させたジャンボ鶴田の生涯のベストバウトである。他の選手との間ではできなかった何かを、数少ない試合を通して生み出した二人の関係を考えれば、やはり忘れ得ない好敵手の一人であると言える。
  • ディック・スレーター
ザ・ファンクスにプロレスの手ほどきを受けたファンク一家と呼ばれる選手たちがいる。ミリオンダラーマンテッド・デビアス、ニューヨークの帝王ボブ・バックランドといった選手であり、彼らは若きジャンボ鶴田の出世競争相手でもあった。その中でも、喧嘩番長ディック・スレーターとは、若き日米のエースとして、1980年のチャンピオン・カーニバルの決勝を直接争ったライバルであった。試合は、見事なジャーマン・スープレックス・ホールドで鶴田が勝利した。鶴田はその後も着実に実績を積み重ねていったが、スレーターは事故もありいつしか身を持ち崩してゆき、一流のレスラーとは呼ばれなくなっていった。
  • 三沢光晴

[編集] 生涯

[編集] 主なタイトル歴

[編集] その他

  • 中央大学へはバスケットのスポーツ推薦でなく実力で合格した。
  • オリンピックで敗退したときには、アナウンサーから「泣くな鶴田」と慰めの言葉を放送でかけられている。
  • レスラー時代はたまにだがバラエティー番組へも出演しており、プロレス好きの三宅裕司の番組やさんまのまんまにも出演した。また日野自動車トラック井関農機のCMにも出演経験有。
  • 常にマイペースを貫き、いつも「見られる仕事」としてプライベートでも「天龍」を演じ続けた天龍源一郎とは正反対の性格であった。若手選手と飲食店で一緒になっても別におごることはせず、プロレス界のスターでありながらコンビニの袋を抱えて宿泊宿へ戻るなど、プライベートではジャンボ鶴田ではなく、鶴田友美として過ごした。この点には賛否両論あるものの、リング上ではジャンボ鶴田を演じ、プライベートではあくまで鶴田友美として行動するという鶴田のスタイルを貫いていると言える。
  • かつて、日本テレビで放送された『番組対抗かくし芸』にて、ベルサイユのばらのオスカルや、白雪姫コスプレを披露し、色々な意味でファンを驚愕させる(ちなみに、白雪姫の時に王子様を演じたのが大仁田厚で、目覚めのキスシーンも放送されている)。日本テレビの「かくし芸」において全日本プロレス勢が女装劇を披露するのは定例のことで、鶴田はエースとして常に主役を演じていた。
  • 同じく日本テレビの番組で、『催眠術をかけられて、フォールのカウントをとられた時に返せるか?』という質問に挑戦し、催眠術をかけられ眠っている状態から、カウント2で起き上がっている(プロレスラーの本質を説明するためのヤラセと見る向きもある)。
  • テレビ番組でタレントのチャック・ウイルソンと腕相撲を行い、接戦の末に負けてしまったことがある。プロレスラーとしての全盛時であり、相手が柔道や相撲などを得意とする肉体派タレントとはいえ不名誉な出来事だったはずだが、鶴田は悔しがりつつもウイルソンの強さを褒め称えた。
  • 家宝は坂本竜馬の像でプロレスで得たトロフィーなどは無造作に押入れに入れられていたり、欲しがる人にあげていたと言う。
  • 虫が大の苦手。セミはおろか、毛虫なんかもっての他(夫人談)
  • サファリパークに家族で行った時、車が故障してライオンに取り囲まれた際、長男に「ライオンと戦える?」と聞かれて「バカな事を言うんじゃない!」と本気で怖がった。
  • 非常に涙もろく、時代劇の人情モノ等を見ているとすぐ泣く事から、家族に「ほら、泣くよ。泣くよ」と言われていた。
  • 全盛期は強かった事は間違いないが、その強さがあまりにも安定的だったためかえって「つまらない」と言われた時期も短くはない。しかし「超獣」ブローザー・ブロディが鶴田を下してインターヘビー級王座を奪取した後、歓喜の涙を流し喜びの余り観客席に雪崩れ込んで行ったシーンは、ブロディにそうまでさせた鶴田の超人的強さの一端が垣間見られる。
  • 同世代のレスラーに対して厳しい発言をするが、正論でもあった。ライバルのひとりとして見られていた長州に対しては海外経験などを含め「自分は世界中の強豪と戦っている」、藤波に対しては「直接話をせず、マスコミを通しての対戦要求しかしないのが嫌いだった」と述べている(後日、鶴田は藤波に「失礼な発言をしてしまった」と、FAXで謝罪した)。
  • 坂本竜馬の他には、山梨出身故に武田信玄を尊敬していた。鶴田の地元・牧丘は甲州武田騎馬隊発祥の地である。また、鶴田は生前カラオケで歌う歌で「武田節」と言っていた。奇しくも鶴田の命日は、信玄の命日(太陽暦に直した場合)と同じである。

[編集] 入場テーマ

  • チャイニーズ・カンフー
  • ローリング・ドリーマー
  • T.T.バック・ドロップ(1983年8月31日ブルーザー・ブロディ戦(リングアウト勝ちによりインターヘビー級奪取の試合)のみの限定使用)
  • J(1983年12月から)

[編集] レコード発売

[編集] 著作

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


リダイレクト(鶴田友美)のカテゴリ

category:レスリング選手
category:日本のオリンピック選手
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