マイティ井上
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マイティ井上 | |
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プロフィール | |
リングネーム | マイティ井上 ミッキー井上 |
本名 | 井上末雄 |
ニックネーム | ミスターグッドマン |
身長 | 175cm |
体重 | 105kg |
誕生日 | 1949年4月12日 |
出身地 | 大阪府大阪市福島区 |
所属 | プロレスリング・ノア |
スポーツ歴 | 柔道 ボディビル |
トレーナー | ヒロ・マツダ ビル・ロビンソン |
デビュー | 1967年7月21日 |
引退 | 1998年6月12日 |
マイティ井上(-いのうえ)のリングネームでのレスラーキャリアで最も知られる井上 末雄(いのうえ すえお、1949年4月12日-)は、国際プロレス、全日本プロレスでかつて活躍した元プロレスラーで、現在はプロレスリング・ノア所属のレフェリー。大阪府大阪市福島区出身。リングネームの「マイティ」は、新人時代のコーチ、マティ鈴木から取られている。
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[編集] 経歴
高校時代は柔道一直線であったが、高校卒業後に国際プロレス入り。1970年からはストロング小林と共に海外遠征に出向き、「ミッキー井上」のリングネームで活躍した。帰国後はラッシャー木村、サンダー杉山、グレート草津らに次ぐエースにと期待され、得意技のサンセット・フリップと、あんこ型の体型で一躍人気を得た。(同じような体型のDRAGON GATE所属レスラー、ドン・フジイは、井上を目標にしていると発言している。)
1974年10月にはスーパースター・ビリー・グラハムを破りIWA世界ヘビー級王座を獲得。弱冠25歳にして先輩の木村、草津を追い抜き国際プロレスのエースとなった。同年11月にはAWA世界ヘビー級王者バーン・ガニアとダブルタイトル戦を行い引き分けている。しかし翌1975年4月にマッドドッグ・バションに敗れ王座転落。エースとしては半年程度の短命政権だった。その後は草津、アニマル浜口、阿修羅・原らと組んでIWA世界タッグ王座を保持、2~3番手のポジションで戦った。特に浜口とはアジアタッグ王座も獲得した名コンビで、和製ハイフライヤーズなどと呼ばれた。
1981年に国際プロレスが崩壊してからはすぐに阿修羅・原と共に全日本プロレスに移籍。NWAインタージュニア、アジアタッグ(阿修羅・原、石川敬士とのタッグ)などのベルトを巻く。(その頃オースィースープレックスという技をよく使っていた)その後は中堅選手として永源遙、渕正信らとのユニット「悪役商会」で、ジャイアント馬場率いる「ファミリー軍団」との凄絶なお笑い抗争を繰り広げるも、1997年4月に内臓疾患の為長期欠場。結局1998年6月に現役を引退し、8月からはレフェリーに転向した。レフェリー転向直後は、そのあまりにぎこちないレフェリングが逆に観客に大受けし、試合をしているレスラーを食ってしまったこともあった。
2000年の全日大量離脱、プロレスリング・ノア旗揚げの一連の動きにも賛同し、ノア移籍後もレフェリーを務めている。赤いコスチュームがトレードマークであり、主に百田vs永源遙(引退)などの前座試合のレフェリングを担当している。レフェリングは主に「言葉のプロレス」が主体で、観客を沸かせている。
2003年からはテレビ中継解説者としても活躍。その解説はファンからの格好の目線となっているが、公平かつ冷静であり、親父臭さのにじみ出た口調で視聴者からの支持も大きい。
その他、長いヨーロッパ遠征経験や、所属していた国際プロレスにはヨーロッパ出身の外国人選手が多く所属していたことから外国語が堪能である。このことを生かし、現在は外国人選手のお世話係も兼務しており、リッキー・マルビン、バイソン・スミスら常連外国人選手からは非常に頼りにされている。ノアは外国人選手がどちらかと言うと目立たないが、「うちのガイジンレスラーはいい選手が多いよ」と外国人選手をカバーする側に回っている。
[編集] エピソード
- 海外遠征時代にアンドレ・ザ・ジャイアント(モンスター・ロシモフ)と知り合い、アンドレの死まで親交を続けた(初期はフランス語が喋れなかったマイティであるが、アンドレの話すことは何故か理解でき、それ以来親友として付き合った。アンドレが晩年に全日本プロレスに来ていた頃は良き話し相手だった)。
- 現役時代のコスチュームの花柄パンツは有名。また国際プロ時代のリング登場時のガウンも純白のまるでタキシードの襟元中央部のヒラヒラの飾りの様なヒダがいっぱい付いた、良く言えば王子様、悪く言えば乙女チックのショートガウンであった。
- 1978年に東映のドル箱シリーズ、トラック野郎 突撃一番星 (シリーズ7作目)のクライマックスシーンに病院のガードマン役で出演。主人公・星桃次郎(菅原文太)を投げ飛ばした。
- かつては女優の西尾三枝子と結婚していた時期があった。
- 得意技がサマーソルトドロップで、仰向けに横たわった相手に、井上が助走をつけながら前転宙返りをし相手に前身を当てていく技である。この技の使い手は現在のプロレスラーにいないぐらいサマーソルトドロップ=マイティ井上という代名詞になっている。ただアパッチプロレス軍の葛西純はZERO1-MAX時代に「マイティ井上」と叫びながらサマーソルトドロップを見舞ったことがある。
- レスラー引退後は、ジャイアント馬場夫人の馬場元子に全日本プロレスを強制退社させられる寸前だったとのこと。1998年6月12日、日本武道館での引退セレモニーで、周囲の関係者の助言により、事前の了解を取らずに引退後はレフェリーをやると宣言したという。
[編集] タイトル履歴
- IWA世界ヘビー級王座
- NWAインターナショナルジュニアヘビー級王座
- 世界ジュニアヘビー級王座
- IWA世界タッグ
- アジアタッグ王座
[編集] 関連項目
カテゴリ: プロレスのレフェリー | 日本のプロレスラー | 全日本プロレスに所属したプロレスラー | プロレスリング・ノア | 1949年生 | 大阪府出身の人物