落合信子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
落合 信子(おちあい のぶこ、1944年9月18日 - )は、タレントでプロ野球・中日ドラゴンズ監督の落合博満の妻。飯田女子高等学校卒業。
目次 |
[編集] 来歴
- 落合より9歳も年上のいわゆる「姉さん女房」。長野県飯田市出身で、落合博満は現役中、自主トレ先として長野県昼神温泉を訪れることが多かった。夫であり、中日監督でもある博満からは「おっかぁ」と呼ばれている。
[編集] 夫へのサポート
- 落合が入団して1軍に上げて貰えなかった時期、スナックの客であった落合に信子は「あんた一体何がしたいの?」と聞くと落合は「3冠王になりたい」と答えた。
信子は「じゃあんた歯直しなさい」と数百万円を提供して歯の治療・矯正させた。
- 最初の3冠王を取った時の本塁打数が32本だった事から「所詮アベレージヒッターが幸運で3冠王取った」というような批評が有った。落合は本塁打数を増やす為、
「ライトのポールぎりぎりの所をラインドライブが掛かって右に切れてファールになる球を逆回転を掛ける」という天才のみが追求出来るような猛練習をしたがシーズンでその打法が成功したのは1~2本だったと言う。悩む落合に信子が「パリーグでホームラン一杯打ってるのは門田さんみたいな太ってる人でしょ!?あんたも太りなさいよ」の一言で体重を増やし翌年、52本打・146打点・打率0.367で2度目の3冠王を手にした。
- ロッテオリオンズ在籍時から東京に現在の居を構えた都合、中日での現役時代(1987年~1993年)と、2004年からの監督就任時には単身赴任してもらっていたようだが、頻繁に名古屋へ訪れ(川崎球場→ナゴヤ球場→東京ドーム→東京ドーム)、2005年からは息子の勧めもあり、名古屋に住み込んで夫を影から支えている。
選手やその家族、スタッフへの気配りも上手く、2004年の祝勝会の席でもビールかけの会場に息子と一緒にいた。しかし、長男が、当時高校生だったことをすっかり忘れていたようで、そのままビールかけに参加させ、全身ビールでびしょ濡れになった。この件では長男が国士舘高校野球部の部員であった事に加え、このシーンが全国にテレビ中継されていたため、さすがに高野連も看過できず、後に親子共々厳重注意を受けた。
[編集] テレビ出演等
時間を経るとともに、落合の夫人ということ以外にも特異なキャラクターを買われ、TV等にも1人でゲストとして出演することが増えていった。一番出演が増えたのが、一連のサッチー・ミッチー騒動時である。サッチー・ミッチー騒動が長引くにつれ、デヴィ夫人などと共に、当時の関連主要人物のひとりとしてTV番組にひっぱりだこであり、アクの強いキャラクターの中で、主に正論を発する役割を担った。
- 出演番組
- 新春特番なるほど!ザ・ワールドスペシャル(1987年、フジテレビ)
- 森田一義アワー 笑っていいとも!(1997年、フジテレビ)
- サムライスタジアム(テレビ愛知 ゲスト出演)
- テレビCM
- アオキーズ・ピザ(2006年)「ドラゴンズ応援キャンペーン」実施期間中に放送。息子である福嗣と共演した。
[編集] その他
- 巨人・落合誕生秘話
1993年シーズンオフより導入されたFA権を行使しようか悩んでいた落合に対し「あんたが先陣を切らないでどうすんのよ!」と半ば強引に行使させた。その結果、プロ入り前の相思相愛の関係であった長嶋巨人に移籍する。
また96年オフ、かつての三冠王・落合に球団は引き続き残留を要請、フリーエージェント宣言し加入する清原和博や松井秀喜の後見を託すと思われた。しかし落合は出場機会を選び日本ハムファイターズへ移籍、長引いた挙句に結局新たにFA移籍した選手(清原)が同じくFA移籍した選手(落合)を追い出したという最悪の形に終ってしまった。そのため落合を綺麗な形でどう退団させるか球団は苦慮し、渡邉恒雄オーナー自らが、落合と会見(一種のセレモニー)まで行っている。信子夫人はこの場に同席し、オーナーに花束を渡されている。この模様はテレビでも大々的に取り上げられた。このような席に、選手夫人が出席することは極めて異例と言っていいだろう。
- 中日・落合博満監督誕生秘話
中日の球団から夫宛てに「中日の監督を務めて貰いたい」との電話が掛かってきた。落合は進学を控えていた長男のこともあり、断ろうとしていたものの返答できず、躊躇していたが、優柔不断になっていた落合に怒りを発し、「何でもやってみなさいよ」と檄を飛ばし、広告の裏にマジックペンでOKと書いて承諾するように指示、これを見た落合が「はい、分かりました」と答え決意するに至った。
- 日蓮正宗の信者として
落合家は、かつては創価学会員であったが、創価学会が日蓮正宗より破門(1991年)される数年前に、古くからの日蓮正宗の信徒組織である法華講に移籍した。信子夫人は、夫以上に日蓮正宗の信仰に熱心であるらしい。
カテゴリ: 日本のタレント | 長野県出身の人物 | 1944年生 | 人物関連のスタブ項目