森田一義アワー 笑っていいとも!
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森田一義アワー 笑っていいとも! | |
ジャンル | バラエティ番組 |
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撮影方式 | ハイビジョン撮影(2005年7月~) |
放送時間 | 53→57→58分 |
出演 | タモリ |
放送国 | 日本 |
放送局 | フジテレビ系列(FNS) |
放送期間 | 1982年10月4日~ |
公式サイト |
『森田一義アワー 笑っていいとも!』(もりたかずよしあわー わらっていいとも!)は、フジテレビ系列(FNN・FNS)で、1982年(昭和57年)10月4日から放送されているタモリ(この番組では本名の森田一義名義)が司会を務める平日昼帯のバラエティ番組であり、長寿番組でもある。通称:笑っていいとも!、いいとも!。
1980年10月6日から1982年10月1日まで2年間に渡って放送された『笑ってる場合ですよ!』の後番組としてスタートし、現在は東京都新宿区のスタジオアルタ7階にあるテレビスタジオから生放送を行っている。
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目次 |
概要
- 番組を観覧するには、放送日の1ヶ月から10日前までに必ず番組宛に往復はがきで応募する。
- 1人で多数の応募やはがきに記入漏れがあった場合は無効。
- 現在のところ、18歳未満による応募も無効となっている。これは、学校をさぼって観覧させるのを防ぐためとのタモリの意向による(後者は景山民夫との対談集より)。また、前番組『笑ってる場合ですよ!』が18歳未満の応募も受け付けていた結果、早い段階で飽きられてしまったからと言う説もある。18歳以上でも現役の高校生と、卒業していても4月までは原則応募不可となっており、観覧募集のお知らせテロップにも明示されている(ただし特別番組(春・秋の祭典、特大号など)の放送が近づいている場合は末尾に「また、特別番組のご案内をさせていただく場合がございます」と表示している)。
- 関東地区では、開始当初から番組開始(12:00)と同時に時報があったが、2006年からなくなった。
- 青森県・山口県にはフジテレビ系列がないため、青森テレビ(4時間50分遅れ)・テレビ山口(月曜のみ2時間55分遅れ、他の曜日は3時間遅れ:共にTBS系)で夕方に放送されている。高知県にもフジテレビ系列が無かったが、1997年に高知さんさんテレビが開局以後、同県内でも本来の時間帯であるお昼に放送されている。それ以前は、高知放送(日本テレビ系)が夕方に時差放送をしていた。
- 番組タイトルのロゴは、番組スタート以来、1度も変更していない。
- レギュラー出演者の誰かが誕生日を迎えたときには、スティービー・ワンダーの『Happy Birthday』をBGMに誕生日祝いのケーキが出される。ただし若手芸人などの場合はタモリが蝋燭の火を吹き消してしまう。尚、テレホンショッキングのゲストが出演日に誕生日を迎える場合も同様の事を行うが、ローソクの火を消すのは、当然ゲストである。
- 基本的に各曜日のレギュラーは他の曜日に出演しないが、特番などの放送日や映画公開前日(どちらも基本的に金曜日)にエンディングゲストとして登場する事がある。
- いいともに出てくるゲストタレントは大半が宣伝のポスターなどを持ってくる。俳優の場合は出演する舞台・映画・ドラマの宣伝、お笑いタレントの場合は出演する舞台・番組等)。
- 髪の毛を短くしたゲストに対し、タモリが「髪切った?」と言う事が多かった。
- これまでも、多くのタレントがレギュラーとして出演してきたが、本番組への出演をきっかけに売れたタレントは数多い。但し、坂本あきらや井手ひろしのように、本番組の出演が売れるきっかけにならなかったタレントもいる。大抵は人気低迷やスケジュール調整、番組のリニューアルなどにより降板するが、番組と確執を持ってレギュラーを降板したタレントにはダウンタウン、明石家さんま、ナインティナイン、所ジョージ、片岡鶴太郎がいる。しかしいずれもタモリと仲が悪い訳ではなく、特に片岡鶴太郎は降板以降も頻繁にゲスト出演している。
- 1991年1月から、番組終了後にタモリとレギュラー陣が、ファンサービスも兼ねて舞台上でトークをおこなう。その模様の一部は『笑っていいとも!増刊号』でオンエアされ、若手レギュラー陣にとってはフリートークの腕を磨く絶好のチャンスとなっている。トークが無かった頃は、13時から同じスタジオアルタの舞台上で生番組『ライオンのいただきます』(後の『ライオンのいただきますII』現、ライオンのごきげんよう)が引き続き放送されており、たまに『いいとも』のレギュラーが乱入することもあった。
- エンディング終了後の翌日の紹介は、開始当初から何年かやっていたが、2005年から復活している。
- 番組改編期には、番組宣伝に新番組等の出演者がゲストとしてコーナーに参加することがある。特に、新しく始まるドラマの若手人気俳優等がゲスト出演し、観客から黄色い声があがると、その混乱に乗じて、いつの間にか人気俳優の横に一緒に並び、澄ました顔をして新番組の出演者を気取っているタモリが周囲から突っ込まれるのが、恒例となっている。
- 第1回から何年かはタモリの髪型はディップをたっぷりつけた七三分けだった(~1989年)。その後は5:5分け(俗に言われていたバレンチノカット)にしていたが、1990年に起きた自ら所有するヨットの支柱に額をぶつけたあとに現在のオールバックになっている。サングラスについては、この番組での最初のものはこの番組のみでつけ、他番組では違うものだった。なお、サングラスは番組中1990年、1991年、1995年、2002年の4度変更している。
主な出来事
- 明石家さんまは、たまたま第1回放送のオープニングをテレビで見ていて、「3ヵ月で終わる」と思ったと、某番組[要出典]で後日談として話していた。しかし、現在では「同一司会者により最も多く放送された生放送番組」としてギネスブックに認定されるまでになった。
- タモリがこの番組を休んだのは、ヨットの支柱に額をぶつけた時(1990年)、船舶免許を取得する時(1995年)、ゴルフのプレイ中に起こった事故による時(2001年)などのほか、かつては『今夜は最高!』(日テレ)の海外ロケを兼ねて定期的に夏休みをとっていた。
- 2002年2月22日、マイクロソフト会長のビル・ゲイツが出演。タモリに『Xbox日本1号機をもらえる券』と引き換えにXboxを手渡した。
- 火曜日レギュラー出演のDonDokoDonの山口智充は単独出演しているが、初登場では、相方の平畠啓史とのコンビ出演であり、2003年末には、平畠がゲスト出演をし、山口との漫才を繰り広げた。近年は、山口が出演の際は、「DonDokoDon」と表記していない。
- 2005年7月25日から、スタジオアルタのハイビジョン化工事の完了によりフジテレビ・東海テレビ・関西テレビの地上デジタルテレビジョン放送ではハイビジョン放送(画面サイズが16:9)で放送されるようになった。他の系列局でも順次地上デジタル放送開始と同時にハイビジョン放送される予定。尚、青森テレビでは“ハイビジョン製作”と表示されているが、フジテレビとの中継回線の関係で現在でも両サイドに黒縁がでている。また、地上デジタル化されているテレビ山口でも遅れネットの都合上か両サイドに黒縁がでている。
- 新宿スタジオアルタがハイビジョン化工事(期間:2005年6月25日~同年7月24日)のため2005年6月27日~7月22日の放送分はフジテレビのV3スタジオから生放送された。過去には出演者全員をハワイに連れて行き、一週間だけ番組をハワイから生放送をした。その他、国際スポーツフェア会場(国立代々木競技場)や、1987年に開催されたイベント『夢工場』の晴海会場から生放送をしたこともある。
- 司会のタモリも2005年8月22日で還暦(60歳)を迎え、高齢になったことにより、司会交代や打ち切りなどの噂もちらほらではあるが出てきている。余談だが、2003年1月5日の『笑っていいとも!増刊号スペシャル』で姓名判断をした結果、「いいともは71歳まで出来る」という結果が出ている(なお、タモリもいいとも内では時々、老人になったあとの姿を想像して表現し、ネタにしている)。
- 2006年3月28日放送分のオープニングでタモリが「4月で番組が終わりますから」と、前年の例のあのことをほのめかす発言をして会場を最高に盛り上げた。
- 番組終了時のトークで、タモリがドッキリとして、「お台場記念ゲストです! 福山雅治君です!」といって、しばしば冗談をいっていたが、2006年5月15日の放送終了後にてその日のテレフォンショッキングに出演していた福山が登場、出演者や観客が大いに盛り上がった。
- 2006年6月13日放送で、火曜日レギュラーの久本雅美が、風邪で高熱を出して休んだため代役で猫ひろしが登場した。また、久本が進行する「庶民ノーベル賞」のコーナーは、梨花が担当した。また、その翌週の2006年6月20日では、同じく火曜日レギュラーの中居正広が流行性角結膜炎のため、レギュラー12年間で初めて休むことになった。
- 2006年10月2日~10月6日までの一週間は、番組開始から25年目に突入することを記念して、お台場のフジテレビから生放送され、同年10月7日土曜日には秋の祭典スペシャルが放送。
報道特別番組等による番組編成変更
長期間に渡る放送の中では、臨時ニュースなどで放送を中断する事も多かった。
過去に報道特番や臨時ニュース等で、急遽休止・途中中断・一時中断などの処置が採られた主な出来事は以下の通り。
- 休止
- 途中中断
- 一時中断
- その他の事例
- 1985年8月13日 日本航空123便墜落事故の際、各局が報道特別番組を流し、フジテレビもそれに追従する(生存者救出のスクープ映像も獲る)中、本番組だけは通常放送された。
- 1989年1月9日~1月13日 昭和天皇崩御により、「歌舞音曲(かぶおんぎょく)」を控えるという意味合いからか、総集編が放送された。
- 1995年2月17日・1996年1月17日 阪神・淡路大震災の式典中継の為、12:10放送開始となったほか、オープニングの歌・オープニングコーナーがカットされた。
- 2005年4月25日 JR福知山線脱線事故発生の際、他局は特別報道番組や番組の内容を変更して放送している中、フジテレビは事故を一切考慮せずに、通常の番組編成で放送し続けたため、多くの非難を浴びた。この事が、関西地区に於ける視聴者の「いいとも!離れ」を加速させたという意見もある。
- 2006年7月5日 早朝の北朝鮮によるミサイル発射実験を受けて、12:15頃からの安倍晋三官房長官(当時)によるこの日3回目の記者会見(北朝鮮に対する経済制裁の決定)を生中継した為、テレフォンショッキングのコーナーが12:20頃開始となった(この後にFNS系28局で放送された『出雲駅伝』の生中継では13:10分頃に奥寺健・藤村さおり両アナウンサー(共に報道部の在籍)による4回目の記者会見中継を10分間放送している)。
- 2006年9月15日 - 秋篠宮妃紀子と悠仁親王が正午過ぎに愛育病院を退院し、赤坂の秋篠宮邸へ戻る模様を12:28頃から生中継した為、「金12」のコーナーの開始が12:36頃となった(このコーナーではメンバーの回答が終わった後CMが入るが、この日は途中のCMを省略した。コーナー開始前に入れたためと見られる)なお、時差放送のATVでは報道特別番組の枠ではCMを長く放送し本編を前倒しで放送して正味の放送時間(通常58分)が"短縮"(51分55秒)となった。なお、短縮になった分は、番組案内と他のCMで穴埋めした。
提供クレジット
現在
- 関西テレビではタモリが歌った後提供が無くトークの途中でもCMに行ってしまう為「いいともー!」の掛け声を聞くことが無かった(CM明けのテレホンショッキングに入る直前の5秒間だけ別のCM、当初はブルーバックに「笑っていいとも!」と描かれた画像)。しかし、タモリが歌わなくなってからはオープニングコーナーの後、「いいともー!」の掛け声の後全員で一礼するまできちんと流れる様になったが提供は表示されない(但し、後半の提供はきちんとある)。また、一時期11時59分57秒から12時までの時計表示が行われた事もあるが現在は無い。
- テレビ山口ではカード会社1社が単独提供となっているが、放送開始の時はバックで「いいともー!」をやっている画像に提供クレジットとアナウンスがかぶされ、終了前はブルーバックにBGM、提供クレジット、アナウンスがかぶされる。番組途中の提供クレジットはそのまま放送される。また、テレビ西日本の視聴が可能な山口県西部中部とテレビ新広島の視聴が可能な山口県東部の一部地域では、その日の同じ内容の放送が昼と夕方とで1日に2度視聴できる。
- 青森テレビでは某製薬会社を中心とした複数提供(単独提供の日もあり)となっているが、「いいとも~!」をやっている画面には提供スーパーの表示が無く、その直後にブルーバックで提供クレジットがある。また、番組途中の提供スーパーは番組のタイトルロゴで隠され、「ここまではご覧のスポンサーがお送りしました※」の部分もブルーバックの提供クレジットに差し替えられる。尚、青森県では北部沿岸地域や津軽半島沿岸部及び青森市内での青森ケーブルテレビ加入者は北海道文化放送で、上十三地域や下北地域のそれぞれ一部地域及び三八地域のほぼ全域で岩手めんこいテレビが、深浦町岩崎地区(旧岩崎村)で秋田テレビが視聴できる地域でも2度楽しめる。尚、金曜日の終了直前の予告では青森テレビで放送されない『増刊号』の予告が、そのまま出される。なお、かつては提供スーパーに入る直前でブルーバックになっていた。
※印は、水曜日のコーナー「客席アンケート 答え全部出せるかな」でタモリが、「三つ間違ったら、コマーシャルとコマーシャルの間に躍らせるぞ」と言っている部分である。 - なお、製作局であるフジテレビ(関東地区)では当初からブルーバックを使用していない。
過去
- 1990年台初期(詳細期間は不詳)までは地方によって、オープニングの提供クレジット部分が、ブルーバックになっていた。
スポンサーについて
- FNS同時ネット局では番組前半に局ごとにローカルスポンサーが付き、番組後半に下記のネットスポンサーが毎日交代で付く。但し、全曜日又は一部曜日でローカルスポンサーが付かない局がある(関西テレビなど)。
- 尚、ミスタードーナツがネットスポンサーに付く日は、青森テレビのスポンサーにも付く。
- 現在のスポンサー
- 以前のスポンサー
コーナー
- さまざまな変更があり、コーナー司会者が変わったり、コーナー名の一部の変更、内容のリニューアルなどが挙げられる(司会が変わったのは木曜日の「めざせ!達筆王」での三村マサカズ→青木さやか、月・火曜日の「マネージャー(後に関係者)事情聴取・犯人は誰だ!」での久本雅美→香取慎吾(「ザ・定番ショー」では逆に香取→久本)、コーナー名の一部の変更では「NEWSダウトJAPAN!~芸能界の真実はどっち!?~」→「NEWダウトJAPAN!!」、「やっと解決!私の疑問はみんなのギモン」→「世界ライトギモンQ知りタイトルマッチ」→「世界ライトギモンQ知りタイトルマッチHYPER」、「このセンス許センス」→「輝け!許センス大賞」など)。
- 「テレフォンショッキング」以外でまったくコーナー名・内容・司会が変わっていないものとしては、1999年から続く関根勤司会の「身内自慢コンテスト(元々は、1996年から行われていた「彼氏自慢 - 」だった)」がある(現在は春・夏・冬休みのみの特別企画)。関根勤が出てきた素人を弄る(例:紹介する際に「モーニング娘。の名前を全員フルネームで言えます」と説明)ことによって笑いをとるスタイルは昔から変わっていないが、どちらかというと当初は芸能人に似ているかだけを競うよりも、当人のインパクトや個性を楽しむことに重点を置いていた。 しかし、このコーナーも2006年冬休みから「おーい、そっくりさん!」にタイトル変更し、紹介された人が後ろ向きで登場、そっくりな人の名前を会場のみなさんから呼ばれたら正面を向き似ているか判断する形になった。しかし、出てきた素人を弄るスタイルは変わっていない。
- 第一回放送の最初のコーナーは「タモリの世界の料理」。テレフォンショッキングは最後のコーナーだった。当初からレギュラーコーナーとしてやっているのはテレフォンショッキングだけである。本番組で過去に行われていたコーナーから現在のコーナーを含めると優に1万は超えているといわれているため、ここでは省略する。
- オープニングはタモリが歌った後、タモリが軽くトークをしてすぐにCMとなっていた(例外として、金曜はレギュラーの明石家さんまが出てきていた。また、87年頃はさんま、所、鶴瓶、鶴太郎、関根ら各曜日のリーダー的存在のレギュラーが一人出てきてタモリとトークしていた事もあった)。1988年頃から全曜日レギュラーがタモリが歌った後にすぐ出てきて、軽くトークをしてすぐにCMというオープニングへ変更し、1992年頃から、オープニングコーナーが始まった。2000年にはタモリが歌わなくなったため、すぐにレギュラーが出てきてオープニングコーナーが始まるという体制となっている。
- 現在は、日替わりコーナー1本、テレホンショッキング、日替わりコーナー2本、いいとも選手権と言う順番で放送しているが、生放送の為、テレホンショッキングや番組後半の日替わりコーナーの2本目が長引いた場合、3本目をカット及び3本目のゲームでの問題を通常2問から1問に減らすなどしていいとも選手権を放送し、そのままエンディングになる時がある。通常、当日にオーディションを行う視聴者が出演するコーナーを優先するが、日替わりコーナーが2本とも視聴者出演のコーナーだった場合や、報道などの事情で事前オーディションに受かって出演予定となっていた視聴者が出演できなかった時もある。しかし、一部コーナーでは最近、時間切れなどの対応をしている。
- 2006年3月28日の「なぞなぞ将軍ちゃま」内で、中居正広が、登場早々泣き出す出題者の女児に手の打ちようがなくなり、女児に調子を合わせるように、「もう人前で歌いたくないよ~」等と泣き真似をしながら訴えた。また、その混乱に乗じてタモリも、「毎日昼間から生放送やりたくないよう~。もう24年海外旅行行ってないよ~」と、同様に心情を吐露し、山口智充に「タモさんそんなこと思ってたんすか?」と突っ込まれた。
- いいとも放送中でBGMとして使用される番組オリジナル曲はあまりなく、現在使われている主な楽曲として、番組テーマ曲であるいいとも青年隊『いいとも気分』(これは実際にシングル化された)、テレホンショッキングのテーマ、CM入りのジングル(通常用と特大号用の2バージョンがある)、エンドロールBGMなどごく少数しかない。(番組内で使用されているBGMについてを参照)
2007年4月現在
- 月曜
- 君の名は!? もりたかしずよ
- ランキングバトル めざせぴったり21
- ギリギリヒント! 当たっちゃドカン
- 火曜
- 花より双子。
- オンナの品定め
- マジでこたえる5秒前
- 水曜
- 人間ダウンロード 音楽アンジェラ暗記
- 本日限定プラチナランチショー ~アルタの花道~
- アナタのハートをわしづかみ!! 決めゼリフ5
- 木曜
- いいとも携帯写真はじメール
- 人間プロファイリングQ ハメ込みナンバーズ
- 意外と忘れてる昔ばなし 話咲か劇場
- 金曜
- カワ嘘
- まちがったっていいじゃないか だって芸能人だもの
- 剛に挑戦! っぽい顔コンテスト
- おーい、そっくりさん!(春・夏・冬休み特別企画)
- 増刊号
- めざせ!達筆王
テレフォンショッキング
テレフォンショッキングは、毎回ゲストを呼んでタモリとトークをする、本番組の看板コーナーである。
- 詳しくはテレフォンショッキング、また出演ゲストの詳細はテレフォンショッキング・出演ゲスト一覧の「1980年代」「1990年代」「2000年代」を参照のこと。
※「明日来てくれるかな?」「いいとも!」の掛け合いが終わるとタモリは丁重な言葉で依頼しているが、拍手やBGMでほとんど聞こえない。
曜日対抗いいとも選手権
曜日対抗いいとも選手権は、番組の最後に当番組オリジナルのユニークな競技を曜日対抗で競う。種目は毎週変わる。1997年3月までは「タモリンピック」という名称だった(IOCやJOCの意向によりコーナータイトルを変更)。ちなみに、種目としてよく使われる飛び道具の代表例として風船が挙げられるが、過去に一度だけタモリの似顔絵イラストがプリントされたものが2個組で『お台場冒険王』の同番組特設ブースにて特製うちわ(こちらは番組タイトルロゴをプリント)とともに販売されたことがある。
番組内で使用されているBGMについて
- いいとも放送中ではよく番組オリジナル曲以外の楽曲がBGM曲として使用されることが多く、特にアニメや特撮の関連楽曲の使用頻度は高いとされている。
- 番組内で使用されている(された)主な楽曲
- 「涼宮ハルヒの憂鬱」エンディング曲『ハレ晴れユカイ』※ショートアレンジ : 2006年ドイツW杯勝敗予想企画
- 映画「ロード・オブ・ザ・リング」テーマ曲 :「ワード・オブ・ザ・リング」シリーズ
- アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」次回予告BGM※ショートアレンジ
- アニメ「カウボーイ・ビバップ」シリーズオープニング曲『Tank!』 :「曜日対抗いいとも選手権」他
- ゲーム「スーパーロボット大戦α」CFイメージ曲『GO!』※エンディング部分のショートアレンジver. :「まちがったっていいじゃないか だって芸能人だもの」回答者アンサー前BGM
増刊号・特大号
- 毎週日曜日の10:00~11:45に『笑っていいとも!増刊号』として、5日分のダイジェスト並びに放送終了後のトークや増刊号でしか見られない特別企画などを放映(一部地域は放映時間が異なるか、未放映の地域もあり)。夏のFNSの日内でも『笑っていいとも!増刊号 生スペシャル』が生放送される。
- 年末には月曜日から金曜日までのレギュラー陣が総出演する『笑っていいとも!特大号』を放送。現在、新ドラマの出演者達が出演する『笑っていいとも!新春祭』(2005年度で終了)と『笑っていいとも!春・秋の祭典スペシャル』(春・秋、2001年の春から)を、タモリと中居正広を司会として放送している。
- 年末から翌年の第1週の木曜日にかけては休止が多く、2004年から特番の「~特大号」の水曜日が年内最後となり、年末に後番組『ごきげんようスペシャル』(1998年から)、年始に『笑っていいとも!増刊号スペシャル』を放送しているが、タモリの冒頭の挨拶は明らかに年末に撮影されたものだとわかるようなコメント(「何故かまだね、年末気分でね…」など)をしている。
記録
- 2002年4月5日に放送5000回を達成したため、単独司会者による生放送の長寿記録として2003年版ギネスブックにも認定され、掲載されている(番組自体が申請した)。2003年1月15日放送分では「ギネスブックに載った喜びを小泉首相(当時)に伝えたい」とタモリが言っていたために、小泉の秘書官である飯島勲に電話したところ、ちょうど隣に小泉がいて電話で生出演、小泉は本番組が生放送だと知らなかったことを明かし、「5000回おめでとうございます。私にはとても無理。500日くらいかな」と、自分の任期と比べた発言をした。最後にタモリから「これを機会に一緒にお食事でも」と持ちかけられると、「いいとも!」と、お約束の言葉で締めた。
- 2006年3月7日に放送6000回を迎えた。これを記念して、当日のコーナー「SPEED」で、出演者が成功したらプレゼントされるメロンパンにも、6000回という焼印が入れられた。しかし、梨花が失敗したため、プレゼントされなかった。が、その後の「なぞなぞ将軍ちゃま」で、梨花が子供のなぞなぞに正解し、特例としてプレゼントされた。このなぞなぞの出題者の子供は登場のときから泣いており、梨花が当ててメロンパンはお客さんにプレゼントされたが、子供はおもちゃがもらえなくなってしまったため、エンディングでは梨花がその子供を慰めていた。
テーマソング
- 冒頭で流れる『ウキウキWATCHING』(作詞:小泉長一郎、作曲:伊藤銀次、編曲:鷺巣詩郎)が有名。第1回以降、オープニングでタモリの登場と共に、アシスタントである「いいとも青年隊」と同曲を歌って踊る事が毎日の慣習となっていた(注・第1回はタモリが出てくるタイミングを間違えて、きちんと歌うことができなかった)が、2000年3月31日放送分を最後にタモリは歌わなくなり、現在ではオープニングは短縮されている。タモリが歌わなくなってしまった理由は、タモリ自身が「歌うのは恥ずかしい」と当時のプロデューサーだった荒井昭博に頼みこんだということだという(2000年3月の放送分より)。またタモリは「生放送で歌う司会者なんている?」などとも語っている。ただし現在でも、「特大号」では歌っている。
- オリジナルバージョンは、いいとも青年隊のシングル『だったらツイスト』のB面に収録されている。
- 1988年、昭和天皇の体調が悪化しはじめ、日本国内が自粛ムードに包まれると、オープニングは省略され、全く異なるBGMとともにいきなり『テレホンショッキング』から始まる構成に変更されていた。昭和天皇崩御後の1989年(平成元年)から再びオープニングが『ウキウキWATCHING』に戻った。
- 何回か歌詞をマイナーチェンジしている。3代目のスタッフ隊と4代目の半熟隊のときには全くのオリジナルバージョンであり、レコード化はされていない。また、5代目のチャイルズのときには2番が採用された。
- 2004年の『27時間テレビ』の「増刊号スペシャル」では、その年のMCの、中居正広・ナインティナインをいいとも青年隊として、『ウキウキWATCHING』を歌った。
- 1987年ごろからは歌っている最中にタモリが「イエイ!」「今日もいいかな!」などとも言っていた。
視聴率
- 初回は4.5%(関東地区)という低視聴率だった。同時間帯に放送されていた人気漫才タレントが勢揃いする番組『笑ってる場合ですよ!』の後を受けて始まったが、当時深夜色の強いタレントだったタモリを司会に大胆起用した以上、十分予想できる事態であった。しかし開始から半年も経たないうちに数字が上昇し、祝日等に25%前後の視聴率を叩きだした。
- 最高視聴率は、1988年4月29日の田原俊彦がテレフォンショッキングに出演した回の27.9%(ちなみにこの日は、昭和天皇の天皇誕生日による祝日でもあったためであろうとも推測される)。「増刊号」では、1984年2月26日の29.7%。関西・名古屋地区では35%前後を記録したこともあった。
- 1990年頃まで視聴率は10%台後半、1990年頃から1997年春頃までは15%程度で安定していたが、1997年以降は一桁台を記録する回が出始めた。番組自体のマンネリ化や、無駄にレギュラーを増やしたり、司会のタモリがテーマ曲『ウキウキWATCHING』を歌わなくなるなどの理由が挙げられ、以前に比べて視聴率は下がっている。しかし、同時間帯の番組の中では安定しており、常に首位に立っている。但し関西地区では、『ワイド!スクランブル』(テレビ朝日制作、関西では朝日放送にて放送)や『ピンポン!』(TBS制作、関西では毎日放送にて放送)を始めとする裏番組の台頭で、学校の長期休暇期間時以外はこの時間帯の首位から陥落することが多くなっており、視聴者離れに歯止めが掛かっていない。
- 夏休みなどの休暇・休日で、普段見ることのない児童・学生らが見ることも、視聴率が安定し、長寿番組化した1つの要因と言える。夏休み、冬休みの時以外はいいとも増刊号のほうが視聴率が高い。
レギュラー出演者
曜日 | 出演者 | テレフォン アナウンサー |
---|---|---|
司会 | タモリ(森田一義) | ― |
青年隊 | 植野堀誠(表記は、「植野堀まこと」)、村中一輝(表記は、「村中かずき」) (※2006.04-。2人とも一般公募から選ばれた。オーディションの模様は増刊号で放送された)。 |
|
月曜日 | 香取慎吾、勝俣州和、ガレッジセール(ゴリ・川田広樹)、劇団ひとり、ほしのあき | 平井理央 |
火曜日 | 久本雅美、中居正広、山口智充、品川庄司(品川祐・庄司智春)、梨花 | 松尾翠 |
水曜日 | 爆笑問題(田中裕二・太田光)、柴田理恵、石原良純、オリエンタルラジオ(中田敦彦・藤森慎吾)、南野陽子 | 渡辺和洋 |
木曜日 | 笑福亭鶴瓶、おすぎ、青木さやか、キングコング(西野亮廣・梶原雄太)、三船美佳 | 田淵裕章 |
金曜日 | 関根勤、草彅剛、ピーコ、さまぁ~ず(三村マサカズ・大竹一樹)、南海キャンディーズ(山ちゃん・しずちゃん) | 宮瀬茉祐子 |
増刊号 | 斉藤舞子 |
- 過去に出演していたレギュラー出演者については、笑っていいとも!レギュラー出演者一覧を参照。
テレフォンアナウンサー
現在担当している、ならびに歴代のテレフォンアナウンサーについては、笑っていいとも!レギュラー出演者一覧を参照。
ネット局
- フジテレビ系列(クロスネットのテレビ大分とテレビ宮崎も含む):毎週月~金曜日 12:00~13:00(生放送)
- 青森テレビ(ATV)、テレビ山口(tys)(ともにTBS系列):当日ATVでは4時間50分遅れの16:50~17:50まで、tysでは月曜のみ2時間55分遅れの14:55~15:50までで、火曜~金曜は3時間遅れの15:00~15:54まで、それぞれ遅れ時差放送(但し、ATVでは緊急・重大ニュース等で「JNNイブニング・ニュース」が枠拡大される場合は休止され、祝祭日の放送は休止される場合もある。その場合でも隣接地域のFNS系列局直接受信可能地域やFNS系列局の再送信を行っているケーブルテレビ局の加入世帯での視聴は可能)。尚、2006年10月9日体育の日の放送は、青森テレビでは15:15から16:15に放送した。(北朝鮮の核実験の関連報道は、関係なかった。)
- 又、クロスネット時代のテレビ長崎でも夕方に時差ネットが行われていた。
- かつては、テレビ岩手、山形テレビ(1993年3月までFNS系列)、山梨放送、四国放送、高知放送、大分放送でもネットしていた。
- ただし山梨県ではほとんどの世帯がアンテナ受信(東部では直接受信できる)かケーブルテレビ(デジタルでも視聴可能になる見込み)経由でフジテレビを視聴できる。
- 尚、かつては冒頭に「新宿情報ビルスタジオアルタから生放送」のテロップとネット局のロールが流れていた(これは録画放送となっている時差ネット地域でも例外ではなかった)。
- 番組開始当初、沖縄テレビが視聴不可能だった沖縄県の宮古島と石垣島は、宮古テレビ、石垣ケーブルテレビで一時期のみであるが、それぞれ午後に時差ネットしていた(2局とも、ネット局のロールには表示せず)。
番組予告
1998年秋から『FNNスピーク』放送終了後の11時57分15秒から11時57分30秒に「次の番組は・・・」として放送されている。ただし毎年1月第3月曜日は『ソニーオープン・イン・ハワイ』を10時~12時まで放送している(この日は『FNNスピーク』自体も放送休止)ため、放送されない。
放送実施局
- ※高知さんさんテレビは『FNNスピーク』の後半の全国枠の放送がないが、(ローカル出しの)エンディングの後『ステーションブレイク』を挟んでジャンクションを放送している。
- ※2006年1月から関西テレビ放送(KTV)でもジャンクションが放送されていたが、関西の視聴者から不評だった為(関東ローカル的なイメージもあって?)、わずか1カ月で打ち切られた。
枠内で時刻表示を行っている局
- 尚、遅れ時差ネットのATVも「いいとも!」番組スタートから時刻表示(16:50~)を行っているほか、かつてはOHKでも時刻表示あった(番組開始時~2004年4月1日)。
- また、CM中は時刻表示を消去する放送局がある。
スタッフ
- スーパーバイザー:高平哲郎
- 音楽:鷺巣詩郎、伊藤銀次
- 編成:坪田譲治(2002年7月2日~2006年7月は6代目プロデューサー)、中島寛朗
- 制作進行:印田弘幸
- AP:春名剛生、門澤清太
- ディレクター:2006年7月以降
- プロデューサー:石井浩二(7代目プロデューサー、2006年7月~)
歴代スタッフ
- 初代プロデューサー:横澤彪とひょうきんディレクターズ
- 小林豊(開始当時のテレフォンディレクター、現スポーツ局長)
- 吉田正樹(いいともスタッフ隊、1990年頃ディレクター)
- 鈴木恵吾(4代目プロデューサー、1994年秋から1995年秋頃まで)
- 松村匠(1995年頃ディレクター)
- 片岡飛鳥(1995年秋から1997年春頃までのディレクター)
- 荒井昭博(1990年秋~2000年代初期ディレクター→1995年秋~2002年6月まで5代目プロデューサーを担当、現編成部部長補佐)
- 小松純也(2005年7月までプログラムディレクター、現編成部主任)
- 増田俊郎(90年代中期頃を中心に劇伴を担当、後期に入ってから鷺巣・伊藤両氏が再登板)
歴代セット
- 初代 1982年10月4日 - 1987年10月
- (1983年にマイナーチェンジ)
- 2代目 1987年10月 - 1989年3月
- 3代目 1989年4月 - 1990年9月
- 4代目 1990年10月 - 1994年9月
- 5代目 1994年10月 - 1995年9月
- 6代目 1995年10月 - 1999年1月
- 7代目 1999年1月 - 2001年4月13日
- 8代目 2001年4月16日 - 2002年1月18日
- 9代目 2002年1月21日 - 2003年12月26日
- 10代目 2004年1月5日 -
- (2005年6月27日 - 2005年7月22日は、10代目セットをフジテレビ内スタジオに移転、同じ10代目スタジオのレプリカを22階の見学コースにも製作し、一般公開した。2005年7月25日にマイナーチェンジ。)
- スタジオアルタが貸しスタジオの為、毎回セットを組み直している。一度『ダウンタウンのごっつええ感じ』でダウンタウンらが番組の企画でいいとも!のセットを出演者に黙って組み立てたことがある。その時、上手の入り口の上にポットを置いていた。出演者もダウンタウンらがセットを組み立てたことや上手の入り口の上にポットを置いていたことも全く気付かなかった。
- 背景ホリゾントの色は1週間に1回変わる(青→オレンジ→緑→ピンク)。
- 番組開始当初のセットには中央の笑っていいとも!のロゴが無く、両脇のドアの上に書かれていた。
- 中央の笑っていいとも!のロゴに電飾がついたのは初代のセットのマイナーチェンジから。
- 笑っていいとも!のロゴの裏の飾りは7代目のセットまでWの形をした同じ物が使われていたが、8代目以降はセットが変わるたびに変わる様になった。9代目までは形がかわっても銀色だったが、10代目は金色となっている。
- 中央の笑っていいとも!のロゴは初代から統一して同じデザインで赤だが、8代目のセットは青(途中から黄色に変更)、9代目セットはオレンジ色だった。
- 10代目のセットの初日にはタモリがオープニングとテレフォンショッキングの時に「派手なセットだねぇ~」と語っていた。10代目はいままでにくらべ多少派手さが強調されている。
- 新レギュラー発表の記者会見の時、中央の笑っていいとも!のロゴは、「笑っていいとも!新レギュラー発表記者会見」となる。
- 2005年7月16日より8月31日まで開催された夏のイベント『お台場冒険王2005』では、社屋22階フォーラムにてアルタのセットが完全再現された(当時10代目)。このセットで公開されたカメラ機材も、2005年6月24日までアルタで実際に使用されてきた旧機材である。
- LEDパネルが組み込まれたのは10代目セットのマイナーチェンジから。「いいとも!」のロゴやコーナータイトルのロゴが流れる。)
書籍
- 世紀末ゲーム-爆笑!オールスタータモリンピック(フジテレビ出版、ISBN 4-594-01080-6、1992年11月)
- 笑っていいとも!あー(学研、ISBN 4-05400-933-6、1997年11月)
- LOVE LETTERS-すばらしいラブレターの世界(ワニブックス、ISBN 4-8470-3269-1、1997年12月)
- 秘密のつながりグランプリ(興陽館、ISBN 4-87723-128-5、1998年12月)
- 科学実験で笑っていいとも!(学研(学研M文庫)、ISBN 4-05-902015-X、2000年11月)
- 森田一義アワー 笑っていいとも! 曜日対抗いいとも選手権!!BESTゲーム集88(河出書房新社、ISBN 4-309-26596-0、2002年10月)
- 目指せ!達筆王~すぐに上達する132のコツ~(扶桑社、ISBN 4-594-05113-8、2006年3月)
ほか多数
その他
外部リンク
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番組の変遷
フジテレビ系列 平日12時枠(1982.10~) | ||
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