藤原健
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藤原健()はエンジニア・プロデューサー・空手家
昭和44年初頭より喧嘩十段と云われた天才空手家、故芦原英幸氏より極真空手を学ぶ、小学生の時第一回オープントーナメント全世界大会を応援観戦為上京した際、極真会館大山倍達館長より「極真空手はねぇ、総合武道だよー、空手向上の為にキックボクシング・柔道・レスリング何でもやりなさい。そして、空手で一番強く成りなさい」と直接言われた事により柔道を始め、中学二年で黒帯を許される。柔道[黒帯修得と同時にキックボクシングも開始。また、空手では高校一年に上がると同時に黒帯を許される。そして、第十二回オープントーナメント全日本空手道選手権大会に出場すべく稽古に励むが、師匠の極真会館脱会により出場断念。師匠の芦原会館設立に付いて行くも、幾つか他の分野も開始する。一方空手修行も、暫くキックボクシングに重点を置くが、高校二年よりアマチュアレスリングの修行も開始、しかし、進学の為上京後、学校の友人5名とモーターサイクルレースを始め暫く空手から離れる。しかし資金難の為途中断念、その借金返済の為に放送業界のアルバイトを始め後にラジオやテレビ等のサウンドエンジニアとして活躍。また、デジタル放送黎明期のプロデュースも行う。