西村一孔
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西村 一孔(にしむら かずのり、1935年10月11日 - 1999年3月1日)は山梨県大月市出身の元プロ野球選手、コーチでポジションは投手。背番号は20。
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[編集] 来歴・人物
高校時代は無名の選手だったが、全藤倉の監督だった吉田正男の目に留まり、投手に専念することになる。
1954年の都市対抗野球で、27イニングス連続無失点の都市対抗野球記録を打ちたて、注目を浴びる。
1955年、タイガースでは3人目のルーキーの開幕投手になり、その年は、60試合登板で22勝17敗、防御率2.01の大活躍を見せ新人王を獲得する。
しかし、この年の酷使の影響で1956年は出遅れる。更に、盲腸炎を拗らせてしまう。
結局、復活することはできず、1960年オフに引退する。
1961年に二軍の投手コーチを務めた後に退団。1999年3月1日、胆管癌で死去。
弟に1966年の二次ドラフト一位で阪神タイガースに入団した西村公一がいる。
[編集] 略歴
[編集] 生涯成績
登板100試合 勝利31 敗戦20 完投13 完封6 投球回数443.1 奪三振419 防御率1.95