軍慰安所従業婦等募集に関する件
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軍慰安所従業婦等募集に関する件(ぐんいあんじょじゅうぎょうふとうぼしゅうにかんするけん)とは1938年3月4日付け陸軍省兵務局兵務課起案(梅津陸軍次官押印)による、北支・中支軍参謀長宛の副官通達案。(陸軍省公文書)
防衛庁防衛研究所蔵 陸軍省大日記類 陸支密大日記 昭和13年第10号 陸支密第745号。
目次 |
内容
受領番号:陸支密受第二一九七号 起元庁(課名):兵務課
件名:軍慰安所従業婦等募集に関する件
(押印欄)
・保存期間:永久(印)
・決裁指定:局長委任(印)
・決行指定:櫛淵(陸軍省大臣官房副官) 押印
・次官 梅津(陸軍省次官) 押印
・高級副官 櫛淵(陸軍省大臣官房副官)押印
・主務局長 今村均(陸軍省兵務局長) 押印
他、主務副官・主務課長・主務課員 押印
(以下本文)
陸支密
副官ヨリ北支方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒案
支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ故ラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或イハ従軍記者慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或イハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少カラサルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於テ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実施ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連繋ヲ密ニシ以テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス
陸支密七四五号 昭和十三年三月四日
本文の現代語訳
副官より、北支方面軍及び中支派遣軍参謀長宛 通達案
支那事変地に慰安所を設置するために、内地において従業婦(慰安婦)を募集するにあたり、
- ことさらに軍部了解などの名目を利用しその結果、軍の威信を傷つけると同時に一般民の誤解を招く、おそれがあること
- 従軍記者や慰問者などを介して統制なく募集し(その結果)社会問題を引き起こす、おそれがあること
- 募集の職務に任じる者の人選に適切さを欠くために、募集の方法が誘拐紛いで警察当局の検挙・取調べを受けたこと
(そのような事柄)がある等、注意を要することが少なくない。したがって、将来、これら(慰安婦)を募集するときには、
そのようにして、軍の威信保持並びに社会問題の面で手落ちがないように配慮して頂きたい依命通達する。
陸支密七四五号 昭和十三年三月四日
その他
この通牒を以って、慰安婦募集を旧日本軍主体によるものであったと日本大学吉見義明教授が発表したことがある。吉見氏はとりわけ「内地」という言葉に着目した。「内地において従業婦を募集するにあたり」とわざわざしていることから、内地に入らない朝鮮や台湾での慰安婦募集のやりかたに問題があったのではないか、としたのである。 他方、この通達はいい加減な募集を行う業者がいたことで頭を抱えていた日本軍が、軍の威信を保護するためにこのような悪徳業者を極力排除するよう要請したものであり。吉見義明教授が言う「日本軍の関与」というのは、この文章から読み取る限りでは良い意味での関与でしかないとの意見もある。
朝鮮新報によると、この通牒に先立ち「1932年、長崎県の女性を「カフエーで働くいい仕事」と「だまして」中国上海の日本軍「慰安所」に連れて行った日本人斡旋業者に、刑法に基づき「有罪」とした最高裁判決(大審院1937年)を発見公表した」そうである。騙す業者が存在し、その行為が刑法上違法であるとの判断が示され処罰されたことが理解できる。
また、正当な募集を行っていた請負業者が「皇軍が売春婦の募集を依頼などするはずがない」等と思い込んだ官憲に取調べを受けてしまった事例等も知られている。 このことから通達の背景として、いわゆる悪徳業者の存在を単純に考えるだけでなく、正当な募集に際しても官憲とのトラブルがあったことを考慮すべきであり「憲兵及び警察当局との連携を密にして」とは、募集に際しての無用なトラブルを避けよとの意味が含まれているとの指摘がある。 また、「軍ノ威信ヲ傷ツケ」たり「一般民」の誤解を招き「社会問題ヲ惹起スル」事を軍政部が恐れていたことも容易に読み取れる。
他に、募集時に必要以上に軍の名前を使うこと・統制の及ばない新聞記者などを仲介した募集等を通達で問題視している。慰安婦の募集・斡旋は合法的な行為であっても、軍の体面上はあまり好ましいことではないと軍政中枢が考えていたことが推察でき、軍政部と慰安婦調達の必要に迫られていた現地軍参謀との微妙な温度差をうかがい知ることができるとの見方もある。
さらに、この通達案が提示される以前に実際に誘拐に類する方法で募集が行われた(あるいはそのような嫌疑をかけられた)事例は今のところそれほど多く知られておらず、知られているものも明確に強制連行と断定できる性質のものではないことから、この文書は強制連行(や、それに対する軍の関与)の有無よりも、むしろ慰安婦の募集・斡旋の際に請負業者によって軍の存在が前面に押し出されることを懸念しているところに重点があるとする見方もある[1]。
- ^ 永井和, 日本軍の慰安所政策について
関連項目
- 支那渡航婦女の取扱に関する件