造船疑獄
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造船疑獄(ぞうせんぎごく)は計画造船における利子軽減の為の「外航船建造利子補給法」制定請願をめぐる贈収賄事件。1954年1月に強制捜査が開始された。政界・財界・官僚の被疑者多数が逮捕され、当時の吉田茂内閣が倒れる発端となった事件の一つ。
東京地方検察庁特捜部による海運、造船業界幹部の逮捕から始まった捜査は、政界・官僚に及び国会議員4名の逮捕等を経てさらに発展する気配を見せた。同年4月20日、検察庁は当時与党自由党幹事長であった佐藤栄作議員を収賄容疑により逮捕する方針を決定した。しかし、翌4月21日犬養健法相は検察庁法(昭和22年法律第61条)第14条による指揮権を発動し、検事総長に逮捕の延期と任意捜査を指示した。この指揮権発動は時の内閣総理大臣・吉田茂の意向を受けたものである。なお、犬養法相は翌日辞任した。このため、事実上捜査は中断され同年7月末に捜査は終了した。逮捕者は71名にのぼり、起訴された主要な被告のうち7名が無罪、14名が執行猶予付きの有罪判決を受けた。「逮捕」こそ免れたものの、後の総理大臣佐藤栄作に逮捕状が出された事で、敗戦後の日本政治史に、一大汚点を鮮明に刻んだ疑獄事件である。
なお、政治資金規正法違反で在宅起訴された佐藤栄作議員は、1956年国際連合加盟恩赦により免訴となった。
この事件以後、贈収賄においてはロッキード事件、ダグラス・グラマン事件にも見られるように“逃げ切った者勝ち”の図式が完成した。
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