酒井直次 (陸軍軍人)
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酒井 直次(さかい なおじ、明治24年(1891年) - 昭和17年(1942年)5月28日)は、日本の陸軍軍人。第15師団長、陸軍通信学校長、歩兵第19旅団長等を歴任し、階級は陸軍中将功二級に至る。本籍は東京府。
明治44年5月27日陸軍士官学校を卒業する。酒井は第23期士官候補生で、同期には北支那方面軍司令官根本博中将、第5軍司令官の清水規矩中将、第28軍司令官桜井省三中将や、第31軍司令官の小畑英良中将らがいる。酒井は同年12月26日陸軍少尉に任官され、大正9年には陸軍大学校(32期)を卒業する。以後歩兵将校として累進し、ソ連駐在などを経験する。昭和10年8月1日の陸軍大佐・陸軍通信学校教育部長の後昭和12年3月1日歩兵第4連隊長に就任する。昭和13年7月15日陸軍少将に進み、歩兵第19旅団長を拝命する。昭和15年12月2日陸軍通信学校長、昭和16年3月1日陸軍中将進級を経て昭和16年8月20日第15師団長に親補され、前線に復帰する。酒井の第15師団は中国大陸で交戦するが、昭和17年5月28日戦死する。酒井は数々の戦功から功二級金鵄勲章のほか、功三級金鵄勲章も受章している。
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