金川城
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金川城(かながわじょう)は、備前国御野郡金川(岡山県岡山市御津金川)にあった城。別名、玉松城。
[編集] 沿革
鎌倉時代中期、承久の変で鎌倉幕府方につき軍功のあった松田盛朝は、備前国御野郡に所領を与えられた。承久3年(1221年)頃に最初の築城があったと考えられる。
その後、松田氏は岡山平野に進出し、富山城に本拠を置いた。室町時代中期の文明年間(1469年-1486年)、応仁の乱の混乱期に松田元成は富山城より本拠を金川城に移した。元成は城を拡充し連郭式の山城が整った。松田氏は備前国西部を領し、備前守護大名赤松氏や守護代浦上氏と対峙した。
戦国時代の永禄11年(1568年)時の当主・松田元賢は妻の父である宇喜多直家に攻められ落城した。松田氏はこれにより滅亡した。落城が7月7日であったので土地の人々は長い間七夕祭を行わなかったと伝えられている。
その後、宇喜多氏の城代として直家の弟・浮田春家が入った。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで宇喜多氏は改易となった。代わって小早川秀秋が備前に入ったが、秀秋は金川城を廃城とした。
岡山市役所御津支所の西側に城山があり、現在、石垣、曲輪跡、堀切、井戸の遺構が確認できる。