金珍圭
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金 珍圭(キム ジンギュ/Kim Jin-Kyu、김진규)1985年2月16日 - )は、大韓民国出身のKリーグ・全南ドラゴンズ所属のサッカー選手(DF)、韓国代表で、2006 FIFAワールドカップにも選ばれた。10代からA代表で活躍する。
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[編集] プレースタイル
太い股に象徴される強靭なフィジカル(韓国時代のあだ名は本人によれば「石」。前所属のジュビロ磐田の選手達も「まるで岩みたい」と言っていた)を持ち、空中戦も得意としている。また力強いキック力を持ち攻撃の起点となるロングボールを放つなど、攻撃への意識は高い。3バックの際はドリブル突破で果敢に攻めあがるプレーも多いが、迫力ある反面、足が遅いこともあってサポータを冷や冷やさせる。
3バックも4バックも経験があり、左も右もこなせる適応力も持っている。磐田が2006年に急遽4バックに切り替えてからは田中誠と力強い金のコンビがレギュラーとなっていた。
またそのキック力を買われてフリーキッカーも務める。韓国代表では何度か直接FKを決めているが、磐田では遠距離はともかく、近距離のFKは敵選手の壁に当たるのが名物と化している。名波浩のアドバイスを受け、コースを狙ったボールを蹴るようになったが、なかなか決まる気配が無い。
[編集] 経歴
兄の影響で小学校4年生の時にサッカーを始めた。高校は「地元の高校に行きたかったんですが、父親と向こうの監督が勝手に決めて(本人談)」韓国サッカーの名門、安東高校へ進学。少年時代からありとあらゆるポジションを経験し、高校時代は身体能力を買われてFWとDFを掛け持ちでプレーしたこともあるという。高校卒業後の2003年にKリーグ全南ドラゴンズに入団し、ここでDF専任になった。
普段はおとなしく物静かな性格だが、サッカーを始めると負けず嫌いが頭をもたげる。そのためよく似た性格のチームメートの鈴木秀人の若い頃同様、試合中はいささか熱くなりがちなのがたまにキズである。闘志むき出しのプレーヤーでありたいという信条もあるせいか、カードをもらうことも多い。
[編集] サッカー歴
[編集] 戦歴
[編集] Jリーグ通算成績
年度 | チーム | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 | |||||
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J・J1 | J2 | ||||||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
2005年 | 磐田 | J1 | 36 | 24 | 1 | - | 1 | 1 | 1 | 0 | |
2006年 | 磐田 | J1 | 20 | 23 | 3 | - | 3 | 0 | 2 | 0 | |
通算 | 47 | 4 | - | 4 | 1 | 3 | 0 |
[編集] 主要国際大会参加歴
- U-19、U-20韓国代表
- 2002年 アジアユース選手権
- 2003年 ワールドユース選手権
- 2004年 アジアユース選手権
- U-22韓国代表
- 2003年 アテネオリンピック最終予選
- 韓国代表
- 2004年 アジアカップ2004、ワールドカップアジア1次予選
- 2005年 ワールドカップアジア最終予選
- 2006年 ワールドカップドイツ大会、アジアカップ予選
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韓国代表 - 2006 FIFAワールドカップ | ![]() |
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1 李雲在 | 2 金泳徹 | 3 金東進 | 4 崔眞喆 | 5 金南一 | 6 金珍圭 | 7 朴智星 | 8 金斗炫 | 9 安貞桓 | 10 朴主永 | 11 薛琦鉉 | 12 李栄杓 | 13 李乙容 | 14 李天秀 | 15 白智勲 | 16 鄭暻鎬 | 17 李浩 | 18 金相植 | 19 曹宰榛 | 20 金龍大 | 21 金永光 | 22 宋鐘國 | 23 趙源煕 | 監督: アドフォカート |
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