長谷川四郎 (政治家)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長谷川 四郎(はせがわ しろう、1905年1月7日 - 1986年8月7日)は、日本の政治家。元衆議院議員(自由民主党所属)。魚屋(自称)から衆院副議長にまで上り詰めた立志伝中の人物として知られる。また、親しみやすい人柄で「シローさん」の愛称で誰からも親しまれた。群馬県山田郡出身。
[編集] 来歴・人物
高等小学校卒。貧困の中で苦学しながら政治を志す。魚乾物商を営みながら政界への進出を伺い、桐生商工会議所副会頭、群馬県議を経て、1952年に改進党から衆議院議員に当選し、通産政務次官、衆院商工委員長、同農水委員長、自民党国会対策委員長、農林大臣などを歴任。1972年、荒船清十郎衆議院副議長が日本社会党・日本共産党に対し中傷的な発言をしたとして辞任し、後任として副議長に就任(在任1972年1月29日 - 1972年11月13日)。1976年、同郷の福田赳夫内閣で建設大臣に就任した。
副議長退任後も、椎名悦三郎の側近として椎名裁定などで奔走し、党内で重きをなした。また党内有数の繊維族議員としても活躍した。1979年、中川派結成に最長老として参加、同派座長に就任し中川一郎を名実共に総理総裁候補に推すべく苦心した。1986年に政界引退を表明。当選回数14回。同年8月7日死去。享年81。
1978年4月29日、勲一等旭日大綬章を受章。群馬県政界の実力者として知られ、死後、第一号の群馬県名誉県民になった。
|
|
|
|
|
|
|
|
|