関口流
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関口流(せきぐちりゅう)は関口氏心が開いた柔術流派。正式には関口新心流という。柔術以外に居合、剣術も含む。
氏心は居合の始祖とされる林崎重信から居合を学び、各流派の捕手、組討術の免許を得、長崎にて中国の拳法・捕縛術を学んで関口新心流を開いたと伝えられる。
江戸時代には関口家が仕えた紀州藩のほか、全国に最も広まった柔術流派のひとつであり、現在も関口家が和歌山県で柔術を主として伝承している。
なお、氏心があるとき屋根から落ちたが、無事に着地した猫を見て、人間にも出来るはずだと工夫し、受身を創案したという伝説がある。
柔術以外では、関口流の剣術は江戸時代後期、四国で広く行われた。
2006年(平成18年)3月、和歌山市の無形文化財に指定された。
この流派から分かれた流派は多いが、主なものに渋川義方が開いた渋川流がある。(関口流抜刀術は、井澤長秀が渋川義方から学んで開いた流派である)
また、氏心の甥である関口氏成の系統は和新心流と呼ばれ、彦根藩、西尾藩、八幡藩、桑名藩、尾張藩などに広く伝承されていた。この系統では、氏心ではなく氏成を祖としている。
その他、氏心の三男、氏暁の系統が岡山に伝って系統(関口流富田派)が現存。柔術、棒術、居合等の総合武術として存在する。