西尾藩
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西尾藩(にしおはん)は、江戸時代の藩の一つであり、愛知県西尾市の西尾城(旧、西条城)を居城とした。藩主は、本多氏(膳所)、松平氏 (大給府内)、太田氏、井伊氏(与板)、増山氏、土井氏(刈谷)、三浦氏、松平氏(大給西尾)が就封した。
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[編集] 沿革
西尾藩は歴代藩主に示すように転封が多く、入封しても一代十数年で再度転封される状況であったが、明和1年に出羽国山形藩より松平和泉守乗祐が入封して以降、この状況は解消された。
乗祐の家は十八松平家の一つ、大給家の宗家に当たり6万石の表高であったが、西尾のみでは石高が足らず、越前国内にも飛び地として所領が与えられた。また、松平一門の名門として、播磨国尼崎藩松平桜井家と共に諸大夫の筆頭として殿中での拝謁では従五位下の大名の中で最初に拝謁することになっており、以降の歴代藩主は、老中として幕政に関与するものが多かった。
西尾藩は山本周五郎作『町奉行日記』(市川昆により『どら平太』として映画化された)の舞台となった藩のモデルと言われる。
[編集] 城地
[編集] 歴代藩主
[編集] 本多氏(膳所)
[編集] 松平氏(大給府内)
[編集] 本多氏(膳所)
[編集] 太田氏
[編集] 井伊氏(与板)
[編集] 増山氏
[編集] 土井氏(刈谷)
- 土井兵庫頭利長 1663年(寛文3年:下野国内より)-1681年(天和1年)
- 土井伊予守利意 1681年(天和1年)-1724年(享保9年)
- 土井淡路守利庸 1724年(享保9年)-1734年(享保19年)
- 土井大隅守利信 1734年(享保19年)-1747年(延享4年:三河国刈谷藩へ)
[編集] 三浦氏
[編集] 松平氏(大給西尾)
- 松平和泉守乗祐 1764年(明和1年:出羽国山形藩より)-1769(明和6年) 大坂城代
- 松平和泉守乗完 1769年(明和6年)-1753年(寛政5年) 奏者番 寺社奉行 京都所司代 老中
- 松平和泉守乗寛 1753年(寛政5年)-1839年(天保10年) 奏者番 寺社奉行 京都所司代 老中
- 松平和泉守乗全 1840年(天保11年)-1862年(文久2年) 奏者番 寺社奉行 大坂城代 京都所司代 老中
- 松平和泉守乗秩 1862年(文久2年)-1869年(明治2年:版籍奉還) 奏者番 寺社奉行