集団就職
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集団就職(しゅうだんしゅうしょく)とは就職活動を集団で行なうこと。特に、日本の高度経済成長期に盛んに行なわれた、農村から都市部への大規模な就職運動のことをさす場合が多い。
第二次世界大戦前にも、高等小学校を卒業した人が集団就職する例もあったが、本稿では1960年代を中心とした高度経済成長期の集団就職について詳述する。
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[編集] 集団就職列車
典型的な集団就職として、農家の次男以降の子が、中学校や高校を卒業した直後に、都市部の工場などに就職するために、臨時列車に乗って旅立つ集団就職列車が有名である。集団就職列車は1954年(昭和29年)に運行開始され、1975年(昭和50年)に運行終了されるまでの21年間に渡って就職者を送り続けた。就職先は東京が多く、中でも上野駅のホームに降りる場合が多かったため、当時よく歌われた井沢八郎の『あゝ上野駅』という歌がその情景を表しているとして有名である。
[編集] 集団就職者の生活環境
こういった若年の労働者は、将来性が高いという意味と、安い給料で雇えるという意味から金の卵と呼ばれてもてはやされた。就職希望者数に比べて求人数が著しく多くなった時期には、更に貴重であるとして月の石と呼ばれたこともあった。場合によっては、雇用主側が新卒中学生を一軒一軒尋ねて募集するなどの動きも見られた。
職種としては単純労働(ブルーカラー)が主体であったため、雇用条件や作業環境もかなり厳しく、離職者も多かった。各種の理由から勤続後の独立開業が困難であったため、戦前のいわゆる丁稚よりも厳しい環境だったとも言われる。
[編集] 集団就職の影響
都市部の人口の増加と、それに伴って各種の影響があった。都会で爆発した若者文化は、大量の若年層の人口流入によるところが大きいという人もいる。また、就職者の待遇の悪さや学歴の低さから、その子弟の教育水準の低下が起き、学校関係に影響を及ぼしたという人もいる。ただ、安い労働力を大量に供給する集団就職によって高度成長が支えられたと言えよう。