学歴
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学歴(がくれき)とはある人が学んできた経歴の事である。
また、最終学歴(さいしゅうがくれき)は、「高等学校の卒業」や「大学の卒業」などのように学校種と卒業・修了・退学などの別を用いて表す事が多い。
なお、日本において日常生活で「学歴」という語を用いる時は、個々人の卒業・修了・退学した学校の経歴である学校歴(がっこうれき)の事を表わす事も多い。
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[編集] 学歴社会
学歴社会とは、高等教育機関で学ぶ事が重視され、そのために若者が大学や大学院などの機関に殺到する社会を指す。学歴社会自体は、先進国・途上国を問わず普遍的に存在しているが、その実情は各国で差異が見られる。
[編集] 学歴社会形成の要因
学歴社会は様々な要因によって形成される。 発展途上国の場合、先進国並みの経済水準や防衛力を獲得するため、その国の中で指導者的役割が担える人材を必要する。この際、目的達成に効率的な社会の仕組みとして意図的・無意図的に学歴社会が形成される。 先進国の場合、特に科学技術力の向上を目的として特定大学に重点的に予算を配分したり(例:日本のCOE計画)、次世代の知的エリート集団の養成機関を拡充・創立する(例:日本の大学院重点化やフランスのグランゼコール)といった政策で学歴社会の傾向を促進する事がある。
学歴社会では、より良い学歴を保持する者が、より良い社会的待遇(職業や賃金などで恵まれた環境)を受ける可能性が高い。つまり、高学歴を得る事が社会的成功の確率を格段に高めるため、その後の人生を決定付ける謂わばパスポートの役割を果たす。この構造が学歴社会を補強・再生産する事に繋がっている。
[編集] 学歴社会の実例
日本に限らず、官僚や法曹といった社会的に大きな影響力を持つエリート職種については、構成員の殆どがその国々で高い評価を得ている特定の教育機関の出身者で占められている。例えば、フランスでは、行政府の人員はほとんどがグランゼコールの出身者である。又、アメリカでもスタンフォードやアイビーリーグに代表されるような名門大学の出身者は、社会的地位が高い事が多い。
[編集] 欧州
エリートは上流階級によって再生産される事が多いため、学歴社会というよりも階級社会だという指摘がある。 たとえば大学受験では貴族出身の師弟が優遇される場合がある。
[編集] 日本
難関大学を卒業していれば、その学部に関わらず、あらゆる分野のエリートになる可能性がある。 文系は法学部であればたいていの役職に就けたが、大企業の殆どは総務や人事、法務などの文系の部門は学部不問となっており、理工系学生も応募可能である。他にも、教育学部から一般企業に入社するものもいる。しかし医学や看護学などの専門系はその分野に限定する。 又、学歴によって限定される職種があるのは事実でも、それが人生の決定的要因になっているかどうかは一概には断言出来ない。例えば日本の場合、大卒者と高卒者以下との生涯年収の差が世界的に見ても小さく、賃金面で見ると学歴は必ずしも決定的要因とは言えない。但し、賃金格差が少ないのは、経営層と労働者層の賃金格差が他国に比べて相対的に少ないためという事もあり、単純に賃金格差の少なさだけをもってして、日本が学歴社会ではないとはいえない事にも注意が必要である。
「学歴難民」という言葉に表徴されるように、先進国においては学歴のインフレ化が進み、高学歴を獲得しても社会的待遇が以前ほどは保障されなくなっている。特に採用の分野では、プログラミング技術など実用的能力を持つ者を即戦力として評価する企業が増えつつある。
また、コミュニケーション能力重視の採用試験の結果、東京大学など一流大学を卒業しても一流企業に入れない者が一定数出てきているのが現実である。これは、企業の大部分が大学にアカデミックとしてではなく、就職予備校としての役割を要求する一方、上位の大学はそれに媚びる必要が無くアカデミックとしての立場を崩さないため、学生の中にはその違いに戸惑い対応できないものも存在することが要因といえる。もちろん東京大学であってもすすんで中小企業を志望する者も数多く存在している。
2005年現在、東京大学の新卒の10%、慶應義塾大学の新卒の15%がフリーターになっているとされている[1]。
[編集] アメリカ
とくに学歴間の賃金格差が激しく、多くの州で高等学校在学者の多い年齢までが義務教育であるために「大卒」が中産階級の切符であるようなものである。二年制大学(コミュニティ・カレッジ)を卒業程度ではホテルマンやウェイター、受付、看護師などの職業にしかつくことができない。この意味では、アメリカは日本より学歴(学校歴ではない)社会だといわれることもある。
また、実力主義社会であり、実績(即戦力)が重視されるため、新卒で大企業に入るには大学で良い成績をとっていなければならない(実績のある・即戦力たり得る転職者であればこの限りではない)。企業の幹部はMBAを有していることが多く、弁護士になるにはロースクールを卒業しなければならず、一部の競争率の高いファームや企業では、学校歴を重視し、ハーバードなどのアイビーリーグの大学院卒業者が大多数を占めていることも多い。また、新卒者の場合は、履歴書に専攻・成績表などの学業実績を記載・添付することも一般的である。
一方で、アメリカはもっぱら最終学歴が重視される社会であり、卒業した大学の知名度が低くても大学は認定機関から一定の評価を受けるため教育の質が保たれているのでアイビーリーグ等の大学院に入学する者が数多くおり(例えば経済学者のスティグリッツ)、日本ほど学部偏重型・偏差値志向型・固定型の学歴社会ではない。また、いったん社会人になってから大学・大学院に戻る者も多く、学歴を取得した時期自体で直接差別を受けることは少ない。その意味では、アメリカ社会は学歴社会といっても、敗者が復活しやすい側面を有している。
[編集] 学歴信仰
学歴を過度に信頼・重視する立場を学歴信仰と呼ぶ事がある。特に、「何を学んだか」ではなく、「どの教育機関の出身者か」という帰属意識ないしそれに付随する付加価値の偏重、資格の実効性に対する過剰な信頼は、学歴信仰が認められる国々共通の特徴である。 学歴信仰は、日本や韓国, 中国, 台湾, インドといったアジアの国々や工業化が進みつつあるアフリカ大陸における国々に多く見られる。
学歴信仰の対象となる教育機関は、各国の教育レベルによって異なる傾向がある。 日本や韓国など、高等教育の歴史が長く、自国の教育機関を卒業した人が社会的に高い地位に就いている事が多い国々では、それらの人々の出身校が評価されやすい。
一方、タイなどのように、自国の教育機関が十分に発達していない国々では、海外(主に欧米の著名大学)の教育機関を重視する傾向がある。
日本の学歴差別は純粋な学歴(学位の有無・違い)と学校歴の差別に分けられる。日本における学校歴差別が顕著になったのは、名門といわれる大学に入学することが困難であった団塊の世代の名残であるが、大学全入時代といわれる現在、問題なのはむしろ後者であろう。日本においても、実力主義の浸透により、いわゆる偏差値上、難関大学といわれる大学を卒業していなくとも社会の一線にて活躍する者が増えてきた一方、日常生活レベルで学校歴が過剰に話題にのぼったり、インターネット上で殊更に特定の学校歴を誇示・卑下する発言も多く、精神的な差別も含めれば日本における学校歴差別はまだまだ強いものといわざるをえない。
[編集] 学歴に関する評価
[編集] 学歴社会肯定論
学歴社会肯定論としては次のようなものがある。
- 学歴社会は機会の平等を与えている点で身分制度より優れている
- 学歴社会は、世襲社会など、実力ではなく、身分によって社会的評価が決まる社会よりはるかに機会の平等が与えられている。学歴による社会的評価の決定は、全ての人に公平、平等に作用している限りは、社会階層や出自といった努力や選択によって変えられない要因によって個人評価が左右される事がなく、各人の自由意志が個人評価に反映される。学歴は「個人の努力によって取得可能な社会的メリットの証明」であるという点に健全性を認めている。
[編集] 学歴社会否定論
学歴社会否定論には次のようなものがある。
- 機会の平等が保障されていないのではないかとの疑念
- 学歴社会を健全なものであると言うためには、万人にとって就学機会や就学条件が平等であるという前提条件が必要であるが、実社会においては、社会的・経済的な条件によって、就業機会等が不平等になる事がある。そのため、学歴社会の健全性を保障するためには、各個人間の初期状態の格差を出来るだけ緩和するような政策・環境(例:充実した奨学金制度, 再入学や社会人教育といった就学形態が許されているなど)が必要不可欠となるが、充実した奨学金制度などがあっても、子どもに教育にまつわる投資するお金(家庭教師をつける、塾に行かせる教育費など)の点で差がつくために、健全な学歴社会というのは幻想に過ぎないのではないかと指摘するものである。
- 学歴によって人格を非難する傾向が生まれる
- 学歴社会が強くなると、そこに信仰が生まれるようになり、学歴のあるなしによって、人の能力や人格を見る傾向がある。学力偏差値が世間的に知名度が高く、官僚を多く輩出したり、大企業に多く入る大学が優秀な大学とされるため、功績などで評価のある大学も偏差値が低めである事を理由に低く評価する人も出てしまう。(Ex.國學院大學の文学部、龍谷大学など)また、大学に行っていない者などについて、ごく一部の極端な事例をことさらに挙げて、犯罪者が多い、世間常識がないという主張がされることがあり、(2ちゃんねるの学歴版など)学歴がないことを理由に人格まで否定する傾向が出てくる。
- 本当の意味で社会に通じる人間を育てていないのではないか
- 学歴のある者、特に官僚や大企業に多くの人材を輩出している大学について、エリートないしエリート予備軍であるとの傾向があるが、アメリカのように大学院での専門教育を受けているわけでもないので、実際の社会で即戦力として使えないという指摘がある。具体的には、語学力の点で優れているわけでもなく、経済の専門的知識を活かすことができていないのに果たしてエリート予備軍と言えるのかというものである。
[編集] 学歴の判断
学歴の高低を「どれほどの期間、どれほど高度な教育施設で学んだか」という基準で判断すると、大学院の博士課程(博士後期課程)を修了して博士の学位を有している者(課程博士)、その中でも、複数の博士課程を修了して、博士号を多く有している者が最も高学歴であるといえる。
ただし、高学歴かどうかを判断する基準は、国や個人によって相違がある。 例えば、日本の官僚は、アメリカなど大学院を重視する国から見ると、修士や博士の学位を有する者が少ないという点で低学歴とみなされる事があるが、日本においては、東京大学やその他の難関大学の学部卒業者が大多数を占めるため、高学歴と認識されている。さらに、大学院卒者は就職初年度から高収入を要求するため、企業が大学院卒者を採用しづらい。このことが大学院卒者の少なさの大きな原因になっている。
日本では、学界など特定の分野を除いて大学院卒を特に重視するという事は少ないため、大学を卒業したかどうか(学士号の有無)が学歴の基準になる事が多い。ただし、大学への進学者数及び進学率が高くなっているため、単に大学を卒業しているかどうかではなく、「出身大学」によって学歴の高低を判断する事が多い。又、「出身学部・学科」「大学入学以前の出身校」「浪人・留年年数」「入学方法・方式」なども大卒のランク付けに利用される事がある [2]。
アメリカ合衆国では、大学院の課程を修了した者が重用される。
大韓民国ははかつては極端な学歴社会であり、ソウル大学校出身というだけで、企業に入れば「役員候補」とみなされたが現在は多少その風潮は緩和された。とはいえ極めて強固な学歴社会であることに変わりはない。
フランス共和国では、大学とは別のグラン・ゼコール(グランド・ゼコール)というエリート養成校を卒業した者は、企業に入ってすぐに管理職になるといった事例がある。
[編集] 高等教育と学歴観
経済成長とともに教育が大衆化して子供の教育にかける家庭の力が強くなり、また教育基本法により法的には開放された教育が行われている現代では、学習に対する意欲さえあれば学校に入学できるようになっている。しかしその反面、学習意欲に欠ける者でも、入学・卒業認定基準の甘い学校を選ぶことで、大学卒業や大学院修了という高学歴を得ることもできてしまう。それにより、学習意欲はあっても社会的な自覚が無かったり、惰性で進学しただけの高学歴者層ができることとなった。これが1990年代から話題になった、高学歴のフリーアルバイター・ニートの発生の一因にもなっていると考えられる。また日本の大学で、特に文科系専攻学科は「入学は難しく、卒業は易しい」ところが多く[3] 、大学での教育内容や評価の妥当性、ひいては卒業生の能力を保証するという学歴の社会的機能にも疑問が呈されている。
官庁や大手企業の中には、留学制度を設けている所もあり、社会人となってから(特に海外の)大学院の修士号を得させる場合がある。
大学などの高等教育機関では、生涯教育の理念に基づく社会人学生の増加[4]や、経営上の要請などから編入学の機会を増加させている。また、大学院重点化の対象となっている大学院では、定員総数が学内進学希望者(内部進学者)数より大幅に勝っていることが多い。このことから、結果として大学院は内部進学者よりも外部進学者の数が多い「傾向」がある。また、大学院大学では学部を持たないため、100%の学生が外部進学者となる。
[編集] 学校の卒業に準じて扱われるもの
- 中学校卒業程度認定試験(中卒認定試験、中認、中検)
- 受験者は少ないが、中学校またはその同等学校を卒業したことが無い人が、高等学校またはその同等学校に入学する資格を得るための試験。公的には「中学校を卒業した者と同等以上の学力を有する者」とされる。ただし、受験できるのは義務教育就学免除者に限られていたが、2003年より、不登校などによる非卒業者も受験できるようになった。
- 高等学校卒業程度認定試験(高卒認定試験、高認、旧・大学入学資格検定〔旧・大検〕)
- 高等学校またはその同等学校を卒業したことが無い人が、大学に入学する資格を得るための試験。公的には「高等学校を卒業した者と同等以上の学力を有する者」とされる。
- 以前は中学校を卒業していなければ受験できなかったが、今は中学校を卒業していなくても受験できるようになった。なお、中学を卒業していない者がこの試験に合格した場合、上記の中学校卒業程度認定試験にも合格したものとみなされる。
- なお、上記の認定試験は高卒の学歴自体が得られるわけではないが、認定試験合格後大学に入学、卒業することができる。「高等学校卒業」と同等に扱われなくてはならない。
- 難関国家資格の一次試験
- 司法試験や不動産鑑定士試験の一次試験は、大学(の学部・その他の学部同等組織)を卒業した者(または大学において62単位以上修得済みの者)であれば免除されるが、そうでない場合は一次試験を受けなければならない。
- 教員資格認定試験
- 大学や文部科学大臣が指定する教員養成機関を卒業していなくても、この試験に合格すれば、一部の種類の教員免許状の授与を受けることができる(ただし、高等学校もしくは中等教育学校を卒業した者であること、または高等学校卒業程度認定試験などによって「高等学校を卒業した者と同等以上の学力を有する者」と認められること)。
[編集] 社会における学歴の評価
学歴が個人における社会的評価の判断基準として決定的である社会では、その良し悪しによって人間関係のような就業以外の多くの生活領域に影響を及ぼす。
このような理由から、学歴詐称が行われることがあり、近年では著名人や選挙立候補者などによる学歴詐称が話題となっている。 学歴詐称行為は昔から存在していた。例えば戦前の私立大学では、正式な入学手続を経ていないにもかかわらず、○○大学の学生と名乗って実際に大学で何らかの活動を行っていれば、そのまま○○大学の学生として通ってしまっていた。そのため、必ずしもその学校で学位を取得していなくても社会的に認知されてしまっていたのだ。わざわざ言うまでもないが、そういった成りすまし行為は明らかに経歴の詐称であり、大学側はもちろん社会的に許される行為ではない。また、学歴詐称を解雇事由として認める判例(大阪地裁s50.10.31など)も出ている。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 中野雅至 『高学歴ノーリターン The School Record Dose Not Pay』 光文社、2005年11月22日。ISBN 433493370X
- 溝上憲文 『超・学歴社会』 光文社、2005年4月22日。ISBN 4334933572
- 盛田昭夫 『学歴無用論』 朝日新聞社、1987年5月。ISBN 4022604158
[編集] 脚注
- ^ 山根節 『経営の大局をつかむ会計 健全な”ドンブリ勘定”のすすめ 』 光文社、2005年3月17日。ISBN 4334032974
- ^ 文部科学省学校基本調査参考資料(2005年度)によると、現役と過年度高卒者を合わせた大学への進学率は44.2%、短大を含めると51.5%になる。又、文部科学省学校基本調査概要(2005年度)によると、大学の学生数に対する大学院の学生数は8.8%となっている。
- ^ 入学の難易度は各国で制度が異なることもあって単純な比較は難しい。卒業について、OECD調査Executive Summaryによると、比較可能なOECD加盟国17カ国の平均卒業率は80%程度となっており、ドイツ、ギリシャ、ノルウェー、日本などが90%超となっている。アメリカは70%弱である。実際に難しい・易しいかは一概に言えないが、数字上は卒業しやすくなっている。
- ^ 文部科学省学校基本調査概要(2005年度)によると、大学院生のうち社会人が占める割合は17.8%となっている。