雨宮塔子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
雨宮 塔子(あめみや とうこ、1970年12月28日 - )は、東京都出身のフリーアナウンサー、タレント。元TBSアナウンサー。
目次 |
[編集] 人物・来歴
1993年に成城大学文芸学部を卒業。同年TBSに入社。『どうぶつ奇想天外!』『チューボーですよ!』などで活躍した。
[編集] TBSアナウンサー時代
フジテレビでの女子アナウンサーバラエティー路線が進む中、TBSで突然出てきた天然系女子アナとして人気となる。
担当番組のひとつ『どうぶつ奇想天外!』では、開始当初では普通にアシスタントを務めていたが、番組てこ入れも兼ねて毎週のように着ぐるみを着るようになった。同番組の最終出演日には司会のみのもんたに号泣された。それだけみのから信頼されていたということだろう。もうひとつの『チューボーですよ!』では、それまで低視聴率だった土曜夜11時30分の枠を堺正章との軽快なノリツッコミで安定させたりと貢献。いずれの番組も10年以上続く人気・長寿番組へと成長させる礎となった。
その一方で早朝情報番組の司会やお昼の生番組でアシスタントをこなしたり、ラジオのレギュラー番組を複数担当していたりと幅広い活躍を見せ、当時の同局アナウンサーの中では進藤晶子と人気を二分していた。そんな彼女は進藤と2人の先輩渡辺真理と公私共に親しい仲だった。
バラエティー路線絶頂の中、朝の情報番組『ザ・フレッシュ!』を担当していた1995年に起きた阪神大震災のときは、大阪の毎日放送に出向き原稿を読むなど、報道の活躍も多い。父親が文藝春秋に勤務していたこともあり、もともと報道をやりたいという思いはあったようだが、先述のようにバラエティでの特異なキャラクターが確立されていたことと、その『ザ・フレッシュ!』が低視聴率で惨敗に終わった影響もあって、彼女を報道・情報系番組等でメーンキャスターに起用することは最後までなかった。
やがて彼女はアナウンサーとしての行き詰まりを感じ、1999年同社を退社した。
[編集] TBS退社後
退社後の彼女は、学生時代のもうひとつの夢であった絵の勉強をするためフランス・パリに留学し、西洋美術史と語学を学ぶ。2002年に、フランスで日本人パティシエの青木定治と出会い結婚。現在もフランスに在住し、一男一女の母である。このため、退社後はたまたまパリで開催された世界陸上中継の現地キャスターを務めたほかは、もっぱら紀行・ドキュメンタリー番組に出演。バラエティ番組に多数出演していた頃の面影は無い(2005年に1回だけ、かつて出演していた「チューボーですよ」にゲスト出演はした)。
所属事務所はプントリネア。
[編集] これまで担当してきた番組
[編集] TBSアナウンサー時代
- どうぶつ奇想天外!(1993年10月(スタート時)~1999年3月)
- チューボーですよ!(1994年4月9日スタート~1999年3月20日・初代アシスタント)
- あなたにオンタイム(1993年10月~1994年9月・週末担当)
- ザ・フレッシュ!(1994年10月~1995年6月)
- おしえてアミーゴ!!(1997年10月~1998年3月)
- 土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界(TBSラジオ・1996年4月~1999年2月)
- 辺見えみり・雨宮塔子 えっ そ~なんだ!?(TBSラジオ)ほか
[編集] TBS退社後
- 超歴史スペクタクル!古代エジプト夢と冒険 ピラミッドとは何か!?(TBS)
- 超歴史スペクタクルⅡ古代ローマ夢と挑戦!蘇る世界初の大帝国!(TBS)
- 超歴史スペクタクルⅢ地球の夢!生命の夢!!ダーウィンの大冒険(TBS)
- 世界の憧れ!幸せを約束する美・食・旅(MBS/TBS)
- ウィ、シェフ!料理の挑戦者たち(BS-i)
- 世界最高の料理の巨人 アラン・デュカス&エルブジ究極の美食スペシャル(TBS)
- 世界陸上2003パリ大会現地メインキャスター(TBS)
- 超歴史ミステリー特別企画“1秒の世界”(TBS)
- 第一生命105周年モーツァルト生誕250年目の真実(日本テレビ)
- TBS開局55周年古代エジプト大冒険!!黄金・ミイラ・大発掘 究極の48(秘)ミステリー全解明スペシャル(TBS)
- チューボーですよ!(2005年頃数年ぶりにゲストとして出演、TBS)
[編集] 著書
[編集] 執筆
- 「NHKフランス語会話」テキスト(NHK出版)連載
- 「Domani"雨宮塔子の酸いも甘いもパリ風味"」(小学館)連載
|
|
カテゴリ: TBSのアナウンサー | 1970年生 | 東京都出身の人物