青木悠三
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青木 悠三(あおき ゆうぞう )は日本の男性アニメーター。青木雄三、港野洋介という名前を使うこともある。神奈川県出身。
『ルパン三世』で活躍したアニメーターとして知られる。東京ムービーをフランチャイズとした。
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[編集] 略歴
1971年、『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』(通称旧ルパン)に、アニメ制作会社Aプロダクションに所属した青木は、19歳の若さで原画に参加する。その腕前は作画監督の大塚康生をして、主人公ルパンの愛車ベンツSSKの作画は難しすぎて自分と青木にしか描けないと言わしめたほどであった。
6年後の、『ルパン三世 (TV第2シリーズ)』(通称新ルパン)では27本の絵コンテを担当、作画にも積極的に参加する。青木が作画を担当したパートはフォルムが独特であり、画面のクオリティも高い。「モロッコの風は熱く」では1人原画に挑んでおり、新ルパン初期では青木悠三代表作である。中期にさしかかると前後編で構成された「私の愛したルパン」、銭形警部のエピソード「父っつあんの惚れた女」などの絵コンテや作画を担当し、シリーズの底上げに貢献している。シリーズ後半には浦沢義雄脚本回の絵コンテ・ゲストキャラクターデザインを担当する。これはファンの間では「ブロードウェイシリーズ」と呼ばれている。青木悠三作品としての特色は少ない。新ルパン放送当時に劇場公開された『ルパン三世 ルパンVS複製人間』では、中盤のカーアクションを担当し、作品を盛り上げた。
1984年から始まる『ルパン三世 PartIII』ではキャラクターデザイン・作画監修で参加、放送開始当初から後半にかけてデザインが定まらず、一般的にファンの間では不評である。しかし、青木自身が絵コンテ・演出を手がけた「ショータイムは死の香り」や、作画監督をつとめた「カクテルの名は復讐」などは傑作との評価を受けた。 なお、PART3におけるルパン三世のジャケットはピンクであることが知られているが、これは青木悠三の案である。 このPART3に合わせて、押井守監督によって劇場版が制作されていたが、その押井守が降板、急遽PART3のスタッフ陣で『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』が作られた。フィルムとしての完成度を評価する声は少ないが、ファンの間には青木悠三のデザインにより明るく軽快なエピソードに仕上がったとの声もある。
その後も、東京ムービーでルパン三世を手がけた面々によるテレビアニメ『シティーハンター』、ルパン三世のモンキーパンチ原作のテレビアニメ『おまかせスクラッパーズ』、OVA作品では『まんだら屋の良太』の監督、そしてモンキーパンチ原作の『アリス』をほぼ原作どおりにアニメ化した『アリス ~モンキーパンチの世界~』の監督を務めている。
2000年代以降は、『名探偵コナン』の絵コンテ、『ポポロクロイス』の絵コンテ、デザインワークスなどの参加に留まっている。
[編集] 作品歴
[編集] テレビアニメ
- ルパン三世
- ルパン三世 (TV第1シリーズ) (1971年~1972年、原画)
- ルパン三世 (TV第2シリーズ) (1977年~1980年、絵コンテ、原画)
- ルパン三世 PartIII (1984年~1985年、作画監修、作画監督、絵コンテ、演出、原画)
- おまかせスクラッパーズ(キャラクターデザイン・演出・作画監督)
- ムーの白鯨(メカニック・デザイナー)
- 太陽の使者 鉄人28号(演出)
- 六神合体ゴッドマーズ(演出)
- シティーハンター(絵コンテ)
- クッキングパパ(絵コンテ)
- 魔法の天使クリィミーマミ(絵コンテ・原画)
- アリス ~モンキーパンチの世界~(監督)
- 名探偵コナン(絵コンテ)
[編集] 劇場用アニメ
- ルパン三世 ルパンVS複製人間 (1978年、作画監督、原画)
- ルパン三世 バビロンの黄金伝説 (1985年、作画監督、原画)
[編集] 外部リンク
- 青木悠三様の世界 ファンサイト