静岡浅間神社
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神部神社・浅間神社・大歳御祖神社 | |
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![]() 神部神社・浅間神社大拝殿 |
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所在地 | 静岡県静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 |
主祭神 | 大己貴命(神部神社) 木之花咲耶姫命(浅間神社) 大歳御祖命(大歳御祖神社) |
社格等 | 式内社(神部神社・大歳御祖神社)・国幣小社・別表神社 |
創建 | 崇神天皇の時代(神部神社) 延喜元年(浅間神社) 応神天皇の時代(大歳御祖神社) |
例祭 | 4月5日 |
静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)は静岡県静岡市葵区にある神社。通称おせんげんさま。正確には、神部神社、浅間神社、大歳御祖神社の3社の総称である。3社はいづれも独立の神社として祭祀が執り行われている。鎮座地は静岡市街地に接する賎機山(しずはたやま)の麓に位置する。
神部神社(かんべじんじゃ)は、駿河国開拓の祖神大己貴命(おおなむちのみこと)を祀る。崇神天皇の時代(約2100年前)の鎮座と伝えられる。延喜式内小社で祈年の国幣に預った。国府が定められてからは国司崇敬の神社となり、平安時代より駿河国の総社とされた。
浅間神社(あさまじんじゃ)は、木之花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)を祀る。延喜元年(901年)、醍醐天皇の勅願により富士山本宮より総社神部神社の隣に勧請され、以来冨士新宮として崇敬されてきた。
大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ)は、古くは奈古屋神社と称され、大歳御祖命(おおとしみおやのみこと)を祭神とする。応神天皇の時代(約1700年前)の鎮座と伝えられ、元々は安倍川河畔の安倍の市(古代の市場)の守護神であった。祭神の大歳御祖命は倉稲魂神・大年神の母神で、別名神大市比売命のことである。延喜式内小社で祈年の国幣に預った。
三社は鎮座以来独立の神社として扱われ、江戸時代まではそれぞれ別の社家が奉仕してきた。明治21年、三社別々に国幣小社に昇格した。戦後は神社本庁の別表神社となった。現在は一つの法人格となっている。
社殿は江戸時代後期を代表する漆塗極彩色が施された壮麗なもので、計26棟が国の重要文化財に指定されている。この社殿群は文化元年(1804)より60年の歳月と約10万両の巨費を投じて建造されたもので、信州諏訪の立川和四郎ほか門弟により彫刻された花鳥霊獣類は繊細を極めている。特に、重層な大拝殿は高さ25メートルで木造神社建築としては、出雲大社本殿(約24メートル)より高く、まさに日本一の威容を誇る。
目次 |
[編集] 歴史
朝廷をはじめ鎌倉将軍家、織田、豊臣、武田、今川、徳川の各氏の尊崇厚く、宝物の寄進、社領の安堵など枚挙にいとまがない。ことに徳川家康は、幼少の頃今川氏の人質として当社の北方約1kmのところにある臨済寺に預けられ、弘治元年(1555年)、14歳の時当社で元服式を行った。以後徳川家康は当社を篤く崇敬し、慶長12年(1607年)大御所として駿府在城の時、天下泰平・五穀豊穣を祈願して、稚児舞楽(現、静岡県指定民俗文化財・4月5日奉奏)を奉納した。以来家康公崇敬の神社として歴代将軍の祈願所となり、手厚く庇護されてきた。明治初年に至るまでの社領等の総石高は2313石にも及んでいた。また神職社僧の装束類も幕府から下行されたのである。
『風姿花伝』によれば能楽の始祖観阿弥は、今川氏の氏神である当社に能を奉納し、この地で死去した。観阿弥終焉の舞台としても知られ、境内には26世宗家観世清和氏による顕彰碑が建てられている。また当社は海外雄飛で有名な山田長政の産土神としても知られ、長政奉納の戦艦図絵馬(写)も残されている。元NHKアナウンサー山川静夫の父親も当社の宮司を務めていた。
[編集] 境内社
上記三本社の境内には麓山神社・八千戈神社・少彦名神社・玉鉾神社が鎮座する。
麓山神社(はやまじんじゃ)は、大山祇命を主神とし、日本武尊を配祀する。由緒は不詳ながら古来より賎機山山上に鎮座し、俗に山宮と称する。浅間神社の祭神・木之花咲耶姫命の父神を祀るので、その別宮とされ、従来四本社の一つに列し独立の神社であったが、明治12年7月22日郷社に列し、境内社となった。社殿は本殿・拝殿・唐門・透塀を備え、他の三本社と同規模の壮麗な建築で、細部に立川流の彫刻を置き、漆塗り極彩色を施す。
八千戈神社(やちほこじんじゃ)は、八千戈命(大国主命)を祀り、相殿に明治6年以降合祭された十八社十三柱の神々(浅間神社末社九社・大歳社末社三社・麓山神社末社三社・旧安倍郡城内鎮座稲荷神社・旧安倍郡明屋敷村鎮座国分天神、騎射御霊)を祀る。当社は元家康公の念持仏たる摩利支天像を安置するために造営されたもので、摩利支天社と称し、徳川家をはじめ幕府殊の外崇敬を尽くし、社殿も本社に次いで造営され壮麗なものである。明治初年の神仏分離に際して、摩利支天は葵区大岩の臨済寺(今川家菩提寺)に遷され、八千戈神社となった。昭和5年5月29日の昭和天皇ご親拝の折は、両社修繕中であり当社を仮殿としていたため、当社に御拝された。
少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)は、少彦名命を主神とし、神部神社末社十四社の神々を相殿に祀る。当社はもと神宮寺薬師社と称し、薬師如来・十二神将を安置していたが、明治維新に際して臨済寺に遷され少彦名神社となった。古来医薬の神として薬業関係者や病気平癒を祈る人々の参詣が絶えない。
玉鉾神社(たまほこじんじゃ)は、明治9年3月、静岡県内の神職が官許を得て創祀された神社で、国学の四大人たる羽倉東麿・岡部真淵・本居宣長・平田篤胤の四柱を祀る。
[編集] 文化財
重要文化財(社殿)
- 神部神社浅間神社本殿
- 神部神社浅間神社中門(2棟)
- 神部神社浅間神社透塀(3棟)
- 神部神社浅間神社拝殿
- 神部神社浅間神社舞殿
- 神部神社浅間神社楼門
- 神部神社浅間神社回廊(2棟)
- 神部神社浅間神社総門
- 神部神社浅間神社神厩舎
- 神部神社浅間神社宝蔵
- 境内社麓山神社本殿
- 境内社麓山神社中門
- 境内社麓山神社透塀
- 境内社麓山神社拝殿
- 境内社八千戈神社本殿
- 境内社八千戈神社中門
- 境内社八千戈神社透塀(2棟)
- 境内社少彦名神社本殿
- 大歳御祖神社本殿
- 大歳御祖神社中門
- 大歳御祖神社透塀
- 寛文十年社中絵図(附指定)
- 御再建設計図十六面(附指定)
- 御造営勘定帳二冊(附指定)
- 棟札二十枚(附指定)
' 重要文化財(宝物)'
- 太刀 銘長船住人長光
小牧・長久手の戦の和睦の印として、秀吉から家康に贈られた太刀で、家康が大御所として駿府在城の折、大歳御祖神社に奉納したと伝えられる。
県指定文化財
- 家康公着初腹巻
今川義元が調進したと伝えられる。
- 家光公奉納御神服調度品類(古神宝類)
- 三十六歌仙懸額十八面
寛永11年(1634)、狩野探幽33歳の作。家光が浅間神社造営に際して奉納したもので、書は青蓮院尊純法親王の筆。