額田県
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
額田県(ぬかたけん)は、廃藩置県期に存在した県の一つで、旧三河国の各藩と、旧尾張国知多郡を範囲とした県である。県庁所在地は岡崎。
「額田県」の名称は、県庁所在地である岡崎が所属していた額田郡から取った物である。
古代は、農多、各田とも書いた。
[編集] 歴史
- 1871年8月29日:廃藩置県に伴い、西三河に割拠していた西大平藩・岡崎藩・挙母藩・西尾藩・西端藩・刈谷藩・重原藩が廃止されて、代わって西大平県・岡崎県・挙母県・西尾県・西端県・刈谷県・重原県が設置された。
一方で、東三河の田原藩・豊橋藩・半原藩は、それぞれ田原県・豊橋県・半原県に置き換わった。又、尾張国の尾張藩は名古屋県に、犬山藩は犬山県に置き換わった。後に名古屋県と犬山県は合併した。 - 1871年11月15日:西三河と東三河の各県と、尾張国知多郡が合併し、額田県が設置された。
- 1871年12月31日:廃止された伊那県の一部(旧三河裁判所;三河県)が、額田県に編入された。
- 1872年4月2日:隣接する名古屋県が、県庁所在地の郡名(愛知郡)を取って愛知県と改名した。
- 1872年11月27日:額田県が愛知県に編入され、現在の愛知県が成立した。
[編集] 額田県と西三河
額田県は、西三河単独の県ではなく、尾張国に当たる知多半島と、東三河を含んでいる。
又、額田県の中心地が岡崎なので、額田県は征夷大将軍であった徳川家康のイメージが強い。江戸時代の東海地方の中では、駿府(天領城下町)、島田、名古屋(尾張藩城下町)に次いで栄えていたと言われる、岡崎五万石の城下町の県と言える。
[編集] 関連項目
カテゴリ: 日本の都道府県 (廃止) | 愛知県の歴史 | 愛知県の地理