飛鳥坐神社
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飛鳥坐神社 | |
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所在地 | 奈良県高市郡明日香村大字飛鳥字神奈備708 |
位置 | 北緯34度28分47秒 東経135度49分20秒 |
主祭神 | 事代主神 高皇産靈神 飛鳥神奈備三日女神 大物主神 |
社格等 | 式内社(名神大)・村社 |
本殿の様式 | 四間社流造 |
例祭 | 2月第1日曜日(お田植祭) |
飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ、あすかにますじんじゃ)は、奈良県高市郡明日香村にある神社である。式内社(名神大)で、旧社格は村社。
目次 |
[編集] 祭神
延喜式神名帳には「飛鳥坐神社四座」とある。現在の祭神は事代主神、高皇産靈神、飛鳥神奈備三日女神(賀夜奈流美乃御魂)、大物主神の四座であるが、多くの異説がある。
- 『大神分身類社鈔』 -- 事代主命・高照光姫命・木俣命・建御名方命
- 『五郡神社記』 -- 大己貴命・飛鳥三日女神・味鋤高彦神・事代主神
- 『社家縁起』 -- 事代主命・高照光姫命・建御名方命・下照姫命
- 『出雲國造神賀詞』 -- 「賀夜奈流美乃御魂乃飛鳥乃神奈備爾坐天(賀夜奈流美の御魂の飛鳥の神奈備に坐て)」との記述がある。
また、当社地が天照大神を初めて宮中の外で祀った地「倭笠縫邑」であるとする伝承もあり(有力な説は大神神社摂社の檜原神社である)、近世には元伊勢とも称していた。
[編集] 歴史
創建の由緒は不詳であるが、『出雲國造神賀詞』には、大国主神が、皇室の近き守護神として賀夜奈流美命の神霊を飛鳥の神奈備に奉斎したとある。『日本紀略』によれば、天長6年(829年)、神託により、雷丘から現在の鳥形山へ遷座した。
寛永17年(1640年)に高取城に入った高取藩初代藩主・植村家政は、高取城の鬼門に当たる当社を深く信仰した。享保10年(1725年)、火災により社殿の大半を焼失し、天明元年(1781年)、高取藩主・植村家利により再建された。現在の社殿はこのときのものである。
[編集] 祭事
2月第1日曜日(元は旧暦1月11日)のお田植神事「お田植祭(おんだまつり)」には夫婦和合の所作があり、奇祭として知られている。境内には、男性器を模した石が多く安置されている。
[編集] 施設
境内には、江戸時代に式内小社飛鳥山口坐神社(あすかやまぐちにますじんじゃ)が遷座している。大山津見命、久久乃之知命、猿田彦命を祀る。「飛鳥山」はかつての皇室の御料林であり、その山神を祀ったものと考えられるが、旧鎮座地は不明である。
[編集] 関連項目
- 折口信夫 - 飛鳥坐神社の飛鳥直家から養子に入った祖父を誇りにしていた。
[編集] 外部リンク
- 飛鳥坐神社(延喜式内社の調査)
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