飯島勲
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飯島 勲(いいじま いさお、1945年10月13日 - )は、国会議員秘書(前内閣総理大臣秘書官)。長野県辰野町出身。
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[編集] 人物
中学卒業後に上京。東京電機大学高等学校夜間部から東京電機大学短期大学電気科に入学。卒業後は都内の法律特許事務所で職員となる。
1972年、知り合いの紹介で小泉純一郎(初当選時)の秘書となる。その後、竹下内閣及び宇野内閣において厚生大臣秘書官、宮沢内閣において郵政大臣秘書官、第二次・第三次橋本内閣において厚生大臣秘書官を務め、小泉内閣の誕生にともない内閣総理大臣秘書官(政務担当首席秘書官)に就任。メディア戦略や情報操作に長けており日本のメディアからは「官邸のラスプーチン」、アメリカのメディアからは「日本のカール・ローブ」と評されている。
また歴代の首相秘書官と比較してメディア露出が多いがこれについては「(本来黒子である)総理周辺の人物が表に出てくるのはどうか?」と言った批判も出ている。
北朝鮮工作員との接触を報じた週刊文春や、影の総理と名指しした週刊現代などに対し1000万円以上の慰謝料を請求する名誉毀損訴訟を起こすなど、自身に批判的な記事を書く出版社に対し裁判を起こしている。 また、小泉首相の北朝鮮訪問前に日本テレビが「コメ支援25万トンで調整」と報じたニュースに立腹し、取材源の開示を求め、さらに日本テレビがこれを拒否すると同行取材班から排除すると通告。多くのメディアから言論弾圧と批判された。
その一方で、小泉政権が5年にも及ぶ長期政権を維持出来たのはこうしたメディア戦略を行ってきた飯島の存在が大きいと言われている。また、閣僚人事における身辺調査の収集能力が高く、そのため閣僚のスキャンダル発覚がなかったと本人はフジテレビの特別番組で主張している。しかし、第一次小泉内閣で農水相を務めた大島理森がスキャンダル発覚によって辞任した例がある。
小泉が首相を辞任した後は、以前のように小泉の議員秘書を務めている。
[編集] 備考
首相秘書官在任中は、メディア対策の一環として、テレビのニュースキャスターと頻繁に懇談会を開くなどしたが、その際になぜかオムライスが出てくることが一部メディアで報じられ話題になったことがある。
2007年2月7日(水)の朝日放送の報道番組「ムーブ!」にて、4月22日投票の夕張市長選挙への出馬意向があることが報道される(番組コメンテーター須田慎一郎が発言、コメンテーターである二木啓孝も同趣旨の発言を行う)。須田によれば「立候補者が現れず、立候補者の追加募集(再公示)が2度行われた段階で立候補する」とのこと[1]。
[編集] 著書
- 「代議士秘書 笑っちゃうけどホントの話」(講談社文庫) ISBN 4062730952
- 「小泉官邸秘録」(日本経済新聞社)
[編集] 関連項目
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