週刊現代
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『週刊現代』(しゅうかん げんだい)は講談社から発行されている週刊誌である。
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[編集] 概要
「週刊新潮」の成功による出版社系週刊誌ブームの中で1959年に創刊。講談社にとって、「週刊少年マガジン」に次ぐ、第2の週刊刊行物となる。ヌード、劇画などを特徴とするホワイトカラーのサラリーマン向け週刊誌というスタイルを築き、続く「週刊ポスト」「週刊宝石」にも影響を与える。表紙には、女優や女性タレントの顔写真を用いる。撮影は20年以上、秋山庄太郎が手がけた。競合誌は『週刊ポスト』で発売日が同じことから、店頭ではペアで並べて売られることが多い。
創刊号は35万部を発行。1967年には100万部を突破し、川鍋孝文編集長時代の1973年に130万部を発行、元木昌彦編集長時代の1995年に150万部を発行して、幾度かの絶頂期を迎えたが、その後は後退を続け、2005年の発行部数は717,756部と週刊文春、週刊新潮に次いで第3位。
- 発売日
- 毎週月曜日に発売。一部地域では日曜日に前倒し発売する地域もあれば、火曜日~水曜日に遅れて発売する地域もある。
- 価格
- 創刊時の1959年には30円。2006年現在は350円
[編集] 特徴
- 編集方針は一貫して反権力、かつ批判的。特に自民党や小泉改革に批判的である。最近ではフライデー襲撃事件の遺恨からか東国原英夫宮崎県知事を叩く記事を展開している。
- テレビや女子アナなどのメディア・マスコミ関係の記事も多く掲載。特にフジテレビに対しての批判が多く目立つ。
- 医療に関する記事、連載も取り上げる事が多い。抗がん剤治療の第一人者平岩正樹医師の「読む抗ガン剤」(完結)や、南淵明宏医師の『異端のメス』など。教育に関する記事、連載も取り上げる事が多い。
- 元木編集長時代の「ヘアヌードで売った週刊誌」というイメージが強く、現在でもヌードグラビアを掲載しているため、週刊文春、週刊新潮と比較すると、同じ月曜日発売の週刊ポストとともに軟派週刊誌と見られがちである。しかし鈴木章一編集長以来、年金問題や同和問題など、経済・社会の根深い問題に切り込む記事を多数掲載し、その報道姿勢は一定の評価を得ようとしている。
[編集] 歴代編集長
- 大久保房男 - 1959年3月~。創刊編集長。元「群像」編集長
- 牧野武朗 - 1964年10月~?。第4代編集長。初代「週刊少年マガジン」編集長。後に独立してマイヘルス社、マキノ出版、わかさ出版を興す
- 荒木博 - ?~1969年 第5代編集長。編集長を退任した直後に小学館に移籍して、1969年8月に「週刊ポスト」の創刊編集長に就任
- 名田屋昭二 - 1969年~?。第6代編集長
- 川鍋孝文 - 1972年6月~1974年。第7代編集長。企画部時代は「週刊現代」を週2回刊行のための準備として週刊現代増刊号を手がける。後に「日刊ゲンダイ」を創刊
- 名田屋昭二 - 1974年~?。第8代編集長。編集長を解任された川鍋の後任で再登板
- 斉藤稔 - ?~?。第9代編集長
- 鈴木富夫 - ?~?。第10代編集長
- 伊藤寿男 - ?~?。第11代編集長。後にテーミス社を設立して学習研究社で週刊テーミスを発行
- 鈴木俊男 - ?~?。第12代編集長
- 杉本暁也 - ?~?。第13代編集長
- 江口拓 - 1985年~?。第14代編集長
- 寺島昭彦 - ?~?。第15代編集長
- 土門康男 - ?~?。第16代編集長
- 森岩弘 - ?~?。第17代編集長
- 元木昌彦 - 1992年11月~1998年11月 第18代編集長。写真週刊誌「フライデー」編集長から移動。「ヘア・ヌード」という和製英語の産みの親。退任後はWeb現代を手がける
- 鈴木哲 - 1988年11月~?。第19代編集長
- 鈴木章一 - ?~2004年7月
- 出樋一親 - 2004年7月~2006年3月。退任後は写真週刊誌「フライデー」の編集長に就任
- 加藤晴之 - 2006年3月~現在。編集長就任前は「フライデー」編集部から異動
[編集] 主な編集方針とスクープ記事、スキャンダル等
[編集] 大久保房男編集長時代
文芸雑誌「群像」編集長の経験を持ち、連載小説には石坂洋次郎、川口松太郎、柴田錬三郎、吉行淳之介を起用。創刊時には皇太子の結婚ということもあり就任からしばらくは皇室記事を掲載した。
[編集] 牧野武朗編集長時代
金と女と出世というサラリーマンの3大欲望とも実益路線とも言われる路線を推進させ、以後の「週刊現代」を初めとするサラリーマン向け週刊誌の基本コンセプトを確立する。「今週の株情報」はヒット企画になり、推奨する銘柄はゲンダイ銘柄とも呼ばれた。1965年には30万部で赤字だった週刊現代を、1966年には65万部に伸ばし、やがて発行部数の首位を「週刊新潮」から奪取した。
[編集] 荒木博編集長時代
前編集長の牧野武朗の路線を徹底させて、トップの座を安定させるが、ワンマンとも評されて編集部内をまとめきれずに辞職。また、猥褻として警視庁からマークされていた梶山季之の連載小説『ああ蒸発』が会社の上層部によって一方的に打ち切りを余儀なくされた。
講談社を退職した荒木は、小学館で「週刊現代」と同路線の「週刊ポスト」を創刊させる。「週刊ポスト」に読者を奪われた「週刊現代」はトップから転落し、それに代わり荒木の「週刊ポスト」がトップの座に就く。
[編集] 川鍋孝文編集長時代
毎日新聞のスター記者だった大森実を起用しての創価学会の池田大作、日本共産党の不破哲三らへの直撃インタビューが話題を呼び、最高発行部数は130万部で、「週刊ポスト」から首位の座を奪取。以後も100万部を維持する。ロングインタビュー路線ではこの他にもフィリピンで小野田寛郎少尉を発見した青年へのインタビュー記事が注目された。金大中事件で韓国政府批判を繰り広げたことにより、韓国大使館から抗議を受け、講談社役員との喧嘩となり川鍋は編集長を解任される。
[編集] 元木昌彦編集長時代
ヘアヌードを積極的に掲載した。オウム真理教事件や阪神・淡路大震災などの大事件が相次いだこともあり、実売で50万部に落ち込み、週刊誌6位に低迷していた発行部数を1995年には平均発行部数が73万部。さらに1996年新年号では150万部を発行して、瞬間的には「週刊ポスト」を追い越すまで持ち直す。
政治的には、「週刊ポスト」の親小沢一郎路線に対して、小沢批判の記事を前面に押し出した。この結果、小沢の記者会見からは「週刊現代」が締め出され、講談社で出していた小沢の『日本改造計画』の英訳版の話もなくなる。「週刊現代」が代表したヘアヌード路線は部数に貢献したものの、新聞や宗教団体などから批判を受け、航空会社の機内誌から外される事態にも至った。
1996年新年号にオウム真理教の教祖だった松本智津夫の自白調書を掲載。これまで自白もなく調書も存在しないとしてきた検察と警察の発表を覆す内容となるものであった。これに対して松本智津夫は秘密漏洩罪で告訴し、東京地方検察庁が松本の前担当弁護士を捜索した。さらに講談社へ家宅捜査が行なわれる直前で松本が告訴を取り下げた。親告罪であるため、この件に関する捜査は終了した。新聞やテレビが「週刊現代」に批判的だった一方で、本田靖春などのジャーナリストやミニコミ誌はこれを検察の情報操作と言論の自由に対する威嚇とみなした。
1997年9月に掲載した早稲田大学が凋落したとの記事に対して、早稲田大学側は記者会見を開いて告訴すると発表。当時の総長である奥島孝康は「文藝春秋」の1998年1月号に反論記事を掲載した。
[編集] 鈴木哲編集長時代
テレビ朝日の社員(元アナウンサー)龍円愛梨に対し、学生時代の行状とされるスキャンダルが同誌で書き立てられた。龍円側は事実無根として同誌を名誉毀損で提訴。後に勝訴が確定した。当時の判決では、日本の賠償額としては異例の高額になったことと、有名人と言えども学生時代の出来事は、一般の関心事とは言えず公益性がないと判示したことで話題となった。 ちなみにこの記事を作成(捏造)したとされるのが、いわゆるライブドア送金指示メール事件で堀江メールを作成(捏造)した西澤孝である。この事件以降、週刊現代によるテレビ朝日批判は自粛されることになる。
[編集] 鈴木章一編集長時代
ジャーナリストの岩瀬達哉による年金未納問題追及キャンペーンを行う。その後、国会などで年金問題が扱われる契機となる。さらに政府の年金CMに出演していた江角マキコの年金未納問題をスクープ。この報道は、政治家の年金未納問題の発覚に繋がった。
ジャーナリストの溝口敦を起用し、大阪の食肉加工業者「ハンナン」の浅田満の牛肉偽装事件を追及するレポート『食肉の王』を連載。同和問題に鋭く切り込み、後の詐欺容疑での立件のキッカケを作った。
外部のジャーナリストのスクープ記事を掲載する一方、契約記者のギャラや取材費などを切り詰めた結果、雑誌の収益は上がったものの現場の士気が低下。仕事が出来る記者が他誌に転職する事態となり、部数減を招いた。
[編集] 出樋一親編集長時代
自民党、小泉改革に批判的。対北朝鮮強硬派の安倍晋三官房長官の北朝鮮関係者との関係を暴くなど、硬派なスクープ記事を掲載した。出樋は、その後再びフライデー編集長に就任する。
[編集] 加藤晴之編集長時代
2006年春に誌面リニューアルと称し、大橋巨泉の「内遊外歓」などの連載を打ち切る。大橋の連載打ち切りは唐突で、最終回ではその事情が明かされた。2007年1月6日・13日合併号から、さらにリニューアルされ、表紙ロゴを一新し、藤原紀香の上半身セミヌードが表紙を飾った。
2006年3月25日号の記事では、格闘技イベントPRIDEを主催するDSEとフジテレビと暴力団の関係についての記事が掲載された。2006年6月にフジテレビはPRIDEの放送の契約解除を発表した。DSEは4月に週刊現代を名誉毀損で提訴していたが、フジテレビの放送契約解除を受けてイベント興行に関する損害賠償請求訴訟、さらに刑事事件として威力業務妨害罪で告訴するともアナウンスした。 しかし、民事訴訟のほうは提訴が行われることなく、2007年にDSEは外国人(他団体「UFC」のオーナー)が中心となる新会社にすべての権利を売却することを決定。実質的に同社は消滅する。
2006年5月より、ジャーナリストの溝口敦が、細木数子の暴力団との交際疑惑を告発する連載をスタート。これに対して週刊文春が細木を擁護する連載を始める。溝口は細木が連載を中止させるべく脅迫をした事実なども記述した。
JR東日本の労働組合の一つである東日本旅客鉄道労働組合が、革マル派の支配下にあると報じた。これに対し、JR総連とJR東労組は事実無根として週刊現代を名誉毀損で提訴し、JR東日本は中吊り広告の契約を解除した。しかし、2007年1月19日、福島地方裁判所は、JR総連に関する週刊現代の記事は99.5%信憑性があると認め、請求を棄却した。
自称“元警察官”のテレビコメンテーター北芝健の経歴が曖昧であるという報道をした(2006年9月23日号、2006年9月30日号)。
2006年から現在まで、大阪市を始めとした自治体や金融機関の同和問題に関して、頻繁に告発記事を掲載する。これまであまりとりあげられてこなかった同和利権に、大手週刊誌メディアとして初めて正面から取り組み、多くの問題提起を行っている。
2007年1月22日号、2007年2月3日号では、横綱朝青龍らが大相撲九州場所で八百長を行ってるとの疑惑を報道。日本相撲協会の事情聴取に対し疑惑が持たれている7人の力士は全面的に否定し、同協会は、講談社や週刊現代編集長、筆者の武田賴政を相手取り、総額4億8437万9000円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求め、東京地裁に提訴した。2007年3月14日、日本相撲協会は新たに15人の力士を原告に加え、賠償請求額も増やす方針を決めた。原告力士は計32人になった。
2007年3月24日号で、「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」の活動資金についてと、西岡力常任副会長が安倍首相に直訴したという内容の記事を掲載する。家族会側は3月15日付けで事実無根との反論を発表した[1]。
2007年4月7日号で、タレントで未成年の加護亜依の男性との温泉一泊旅行と喫煙をスクープ。加護は、2006年2月に「フライデー」に喫煙姿を掲載され芸能活動を自粛中だった。週刊現代の発売日に、所属事務所のアップフロントエージェンシーは「喫煙は事実」と報道内容を認めた上で、「未成年者の二度目の喫煙」を重く見て加護の契約解除、解雇処分とした。なお、講談社社員が同24日、ネット掲示板「2ちゃんねる」を調べたところ、この記事が、発売前に何者かの手でネット上に全文転載されさらに2ちゃんねるにURLがリンクされた。同社は転載した人間を被疑者不詳のまま著作権侵害で警視庁に告訴した。[[2]] なお、フライデー、週刊現代ともスクープを行った時点での編集長は加藤晴之である。
2007年4月7日号で、社会保険庁改革を暴く岩瀬達哉の連載を開始。厚生労働省と年金官僚の悪知恵を追及する。
2007年4月7日号で、「吉本興業副社長を○暴(=マルボウ、暴力団)が脅迫!」とスクープ。
2007年4月21日号でNHK人気情報番組「ためしてガッテン」のねつ造疑惑!と掲載する。NHKは、4月9日に「週刊誌には、東海大学大櫛陽一教授の証言として、NHKの番組スタッフが「捏造」を認める発言をしたかのように書かれています。番組スタッフは今年2月に大櫛教授に電話取材をしましたが、そのような発言はしていません。また、番組スタッフは、この番組には全く関わっておらず、実験データを知る立場にはありませんでした。」等と、全面的に反論し、番組でデータの改ざんや捏造をした事実は全くないとし、「週刊現代」に強く抗議し謝罪と訂正を求める見解を発表。 [[3]]。
2007年4月21日号で社会保険庁改革を暴くで国民から預かった年金を自民党の政治献金に消えていったとスクープ。
[編集] 主な連載
連載漫画
[編集] 参考資料
- 斎藤精一『雑誌大研究 出版戦国時代を探る』1979年、日本工業新聞社・大手町ブックス
- 朝日新聞社学芸部編著『出版界の現実 出版界の内幕を徹底取材』1979年、日本ジャーナリスト専門学院出版部・ジャーナリスト双書
- 月刊「創」編集部編『音羽vs一ツ橋 巨大出版社の研究』1983年、創出版
- 岩川隆『ノンフィクションの技術と思想 』1987年、PHP研究所
- 伊藤友八郎『出版王国「講談社」 情報の宝庫はいかにしてつくられたか』1994年、オーエス出版
- 『イカす!雑誌天国 雑誌は世の中を映し出す鏡だ!』2001年、洋泉社
- 長尾三郎『週刊誌血風録』2004年、講談社・講談社文庫
- 元木昌彦『週刊誌編集長 週刊現代・フライデー・web現代編集長が明かす、スキャンダル、事件報道現場の3300日』2006年、展望社
- 高橋呉郎『週刊誌風雲録』2006年、文藝春秋社・文春新書
- 佐々木崇夫『三流週刊誌編集部 アサヒ芸能と徳間康快の思い出』2006年、バジリコ