鮫島宗明
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鮫島 宗明(さめじま むねあき、昭和18年(1943年)12月9日 - )は、平成期の日本の政治家。元衆議院議員。
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[編集] プロフィール
昭和18年(1943年)12月9日静岡県田方郡伊豆長岡町に生まれる。
戦前、拓務大臣、逓信大臣、鉄道大臣を歴任し、雄弁家として知られた永井柳太郎は祖父、教育社会学者で三木内閣の文部大臣を務めた永井道雄はおじに当たる。
武蔵中学校・高等学校を経て昭和42年(1966年)東京大学農学部を卒業、昭和50年(1975年)東京大学大学院農学研究科博士課程を修了する。農林水産省に入省し、同省の国際農業研究所に入る。昭和63年(1988年)農水省生物資源研究所研究室長を経て、平成5年(1993年)第40回衆議院議員総選挙に日本新党公認で立候補し、初当選する。日本新党では、党財務委員長、副代表幹事などを務める。平成6年(1994年)新進党に参加する。平成8年(1996年)第41回衆議院議員総選挙では次点で落選する。平成9年(1997年)東京農業大学客員教授に就任する。この間、民主党に入党し、平成12年(2000年)民主党公認で東京10区から立候補し、小選挙区では落選するものの、比例区東京ブロックで復活当選を果たす。狂牛病(BSE)が問題化した際、農業研究専門家としてBSE対策法、食品安全政策で民主党側の責任者となる。平成15年(2003年)11月総選挙で比例区東京ブロックで当選する。平成16年(2004年)民主党次の内閣農林水産大臣に就任する。
平成16年、鮫島宗明氏の政治団体次世代産業研究会(豊島区)は、牛肉輸入解禁を求めていた外食産業政治研究会(すかいらーく横川竟代表)から70万円を受け取っていた。(H16年分政治資金収支報告書)
平成17年(2005年)9月11日第44回衆議院議員総選挙では、選挙区の東京10区で郵政民営化に反対した小林興起に対して、環境大臣の小池百合子が「刺客」第一号として立候補し、三つどもえで激しい選挙戦を繰り広げる中、両者に埋没する形で落選した。
平成19年(2007年)、4月22日投票の練馬区長選挙への立候補を表明している。
[編集] 著書
- 『殿様と36人のサムライ―日本新党365日の記録』 ISBN 4408101494
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 鮫島宗明 website(公式サイト)