JIRO (GLAY)
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JIRO(ジロウ、本名:和山 義仁(わやま よしひと)、1972年10月17日 - )は日本のミュージシャンで、GLAYのベーシストとして知られる。また、THE PREDATORSのベースも担当。北海道函館市出身。函館大谷高等学校卒業。血液型はA型。
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[編集] 人物
メンバーの中で唯一の年下でありながら、GLAYの副リーダー的存在。非常に几帳面で真面目な性格である。また、the pillowsのトリビュートアルバムにも参加経験あり。佐久間式・逆アングルピッキング演奏は秀逸である。
GLAYのメンバーを呼ぶときは、「くん」付け。TAKUROなら「琢郎くん」、HISASHIなら「トノくん」、TERUなら「てっこくん」となる。 ただしテレビなどのメディア出演時は、TAKURO以外の二人に関しては「HISASHI」「TERU」と呼び捨てになる。
自分が気に入っているものを大切にする性格である。「弦が切れなければ弾ける」と言うTAKUROとは対象的に、JIROはスタッフが誤ってぶつけてしまった場合でも豹変する。
非常に良いファッションセンスの持ち主で、衣服にあまりこだわりのないTAKUROに「衣装はどうしたらいい?」と相談されたほどである。代官山でJIROとは気付かずに「雑誌のオシャレ選手権に出ないか」と声をかけられたこともある。
ミュージックステーションでタモリに名前を呼ばれるのはJIROだけであり、メンバーはそれを気にしている。
ちなみに、TAKUROの子供がJIROと同じ誕生日だという噂がある。 JIRO自身にも子供がいる。
趣味はカメラとスノーボード。特にカメラは、空や風景などの写真を撮るのが好きでGLAYの会報内で自身の写真のコーナーがある。 このコーナーでは、ファンからの投稿も採用しその時々の季節感やテーマにそっている。
2005年からは、インディーズバンドTHE PREDATORSのベースとしても活躍。 GLAYでもTHE PREDATORSでもまれに自身で作曲をしている。 SHUTTER SPEEDSのテーマ(GLAY)は、特にライブでも盛り上がる楽曲となっている。
[編集] 経歴
頑固な職人の父を持ち、母、そして姉が1人、妹が2人いる。
子供の頃、JIROの家では父親の言う事は絶対に従わなければならず、口答えをすれば殴られ、テレビのチャンネル優先権も父親が握っており、まさに"亭主関白"であった。
JIROは小さいながらも力はあって,お父さんが仕事に出て行くのに付いて行こうとして,抑えていたお母さんの肩が外れた事もあった。
バスケットボール部に入部するが1年程で退部する。時間的に余裕があったJIROは音楽に興味を持ち、エレキギターをもっている友人にギターを借りる。しかし、母親に「そんな高価なものはすぐに返しなさい」と叱られ、渋々ギターは返したがこのことがJIROに「何が何でもギターを買う」という決心をもち、新聞配達のアルバイトで貯めたお金でギターを買った。その後、友人と「ネクストビート」というバンドを結成。
高校入学後に「セラヴィ」というバンドにギターとして加入。高3の頃にベースに転向、「ピエロ(当時、函館で人気のあったバンドであり、JIROの友人がメンバーにいた。既に解散したPierrotとはまったく関係がない)」に加入した。理由は「ピエロに入れるならベースでもいい。」ということから。友人の持っているベースと自分の持っているギターを交換した。 1年早く上京していたGLAYが帰郷した際に対バンする。その打ち上げでTAKUROに東京へ行くことを薦められ、高校卒業後はピエロのメンバーと上京することになった。
上京~インディーズ時代 1991年4月~1994年5月24日
上京したものの、「ピエロ」は解散。その後はいくつかのバンドを渡り歩く。
1992年8月 TAKUROに誘われ、GLAYに加入。当初は「社交辞令程度の軽い気持ち」だったようだ。 しかし、持ち前の積極的な行動力によりGLAYの人気は次第に上がっていた。
1994年 5月 「RAIN」でメジャーデビュー。 デビュー時にはGLAY内で唯一短髪で髪も逆立てない普通の格好をしていたが、90年代後半は奇抜なヘアメイクと派手な衣装を着るように。 特に1998年辺りの「アロエヘア」(当時出されたアルバム「pure soul」と掛けて“pure soulヘア”とも呼ばれる)はとてもインパクトがあるものとなった。
1999年 2月 音楽雑誌「WHAT's IN?」で連載していたものをまとめた、初の単行本「キャラメルブックス」を発売。
2000年 GLAY ARENA TOUR 2000 ”HEAVY GAUGE”時、精神的に参っていた時期があった。ライブ中もずっと下を向くなどの行為が目立ち、ファンからも心配の声が上がった。TAKUROも「解散してもいいからJIROを休ませてあげたい」と発言するほどであったが、その時期を乗り越え,現在に至る。 その時期を支えてくれた、JIROが毎月連載していた音楽雑誌「WHAT's IN?」の編集者と同年12月に結婚。
2001年 7月 「キャラメルブックス」の続編、「キャラメルパビリオン」を発売。
2004年 the pillowsのトリビュート・アルバム『SYNCHRONIZED ROCKERS』に参加。
2005年 the pillowsの山中さわおとストレイテナーのナカヤマシンペイと共にTHE PREDATORSを結成。 7月6日インディーズレーベルよりミニアルバム「Hunting!!!!」を発売。 7月19日の横浜BLITZでのフリーライブを皮切りに、FM802 MEET THE WORLD BEAT 2005やRISING SUN ROCK FESTIVAL 2005 in Ezoに出演した。
2006年 THE PREDATORSとして「ARABAKI ROCK FEST. 06」に出演。
[編集] 名前の由来
GLAY加入前に所属していたバンド「ピエロ」のボーカルに名前を聞かれ、そのときにとっさに「JIRO」と答え、それ以来ずっと「JIRO」になっているのである。
[編集] 連載
- キャラメルBOX(ワッツイン(ソニー・マガジンズ))は現在休止中
復活を望む声が多い。
[編集] 書籍
音楽雑誌「ワッツイン」での連載の初の書籍化。
音楽雑誌「ワッツイン」での連載の書籍化第2弾。
「友だちが来たら、連れていってあげたい、見せてあげたい東京」をテーマに、MAYA MAXXとJIROがビンゾー&ジロゾーに扮し、東京の各所を紹介するガイドブック。
[編集] レギュラーラジオ番組
- BUGGY CRASH NIGHT(FM802)毎週土曜23:00~24:00
カテゴリ: GLAY | 日本のミュージシャン | 日本のベーシスト | ラジオ番組のパーソナリティ・DJ | 1972年生 | 北海道出身の人物