Uボート (II型)
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Uボート (II型)はドイツ第三帝国海軍の潜水艦で、第二次世界大戦で用いられた。IIA、IIB、IIC、IIDの四つに細分化される。
目次 |
[編集] 概要
設計は第一次世界大戦に建造されたUB-II型潜水艦を発展させたものであり、フィンランド海軍の潜水艦、ヴェシッコを手本としている。この設計は沿岸付近で運用されることを想定したもので、船体は小さく航続距離もあまりないが、新生ドイツ海軍にとっては貴重な戦力であった。
[編集] UIIA
IIA型のUボートの一番艦が就役したのは1935年であり、全部で6隻が就役した。この艦級の潜水艦はすべてキールで建造されている。航続力がなく、航行する艦船を攻撃するのには不利であるという欠点を持っていた。
[編集] 同型艦
- U-1、 U-2、 U-3、 U-4、 U-5、 U-6
[編集] UIIB
続いて建造されたIIB型は就役が1935年から1940年にかけて行われ、キール及びリューベックで合計20隻が建造された。航続距離は7割増しとなっている。
[編集] 同型艦
- U-7 、U-8、 U-9、 U-10、 U-11、 U-12、 U-13、 U-14、 U-15、 U-16、 U-17、 U-18、 U-19、 U-20、 U-21、 U-22、 U-23、 U-24、 U-120、 U-121
[編集] UIIC
IIC型は1938年末から1940年に就役し、建造はキールで行われた。合計8隻が建造された。潜望鏡が1基追加されているという特徴がある。また、航続距離が若干増大している。
[編集] 同型艦
- U-56、 U-57、 U-58、 U-59、 U-60、 U-61、 U-62、 U-63
[編集] UIID
IID型は1940年から翌年にかけて16隻が就役した。建造はすべてキールで行われている。燃料タンクが増設されており、航続距離がIICよりもさらに長大なものとなっている。
II型Uボートは航続距離の短さに終止悩まされた。もともと沿岸用の潜水艦であったので、大西洋を航行する船舶を攻撃する任務は荷が重すぎたといえるだろう。大戦の中盤以降ではほとんど通商破壊に用いられることはなく、練習艦として用いられるばかりであった。
[編集] 性能諸元(IID)
- 全長:44.0m
- 全幅:4.9m
- 排水量:水上314t、水中364t
- 最大速度:水上12kt、水中7.5kt
- 水中航続距離:104km(56海里)/4kt
- 水上航続距離:6500km(3500海里)/12kt
- 兵装:53cm魚雷発射管×3、20mm機銃×1、魚雷×6、機雷(TMA)