U-17サッカー日本代表
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U-17サッカー日本代表(ゆーじゅうなな―にほんだいひょう)日本サッカー協会によって編成される17歳以下のサッカーのナショナルチームである。
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[編集] 成績
日本はU-17世界選手権にホスト国であった1993年と、アジア予選を勝ち上がった1995年と2001年の計3回出場している。また2007年大会の出場権を、AFC U-17選手権優勝と言う最高の形で獲得した。
この大会のアジア予選を兼ねるAFC U-17選手権ではは、本大会の1年前に16歳以下の選手によって行われる。日本はこの予選を高校受験によって半年間競技を離れた上に、高校進学後の新チームではレギュラーとして実戦経験を積むのが難しい高校一年生中心のチームで戦う為、なかなかアジア予選を勝ち抜く事が出来なかった。各方面でこの年代においての国際試合の経験の少なさが論じられており、この対策も兼ねて2006年ののじぎく兵庫国体からサッカー少年男子の部の出場資格を、早生まれの高校二年生から中学三年生までの年代に変更。若い学年の内から、より多くの試合経験を積ませる動きが始まっている
[編集] 1985年中国大会
アジア予選敗退
[編集] 1987年カナダ大会
アジア予選敗退
[編集] 1989年スコットランド大会
アジア予選敗退
[編集] 1991年イタリア大会
アジア予選敗退
[編集] 1993年日本大会
小嶺忠敏監督が指揮を取り、中田英寿・宮本恒靖・松田直樹・戸田和幸らが出場。グループリーグを突破するも、準々決勝でヌワンコ・カヌを擁するナイジェリアに1-2で破れた。
- GK
- 伊藤卓弥 横浜マリノスユース
- 小針清允 読売SCユース
- DF
- MF
- FW
[編集] 1995年エクアドル大会
95年:松田保監督の下、小野伸二・稲本潤一・高原直泰ら後の「ゴールデン・エイジ」が出場。グループリーグで勝ち点4を上げるも、開催国エクアドルに得失点差で1及ばず決勝トーナメント進出を逃す。
- GK
- 中村元 四日市中央工高
- 中川雄二 国見高
- 曽ケ端準 鹿島アントラーズユース
- DF
- MF
- FW
[編集] 1997年エジプト大会
アジア予選敗退
[編集] 1999年ニュージーランド大会
アジア予選敗退
[編集] 2001年トリニダード・トバゴ大会
田嶋幸三監督がチームを率い、藤本淳吾・矢野貴章・菊地直哉・成岡翔・工藤浩平らが出場。初戦のアメリカ戦に勝利するが、この大会の準優勝国ナイジェリアに0-4、そして同じく優勝国フランスに1-5と二戦連続で大敗。グループリーグで敗退している。
- GK
- DF
- MF
- FW
- バックアップメンバー
[編集] 2003年フィンランド大会
アジア予選敗退
[編集] 2005年ペルー大会
アジア予選敗退
[編集] 2007年韓国大会
アジア予選通過、 ※本大会代表候補
- GK
- 廣永遼太郎 FC東京U-18
- 吉田智志 ルーテル学院高
- 大畑拓也 ジュビロ磐田ユース
- DF
- 奥井諒 履正社高
- 甲斐公博 横浜F・マリノスユース
- 金井貢史 横浜F・マリノスユース
- 高橋峻希 浦和レッズユース
- 益山司 岐阜工高
- 山崎正登 柏レイソルU-18
- 山地翔 浦和レッズユース
- 濱田水輝 浦和レッズユース
- MF
- 井上和馬 逗葉高
- 岡本知剛 サンフレッチェ広島ユース
- 河野広貴 東京ヴェルディユース
- 水沼宏太 横浜F・マリノスユース
- 安田隆 三菱養和SCユース
- 山田直輝 浦和レッズユース
- 米本拓司 伊丹高
- 山浦公裕 FC東京U-18
- 柿谷曜一朗 セレッソ大阪
- 八反田康平 鹿児島中央高校
- FW
- 大迫勇也 鹿児島城西高
- 大塚翔平 ガンバ大阪ユース
- 富山貴光 矢板中央高
- 端戸仁 横浜F・マリノスユース
- 比嘉厚平 柏レイソルU-18
- 齋藤学 横浜F・マリノスユース
- 長谷部彩翔 アルビレックス新潟ユース
- 辻智人 ヴィッセル神戸ユース