稲本潤一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
稲本潤一(いなもと じゅんいち、1979年9月18日 - )は、鹿児島県姶良郡栗野町(現湧水町)出身でガラタサライ所属のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(日本代表では主にボランチ)。
大阪府立堺上高校入学後、向陽台高校に編入し、卒業。愛称はイナ(INA)、ワールドカップ男。日本サッカー黄金世代を代表する一人であり、日本人ボランチの第一人者(日本でボランチとして有名になった初めての選手)。攻守に渡りダイナミックなプレーが持ち味の、日本を代表するスーパーボランチ。日本屈指の万能性を持つミッドフィールダー。
目次 |
[編集] 来歴
生後2ヶ月の時、父(四郎)の仕事の都合で家族と共に鹿児島県姶良郡栗野町(現湧水町)から大阪府堺市に引越す。
6歳の時に青英学園SCでサッカーを始める(なお、青英学園SC出身のプロサッカー選手には神山竜一もいる)。
早くからガンバ大阪の下部組織に属し、クラブチームの中で成長していった。少年時代のポジションは攻撃的ミッドフィールダーで、その年代の代表には小野伸二がおり、共に競い合っていた。1997年、17歳6ヶ月という当時最年少でJリーグにデビュー。17歳7ヶ月で初得点(同じく当時最年少記録)をあげている。
1999年にはワールドユースで準優勝を果たし、シドニーオリンピック日本代表にも召集され、トルシエ・ジャパン不動のボランチとして日本代表に欠かせない選手となっていった。同時にガンバ大阪でも看板選手となり、オールスターサッカーでは1999年、2001年共に最高得票で選ばれるなど人気面でも際立つ存在に。その後、アジアカップやFIFAコンフェデレーションズカップなどでの活躍を認められ、2001年にイングランドプレミアリーグの名門アーセナルに移籍する。そして、日本人として初めて、UEFAチャンピオンズリーグに出場した。
同チームでは不遇であったが、2002年日韓W杯では、対ベルギー戦および対ロシア戦でゴールを挙げ、グループリーグ突破の立役者となる大活躍で世界中にイナモト旋風を巻き起こした。大会後はフラムにレンタル移籍し、インタートト杯決勝のボローニャ戦で欧州では日本人初となるハットトリック達成や、強豪マンチェスター・ユナイテッド戦でスーパーゴールを決めるなど活躍する。しかし、2004年日本対イングランド戦で左脚腓骨を骨折し、ほぼ決まりかけていた完全移籍が白紙に。その様な中でも実績のある稲本には獲得オファーが届き、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンに移籍。しかし出場機会に恵まれたとはいえず、カーディフ・シティ(レンタル移籍)、再度ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンと渡り歩いた。
日本代表としては2006年ドイツW杯に向け、レギュラーメンバーとして起用されていたが、左脚腓骨骨折によりメンバーからの離脱を余儀なくされる。同じポジションである福西崇史が台頭し、またリーグ戦終盤に出場機会が減少したことで試合勘を疑問視され、代表落ちを危惧された時期もあったが、最終メンバーに選出され、2大会連続2度目のW杯出場を果たした。グループリーグの初戦、対オーストラリア戦では出場機会はなく、続く対クロアチア戦では後半開始と共に交代出場。好調さを買われて次のブラジル戦ではスターティングメンバーとなり、最終的に再びポジションを勝ち取ることとなった。
2006年、欧州移籍期間最終日の8月31日、ボランチを探していたトルコ1部リーグの強豪ガラタサライに電撃移籍。移籍当初から監督のエリック・ゲレツ氏は稲本をチームの主軸として起用し、始めは地元メディアからの評価が高いとは決して言えなかったものの、試合を重ねるにつれて、ファンやメディアからの評価も上がり、今ではガラサタサライの不動のボランチとして活躍している。アーセナル在籍時以来4大会ぶり(日本人として初めて複数クラブから出場)のチャンピオンズリーグにも出場し、グループリーグ5戦目のFCボルドー戦で初得点もマーク。そしてこのゴールがトルコリーグの11月ベストゴールに選ばれた。
[編集] プレイスタイル
- もともと細身の選手だったが、プレミアリーグでフィジカルを徹底的に鍛え、強靱なフィジカルを獲得。
- 守備面ではそのフィジカルを活かし中盤で相手チームの攻撃の芽を積んだり、自陣ゴール前で相手選手に強烈なタックルをお見舞いする。
- 攻撃面では中盤での守りから一気に攻撃に転じるようなプレーや、中盤から一気にドリブルで抜け出すようなプレー(2002年日韓W杯でも見られた)を得意とする。また、敵陣でのロングシュート、ボランチの位置から放たれる正確なロングパスと攻撃性能の高さも彼の持ち味でもある。特に、右サイド奥へ走るサイドバックへ中盤の底からピタリと合わせるロングパスは絶品。
- フラムでは一時期トップ下で、コーナーキックやフリーキックなどを任されるなど元々器用な選手で、U-17代表の時は右サイドバックを務めたりと、攻撃と守備の両面において幅広いポジションで高質なプレーが出来る。その他にもセンターバック、サイドハーフ、トップなど、様々なポジションを経験しており、その経験が現在のセンターハーフとしての活躍に繋がっていると思われる。
[編集] 個人成績
年度 | チーム | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
J・J1 | J2 | ||||||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
1997年 | G大阪 | J | 29 | 27 | 3 | - | |||||
1998年 | G大阪 | J | 6 | 28 | 6 | - | |||||
1999年 | G大阪 | J1 | 6 | 22 | 1 | - | |||||
2000年 | G大阪 | J1 | 6 | 28 | 4 | - | |||||
2001年 | G大阪 | J1 | 6 | 13 | 2 | - | |||||
通算 | 118 | 16 | - |
- 1997年はユース所属。
- J1リーグ 118試合16得点
- プレミアリーグ 68試合4得点
- イングランド2部リーグ 12試合0得点
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
- 1994年AFC U-17選手権 カタール大会
- 1995年FIFA U-17世界選手権 エクアドル大会
- 1998年AFCユース選手権 タイ大会
- 1999年FIFAワールドユース ナイジェリア大会
- 2000年シドニーオリンピック
- 2000年AFCアジアカップ レバノン大会
- 2001年FIFAコンフェデレーションズカップ 韓国・日本大会
- 2002年FIFAワールドカップ 韓国・日本大会
- 2003年FIFAコンフェデレーションズカップ フランス大会
- 2005年FIFAコンフェデレーションズカップ ドイツ大会
- 2006年FIFAワールドカップ ドイツ大会
[編集] 試合数
年度 | 試合 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|---|
出場 | 得点 | ||
2000年 | (18) | 14 | 0 |
2001年 | (13) | 11 | 1 |
2002年 | (13) | 10 | 2 |
2003年 | (16) | 10 | 1 |
2004年 | (22) | 6 | 0 |
2005年 | (20) | 10 | 0 |
2006年 | (19) | 4 | 0 |
通算 | 65 | 4 |
[編集] エピソード
- 幼稚園生の頃、体力作りのマラソンで先頭を走っていた先生を猛烈な勢いで追い抜いていった。しかも大人が追いつくのに必死だった。
- 小学校5年生の時のサッカーの試合で稲本のすねを蹴った相手選手の骨が折れてしまった。
- 高校の面接では一言も喋らずに合格した。
- ガンバ大阪ユース時代、自宅から練習場まで片道約2時間をかけ電車で通っていた。
- ガンバ大阪時代、そのアイドル並みのルックスと人気でメディア等から“浪速のプリンス”と呼ばれていた。しかし、あまりにも皆から「プリンス!プリンス!」と言われていたため、本人は相当うんざり気味だった。
- 1998年-2002年まで代表監督を務めたフィリップ・トルシエ氏からは“私のビッグベイビー”と呼ばれるなど、とても可愛がられていた。
- 2002年日韓W杯の時、自分で「旬の男」と言っていたことを親友の小野伸二に記者会見場でバラされてしまった。
- 日韓W杯の時、オーストラリアのW杯イケメンランキング5位、イギリスのゲイが選ぶセクシーベストイレブンなどに選ばれた。
[編集] 性格・特徴
明るく、温厚な性格でチームのムードメイカー的存在。同時にコテコテの関西人のため、ウェブサイトのメッセージやインタビューの際も関西弁である。 バラエティ色の強いテレビ番組などでは、お笑い芸人顔負けのトークで思わず喋りすぎてしまうため、やべっちFCで矢部浩之に「テレビ慣れしてる」「芸人みたい」などとよく忠告される。
また、いかにも母性本能をくすぐる可愛い顔で女性にとても人気があり、日韓W杯で世間の女性を虜にした笑顔は彼の魅力の一つでもあり、ファンの間では“イナスマイル”と呼ばれ親しまれている。
[編集] 受賞タイトル
- 1994年 U-17アジアジュニアユース選手権大会優勝
- 1996年 ジュニアユースカップ準優勝
- 1997年 なみはや国体サッカー少年の部3位
- 1998年 U-19アジアユース選手権準優勝
- 1999年 U-20ワールドユース選手権準優勝
- 1999年 たらみオールスターサッカーMIP受賞
- 2000年 シドニーオリンピックベスト8
- 2000年 キリンカップ優勝
- 2000年 アジアカップ優勝
- 2000年 Jリーグベストイレブン
- 2000年 AFC月間最優秀選手賞受賞
- 2001年 コンフェデレーションズカップ準優勝
- 2002年 FAカップ優勝
- 2002年 FAプレミアリーグ優勝
- 2002年 FIFAワールドカップ日韓大会ベスト16
- 2002年 UEFAインタートトカップ優勝
- 2002年 AFC月間最優秀選手賞受賞
[編集] 関連書籍
- 2002年 イナ!稲本潤一 - 稲本潤一コンプリートブック (小学館)
- 2002年 イナゴール!! - 隆行、モリシ…ゴールネットを揺らした蒼き軌跡(アートブック本の森)
- 2002年 稲本潤一足跡(ラインブックス、稲本潤一担当記者グループ)
- 2002年 稲本潤一 1979-2002 (文藝春秋、佐藤 俊)
- 2002年 稲本VSベッカム プレミアシップ・リーグ進化論(フットワーク出版、金子義仁/共著 永井透/共著)
- 2003年 黄金のカルテット 稲本潤一物語(汐文社、本郷 陽二)
- 2003年 海を渡ったヒーローたち - 中村俊輔・稲本潤一・小野伸二・中田英寿(汐文社、本郷 陽二)
- 2003年 稲本潤一 足跡(アールズ出版; 増補改訂版版、稲本潤一担当記者グループ)
[編集] DVD&VHS
- 稲本潤一 ライジング(ポニーキャニオン)
- INA(日活)
- 六月の勝利の歌を忘れない(ポニーキャニオン)
- 2002UEFAインタートトカップのすべて~稲本、奇跡のハットトリック! クラブ史上初のUEFAカップ出場権獲得!~(Fulham Football Club Official Video)
[編集] コマーシャル出演
- スカイパーフェクTV!
- キリン
- 「麒麟淡麗〈生〉」 (2003年-2004年)
- 「サッカー日本代表応援キャンペーン」
- ナイキ
- 「NIKE FREESTYLE "stickman"」 (2003年-2004年) - ロナウジーニョとの共演
- 「nike bukatsu」 (2005年)
- 明治製菓「ザバスコンディショニングウォーター」 (2004年-2005年)
- 映画「スチームボーイ」 (2004年)
- スズキ・スイフト ZC/ZD型
- 「サッカー 篇」 (2004年-2006年)
- 「ドイツ・ロマンチック街道 篇」 (2006年)
- 「走りたい道がある 篇」 (2006年-)
- シュガーレディ (2006年) - 中村俊輔との共演
[編集] 外部リンク
ガラタサライ - 2006-2007 |
---|
1 モンドラゴン | 2 トマス | 4 ソング | 5 アルハン | 7 オカン | 9 ハカン | 10 ネジャーティ | 11 ハサン・シャシュ | 16 カルスカ | 17 フェウジ | 18 アイハン | 19 ジハン | 20 ヴォルカン | 21 エムレ | 22 イリッチ | 23 稲本 | 24 メフメト | 25 フェルハト | 26 アイドゥン | 28 トルガ | 33 ウーウル | 55 サブリ | 58 ハサン・カブゼ | 66 アルダ | 67 エルギュン | 99 ウミト | 監督 ゲレツ | |
![]() |
日本代表 - 2006 FIFAワールドカップ | ![]() |
---|---|---|
1 楢崎正剛 | 2 茂庭照幸 | 3 駒野友一 | 4 遠藤保仁 | 5 宮本恒靖 | 6 中田浩二 | 7 中田英寿 | 8 小笠原満男 | 9 高原直泰 | 10 中村俊輔 | 11 巻誠一郎 | 12 土肥洋一 | 13 柳沢敦 | 14 三都主アレサンドロ | 15 福西崇史 | 16 大黒将志 | 17 稲本潤一 | 18 小野伸二 | 19 坪井慶介 | 20 玉田圭司 | 21 加地亮 | 22 中澤佑二 | 23 川口能活 | 監督 ジーコ |
![]() |
日本代表 - 2002 FIFAワールドカップ | ![]() |
---|---|---|
1 川口能活 | 2 秋田豊 | 3 松田直樹 | 4 森岡隆三 | 5 稲本潤一 | 6 服部年宏 | 7 中田英寿 | 8 森島寛晃 | 9 西澤明訓 | 10 中山雅史 | 11 鈴木隆行 | 12 楢崎正剛 | 13 柳沢敦 | 14 三都主アレサンドロ | 15 福西崇史 | 16 中田浩二 | 17 宮本恒靖 | 18 小野伸二 | 19 小笠原満男 | 20 明神智和 | 21 戸田和幸 | 22 市川大祐 | 23 曽ヶ端準 | 監督 トルシエ |
カテゴリ: 日本のサッカー選手 | サッカー日本代表選手 | オリンピックサッカー日本代表選手 | ガンバ大阪の選手 | アーセナルの選手 | フラムの選手 | WBAの選手 | カーディフ・シティの選手 | ガラタサライの選手 | 鹿児島県出身の人物 | 1979年生