アルビレックス新潟
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アルビレックス新潟 | |
原語表記 | アルビレックス新潟 |
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愛称 | アルビ |
クラブカラー | オレンジ・ブルー |
創設年 | 1955年 |
所属リーグ | Jリーグ |
所属ディビジョン | ディビジョン1 |
ホームタウン | 新潟県新潟市・聖篭町 |
ホームスタジアム | 東北電力ビッグスワンスタジアム |
収容人数 | 42,300 |
代表者 | 中野幸夫 |
監督 | 鈴木淳 |
アルビレックス新潟(アルビレックス にいがた、Albirex Niigata)は、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
目次 |
[編集] クラブの概要
1999年Jリーグ加盟。ホームタウンはホームスタジアムのある新潟県新潟市と、クラブハウスのある北蒲原郡聖籠町の2市町が指定されている。ホームスタジアムには2003年までの新潟市陸上競技場に加え、2004年から正式に新潟スタジアム(ビッグスワン)が加わった(2001年のスタジアム完成以降はこちらを主に使用 2004年にJ1入りを果たしてからは県内でのホームゲームはビッグスワンだけの開催となった)。ビッグスワン効果から2003年度はJ1、J2を通して最多の観客動員数約66万人を達成した。また2004年度の年間観客動員数もこれまで浦和レッドダイヤモンズがJ2に降格した2000年度(この年のトップは鹿島アントラーズの約26万人)を除いて1996年度から続けていたJ1の年間観客動員トップの座を初めて奪取する約56万5000人(1試合の平均でも37700人近く)のファンを集めた。2005年には観客動員数の記録を68万人までに更新し、2003年から3年連続でリーグ1位の観客動員数を記録した。(2006年には浦和に抜かれ2位に後退した。)練習場は先述の聖籠町・アルビレックスクラブハウスと、新発田市五十公野(いじみの)運動公園・サンスポーツランドが併用されている。
チーム名は「アルビレオ(Albireo)」(はくちょう座にある二重星の名前)と「レックス(Rex)」(ラテン語で「王」の意味)を合わせた造語。1997年に商標問題のためチーム名を「アルビレオ新潟FC」から現在の「アルビレックス新潟」に改称。
[編集] チームカラー
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- チームカラーはオレンジと青(チーム名の由来となった「アルビレオ」の色から)・白。また、オレンジは日本海に沈む夕日、青は日本海と信濃川、白は白鳥と雪という位置づけもされている。
- 2007年シーズンより、FP 1stパンツがオレンジに変更。
このユニフォームは1996年にアルビレオ新潟としてプロサッカークラブ、Jリーグ参入を目指した初年度のユニフォームを現在の技術で再現したもの。
サポーターズイヤー12周年記念限定モデル。
[編集] ユニホームスポンサー
[編集] 過去のユニホームスポンサー
- CORONA(胸 1996~1997年)
- DIREC TV(胸 1998年)
- 2002年ワールドカップサッカー・新潟県招致委員会(袖 1999~2002年)
- B'sINT'L(styles)(背番号 2000~2004年)
- 蔦屋書店(袖 1996~1998年 背番号 1999年)
- 朱鷺メッセ(袖 2003年)
[編集] ユニホームサプライの遍歴
[編集] マスコット
- アルビくん 白鳥がモチーフ。「かわいらしさ」と「力強さ」が表現されている。
- スワンちゃん 2002年アルビくんと結婚。
※2007年シーズンにアルビくんとスワンちゃんの子供が複数誕生する。
[編集] クラブの歴史
[編集] チーム名変遷
- 1955 -1994.11 新潟イレブンSC
- 1994.11-1997.3 アルビレオ新潟FC *1996.3 法人組織として㈱アルビレオ新潟を設立・プロ化
- 1997.4 - アルビレックス新潟
[編集] 歴代会長・社長
会長
- 2005.3- 池田弘
社長
- 1996.3-2005.3 池田弘
- 2005.3- 中野幸夫
[編集] 獲得タイトル
- 1986年 第12回北信越リーグ優勝
- 1996年 第22回北信越リーグ優勝
- 1997年 第23回北信越リーグ優勝
- 2003年 2003 J2リーグ優勝
[編集] その他受賞
- 2003年 Jリーグ・アウォーズ join賞(チェアマン特別賞)
- 2004年 Jリーグ・アウォーズ join賞(チェアマン特別賞)
[編集] 個人別タイトル
[編集] 創設~1998年(地域リーグ~JFL)
アルビレックス新潟の前身は新潟市のクラブチーム「新潟イレブンSC」で、1955年の結成。
新潟イレブンは1986年に北信越リーグに昇格。1994年、2002年ワールドカップに向けて新潟のサッカー界の活性化を図ろうとプロチーム設立の気運が高まり、その母体として新潟イレブンに白羽の矢がたった。新潟イレブンの監督を務めていた若杉透(現:アルビレックス新潟育成部部長)と新潟県の外国人優秀コーチ招聘事業により招聘されたフランツ・ファン・バルコム(元:読売クラブ監督、ヴェルディ川崎コーチ)の2人を中心にJFLへの昇格を目指して強化活動を開始。
その後1996年にチームをプロ化してJリーグ入りを目指すチーム作りに本格的に取り掛かった。1996年は北信越リーグを勝ち抜き、1997年1月のJFL昇格を賭けた第20回全国地域リーグ決勝大会に参戦。予選リーグ第1戦はソニー仙台に5-0で勝利し幸先の良いスタートを切ったものの、第2戦はプリマハム土浦(現:水戸ホーリーホック)に1-1(7PK8)で破れ敗退となった。
1997年は北信越リーグで優勝し、1998年1月の第21回全国地域リーグ決勝大会に再度参戦。予選リーグ第1戦を日立清水に1-1(4PK3)で勝利、第2戦を三菱石油に5-0で勝利し予選リーグを突破。続く決勝リーグ第1戦は横河電機(現:横河武蔵野FC)に3-1で勝利、第2戦はソニー仙台に3-5で敗北、第3戦は教育研究社(参照:FC京都BAMB1993)に6-3で勝利し、2位となりJFL昇格を決めた。1998年にJFLに参戦後、1999年Jリーグ2部制発足に伴いJ2に参加。
※1997年12月11日時点でJ2リーグ参加が正式決定。唯一、「地域リーグから」のJ2リーグ参戦が認められた。(実際には、98年にJFLに参加できたため他チームと同じくJFLからJリーグへの加盟となった。)
[編集] 1999年~2003年(J2)
J2開幕となる1999年シーズンは永井良和監督のもと、MF秋葉忠宏(現:ザスパ草津)や、MF瀬戸春樹(現:YKK AP)や、GK吉原慎也(現:東京ヴェルディ1969)など補強し、カウンターベースのサッカーで開幕から7連勝するなどして4位と好結果を残した。
2000年は1999年の路線を引き継ぎ上位進出を狙ったが、守備の崩壊により中位に沈んだ。一方では鋭いカウンターによる攻撃が度々牙を剥き、FW鳴尾直軌・FW鈴木慎吾ら攻撃陣の一部の選手の活躍が際立ったシーズンでもあった。
2001年には理論派監督である反町康治が監督に就任。日韓W杯の会場となった新潟スタジアム(ビッグスワン)の利用開始も追い風となって、地元のサッカー熱も高まり始めた。FW黒崎久志・FW氏原良二・SH寺川能人・SH鈴木慎吾の前線4人が活躍。シーズン途中にMFマルキーニョが加入すると、どこからでも得点の狙えるチームとなりスペクタクルなサッカーを展開して上位6チームによる昇格争いに加わったが、惜しくも昇格には届かず4位で終了。
2002年はFW船越優蔵を絶対的な軸とした、前年とは対照的な堅実なサッカーを展開。SH寺川能人や途中加入の1999年JFL得点王・FWマルクス、MF安英学の活躍もあり昇格争いをしていたが、シーズン終盤のFW船越の怪我による長期戦線離脱を期に大失速。3位で終了し昇格を逃した。
2003年には元日本代表・MF山口素弘やMFファビーニョ、FW上野優作、FW森田浩史などを補強し、2002年同様の堅実なサッカーを実践。サンフレッチェ広島・川崎フロンターレと三つ巴となった昇格争いを勝ち抜きJ2優勝を飾り悲願の昇格を決めた。
[編集] 2004年~(J1)
2004年はJ2時代に2年連続でJ2得点王となったマルクスが退団し、21歳(当時)のブラジル人FWエジミウソンが入団。FWマルクスの穴を補う働きを見せ、MFファビーニョ・DFアンデルソンと共に活躍。初めてのJ1の舞台で大健闘を果たし、1stステージを14位で終えた。2ndステージではブラジル人3トップ(FWエジミウソン・MFファビーニョ・FWオゼアス)を形成した。攻撃は完全に3人に任せて残り全員で守備をするという攻守のほぼ完全な分担システムが嵌り、一時3位まで順位を上げた。2ndステージ最終順位は7位、シーズン通算10位でJ1でも戦えることを示し、さらには新潟県中越地震で被災した地元を励ました。
2005年はFWオゼアスに代わり、元ブラジル代表DFアンデルソン・リマを補強。守備が安定せずシーズンを通して厳しい試合が多かったものの、攻撃面ではFWエジミウソン・MFファビーニョ・MF鈴木慎吾が、守備面ではMF桑原裕義やDF萩村滋則らベテランが活躍し、12位でJ1・2年目を終えた。DFアンデルソン・リマのフリーキックや、ジュビロ磐田より途中レンタル加入したMF菊地直哉のプレーは強烈な印象を残した。また、J1昇格・J1残留に貢献した反町康治監督はシーズン終了後に退任となった。さらに監督交代や若手育成の観点から、これまでチームを支えてきたGK木寺浩一、FW上野優作らが退団することになった。
2006年にはJ2・モンテディオ山形で2季監督を務め、J2らしからぬ組織的なサッカーを展開して2004年・4位、2005年・5位にチームを導き、若手育成にも定評のある鈴木淳が監督就任。柏レイソルから元日本代表・DF永田充とユース時代に日本代表メンバーとして活躍してきたFW矢野貴章、ベガルタ仙台から展開力のあるMFシルビーニョを補強。前年までとはうって変わって組織的なサッカーを目指した。最終順位は14位と低迷したものの、GK北野貴之・DF千葉和彦・MF田中亜土夢・FW矢野貴章ら若手が経験を積み、翌年に期待感を持てる内容となった。
2007年には矢野貴章がクラブ初のA代表に選出され、3月24日に行われたペルー戦で後半途中から出場し初キャップを記録した。
[編集] チーム成績・歴代監督
年度 | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | その他大会 | 監督 | 総監督 | ||||||
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試合 | 勝点 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 順位 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | |||||
1994年 | HFL | 9 | ? | ? | ? | ? | 4位 | ― | ― | ― | ![]() ファン・バルコム |
![]() |
1995年 | 9 | ? | ? | ? | ? | 3位 | ― | ― | ― | |||
1996年 | 9 | 25 | 8 | 1 | 0 | 優勝 | ― | 1回戦敗退 | ― | |||
1997年 | 9 | 27 | 9 | 0 | 0 | 優勝 | ― | 2回戦敗退 | ― | |||
1998年 | JFL | 30 | 34 | 12 | ― | 18 | 11位 | ― | 3回戦敗退 | ― | ![]() |
― |
1999年 | J2 | 36 | 58 | 20 | 2 | 14 | 4位 | 1回戦敗退 | 3回戦敗退 | ― | ― | |
2000年 | 40 | 46 | 15 | 5 | 20 | 7位 | 1回戦敗退 | 3回戦敗退 | ― | ― | ||
2001年 | 44 | 78 | 26 | 4 | 14 | 4位 | 1回戦敗退 | 4回戦敗退 | ― | ![]() |
― | |
2002年 | 44 | 82 | 23 | 13 | 8 | 3位 | ― | 3回戦敗退 | ― | ― | ||
2003年 | 44 | 88 | 27 | 7 | 10 | 優勝 | ― | 4回戦敗退 | ― | ― | ||
2004年 | J1・1st | 15 | 14 | 3 | 5 | 7 | 14位 | 予選リーグ敗退 | 4回戦敗退 | ― | ― | |
J1・2nd | 15 | 23 | 7 | 2 | 6 | 7位 | ||||||
J1・年間 | 30 | 37 | 10 | 7 | 13 | 10位 | ||||||
2005年 | J1 | 34 | 42 | 11 | 9 | 14 | 12位 | 予選リーグ敗退 | 5回戦敗退 | ― | ― | |
2006年 | 34 | 42 | 12 | 6 | 16 | 14位 | 予選リーグ敗退 | 5回戦敗退 | ― | ![]() |
― | |
2007年 | -- | -- | -- | -- | -- | --位 | -- | -- | ― | ― |
[編集] エピソード・トピックス
- 新潟県中越地震の影響により、2004年10月30日に予定されていた新潟スタジアムでの2004 J1 2ndステージ第11節・柏レイソルとの試合は、11月10日に東京の国立競技場で代替開催された。また、11月13日に新潟スタジアムで開催が予定されていた天皇杯4回戦・湘南ベルマーレとの試合は同日に平塚競技場で開催された。
- 他のチームのJ1昇格やJ2降格により、東軍か西軍か変わりやすい地域のためJリーグJOMOオールスターサッカーでは2004年は東軍のチームになったが、2005年は西軍のチームになった。2006年は東軍であった柏レイソル、東京ヴェルディ1969のJ2降格(ヴィッセル神戸は西軍)、アルビレックスより西にある京都パープルサンガ、アビスパ福岡のJ1昇格(ヴァンフォーレ甲府は西軍)に伴い、再び東軍のチームとなった。2007年は、またしても西軍のチームとなる。
- 2007年シーズンは千葉から加入したMF坂本將貴をはじめ、FW深井正樹、DF千代反田充、MFディビッドソン純マーカスを更にファビーニョの代わりとなる新外国人MFマルシオ・リシャルデスを獲得し監督も満足できる補強となった。しかし、多くの選手を放出した為、わずか26人で挑むことになった。2007年シーズンのスローガンは「闘え!新潟」。目標は優勝を含めた7位以内で勝ち点は50を目指す。
- 2006年からサポーターが荒れてきている。ホーム千葉戦では選手に向かってペットボトル等を投げ込む。広島戦では2階席から傘が落ちてくる。横浜FM戦では椅子の破損が確認される。アウェーでも磐田戦でガスホーンを使用し警備員に注意されたにも関わらず使用し続けた。公式ページで注意を呼びかけているがマナーは決して良くなっているとは言えない。(ただし、スタジアム全体でこのようなことが起こるわけではない)
[編集] アルビレックス成功の余波
アルビレックス新潟の成功は、プロ野球を含む日本スポーツ界全体に衝撃を与えた。地方中堅都市でもプロスポーツが成り立つ事と、地域密着の商業的正しさ(日本での有効性)が証明された為である。また、大都市圏程の人口を持たない地方都市のスポーツ市場が従来予想されていたより大きく、地方都市市民が持つローカリズム感情が非常に大きなエネルギーを持っている事を明らかにした事も、他の多くのスポーツや自治体に影響を与える事となった。
サポーターの数も非常に多く、新潟スタジアムでは浦和レッズ戦を例外とすれば一角を除いてアルビレックスサポーターで占める。またアウェイサポーターの数も多く、特に関東ではホームチームに負けない声援が送られる(これは新潟県が東京志向の強い土地で、関東在住の新潟県出身者が多い事が大いに関係しているものと思われる)。ただ広島や大分等の遠方でも大挙して乗り込む浦和レッズのサポーターとは違い、遠方の試合にまで応援に来るサポーターはそこまで多くは無い(関東からのアクセスと北陸からのアクセスとの違いもある)。
[編集] 異競技間交流
バスケットボール・bjリーグにも新潟アルビレックスBBとして参戦。また会場の応援を彩るチアリーディングチームも運営している他、2004年にはスキー、スノーボードの「チームアルビレックス新潟」を、2005年には陸上競技の「新潟アルビレックスランニングクラブ」を結成。更には「新潟に県民球団を創る会」主導でのプロ野球への参戦計画も検討し北信越独立リーグ所属の「新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」が設立されるなど、異競技間交流による地域密着型総合スポーツクラブを目指す。
(なお、各「アルビレックス」は、イメージカラーを共有しているが、各競技チームの運営会社は全く別個の企業であり、各運営会社間に直接の資本関係等はない)
サッカーのアルビレックス新潟としては、2004年には同チームのサテライトと関連団体のJAPANサッカー・カレッジ(JSC)に所属する選手の選抜軍でシンガポール・サッカーリーグ(Sリーグ)に参戦している(「アルビレックス新潟・シンガポール」=通称:アルビレックスS)。また、女子サッカーチーム「アルビレックス新潟レディース」も設けており、2004年度からはL2リーグ(日本女子サッカーリーグ2部)に参加。2006年度シーズンで優勝を果たし、2007年度シーズンからはなでしこリーグDiv.1(日本女子サッカーリーグ1部) 参加が決定している。
[編集] ダービーマッチ
詳しくは日本のダービーマッチを参照
- ヴァンフォーレ甲府との対戦を川中島ダービーと呼ぶことがある。
- これは戦国時代の上杉謙信と武田信玄の戦を再現したもので、両チームともそれにちなんだイベントを試合前に行う。狭義では長野県で行われる、ヴァンフォーレ甲府との対戦を指す。
- オレンジダービー
- 清水エスパルス、大宮アルディージャとの対戦をオレンジダービーと呼ぶことがある。
- これはチームカラーがいずれのチームもオレンジを採用しているためで、清水エスパルスとの対戦のときにこう呼ばれた。基本的に清水エスパルスとの対戦のことを指し、2007年度はユニフォームの色の関係もあってオレンジダービーと呼ぶにふさわしい状況になっている。
- 上越新幹線ダービー (アルアルダービー)
- 大宮アルディージャ vs アルビレックス新潟(1999年-2003年、2005年-)
- 両者のホームタウンである大宮と新潟を結ぶ上越新幹線から。試合当日にはアウェー側のサポーターが団体列車を使ってスタジアムへ向かうこともある。お互いのチーム名に「アル」がついていることから、某漫才コンビのネタにあわせて「アルアルダービー」と言われることがある。
- 電力ダービー
- ベガルタ仙台との対戦を電力ダービーと呼ぶことがある。
- これは新潟のホームスタジアムが東北電力、仙台の前身が東北電力サッカー部であり、ホームスタジアムがその子会社であることから、いずれも東北電力が関わるため。
[編集] 国際試合・親善試合
- 2004年07月27日 ワールドチャレンジマッチ2004 ボカ・ジュニアーズ(
アルゼンチン) 新潟スタジアム 2-1
- 2004年08月01日 ワールドチャレンジマッチ2004 バレンシアCF(
スペイン) 新潟スタジアム 5-2
- 2005年07月28日 新潟市合併記念国際親善マッチ 大連実徳(
中国) 新潟スタジアム 2-2
- 2006年08月04日 ワールドチャレンジマッチ セビリアFC JAPAN TOUR 2006 セビージャFC(
スペイン) 新潟市陸 0-6
チャリティーマッチ
[編集] リーグ戦の主な記録
[編集] 個人記録
- 通算最多試合出場
- 最多連続試合出場
- 最年少試合出場
- 最年長試合出場
- シーズンフルタイム出場
- 通算最多得点
- 最多連続得点試合
- シーズン最多得点
- GK通算最多得点
- 最年少得点
- 最年長得点
[編集] チーム記録
[編集] 得点失点関連記録
- ハットトリック(1999年~2006年)
- ハットトリック
- 1999年 1999 J2・第15節 vsサガン鳥栖 @新潟市陸 - FW比嘉リカルド(3得点)
- 2000年 2000 J2・第18節 vs浦和レッズ @新潟市陸 - FW鳴尾直軌(3得点)
- 2000年 2000 J2・第36節 vs浦和レッズ @新潟市陸 - FW鳴尾直軌(3得点)
- 2000年 2000/01 天皇杯・第1回戦 vsテイヘンズFC @金沢サ - FWナシメント(3得点)
- 2003年 2003 J2・第12節 vs大宮アルディージャ @新潟市陸 - FWマルクス(4得点)
- 2003年 2003 J2・第26節 vsコンサドーレ札幌 @新潟ス - FWマルクス(4得点)
- 2003年 2003 J2・第33節 vs横浜FC @福島 - FWマルクス(4得点)
- 2003年 2003/04 天皇杯・第1回戦 vsヴォルカ鹿児島 @鴨池 - FW森田浩史(3得点)
- 2004年 2005 ナビスコ杯・予選第2節 vsガンバ大阪 @新潟ス - FWエジミウソン(3得点)
- 2005年 2005 J1・第31節 vsジュビロ磐田 @ヤマハ - FWエジミウソン(3得点)
- 被ハットトリック
- ハットトリック
- 最多得点・最多失点(1999年~2006年)
- 1試合最多得点
- J1リーグ 4得点 - (試合多数)
- J2リーグ 7得点 - 2003年9月13日 第33節 vs横浜FC @福島 7-1
- ナビスコ杯 4得点 - 2004年4月29日 予選リーグ第2節 vsガンバ大阪 @新潟ス 4-4
- 天皇杯 9得点 - 2002年12月1日 1回戦 vs紀北蹴球団 @紀三井寺 9-0
- 1試合最多失点
- J1リーグ 7失点 - 2006年9月9日 第22節 vsジュビロ磐田 @ヤマハ 0-7
- J2リーグ 5失点 - 2000年4月16日 第7節 vs浦和レッズ @駒場 1-5
- ナビスコ杯 4失点 - 2004年4月29日 予選リーグ第2節 vsガンバ大阪 @新潟ス 4-4
- 天皇杯 4失点 - 2003年12月20日 4回戦 vsジュビロ磐田 @ヤマハ 0-4
- 1試合最多得点
[編集] 連勝記録
- 最多連続無敗試合
- 最多連勝
- 最多連敗
- 同一カード最多連勝
- 同一カード最多連敗
[編集] 観客動員記録
- 最多観客動員試合
- 2003年11月23日 J2 対大宮アルディージャ 42,223人
- 最少観客動員試合
- 年度別観客動員記録
部 | 年度 | 試合数 | 合計 | 平均 | 最大 | 最小 | 試合会場 | 備考 |
JFL | 1998年 | --- | 40,447人 | 2,696人 | ---人 | ---人 | --- | --- |
J2 | 1999年 | 18 | 75,798人 | 4,211人 | ---人 | ---人 | --- | J2加盟 |
2000年 | 20 | 80,139人 | 4,007人 | ---人 | ---人 | --- | --- | |
2001年 | 22 | 366,500人 | 16,659人 | ---人 | ---人 | --- | 新潟スタジアム完成 | |
2002年 | 22 | 472,507人 | 21,478人 | ---人 | ---人 | --- | --- | |
2003年 | 22 | 667,447人 | 30,339人 | ---人 | ---人 | --- | J1昇格 | |
J1 | 2004年 | 15 | 565,336人 | 37,689人 | ---人 | ---人 | --- | --- |
2005年 | 17 | 681,945人 | 40,114人 | ---人 | ---人 | --- | --- | |
2006年 | 17 | 658,050人 | 38,709人 | ---人 | ---人 | --- | --- | |
2007年 | 17 | ---人 | ---人 | ---人 | ---人 | --- | --- | |
計 | 3,567,722人 | 24,151人 | ---人 | ---人 | --- | JFLは加算しない |
[編集] 場内アナウンス
新潟お笑い集団NAMARA
- 森下英矢
- 中村博和
[編集] 下部組織
- アルビレックス新潟ユース
- 1998年4月創設・活動開始
- 本隊の他に過去には、提携チームとして中条ユース(~2004年度)があった。
- アルビレックス新潟ジュニアユース
- 2004年4月創設・活動開始
- 2004年4月、提携チームであった「アルビレックス新潟新潟ジュニアユース」を解消して新たに直属チームとして編成された。
- 本隊の他に、提携チームとして柏崎ジュニアユースと中条ジュニアユースがある。
- 本隊の他に過去には、提携チームとして新潟ジュニアユース(~2004年度)と加茂ジュニアユース(~2005年度)があった。
- アルビレックス新潟レディース
- 2004年創設・活動開始
- アルビレックス新潟レディース項参照
- アルビレックス新潟レディースU-18
- 2005年創設・活動開始
- アルビレックス新潟レディース項参照
- アルビレックス新潟サッカースクール
- 美咲校・駅南校・寺尾校・白根校・聖籠校・新発田校・アルビレッジ校がある。
- アルビレックス新潟シンガポール
- 2004年創設・活動開始
- アルビレックス新潟・シンガポール項参照
- 実質的なアルビレックスのアマチュアチーム
- アルビレックスの運営母体はNSGグループ(新潟総合学園、国際総合学園)が行っているが、NSGグループの傘下にあるJAPANサッカー・カレッジ(JSC)は、現在北信越社会人リーグに加盟しており、同チームに所属している選手は、アルビレックスの練習やサテライトリーグの出場資格も与えられることから、事実上アルビレックスのアマチュア組織のチームといってもいい。
[編集] 関連項目
[編集] 関連団体・チーム
|
[編集] その他
[編集] 海外にサテライトを持つサッカーチーム
[編集] 外部リンク
アルビレックス新潟 - 2007 |
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1 北野貴之 | 2 三田光 | 3 千葉和彦 | 4 ディビッドソン純マーカス | 5 千代反田充 | 6 永田充 | 7 松下年宏 | 8 シルビーニョ | 9 深井正樹 | 10 エジミウソン | 11 矢野貴章 | 12 サポーター | 13 田中秀哉 | 14 坂本將貴 | 15 本間勲 | 16 寺川能人 | 17 内田潤 | 18 鈴木慎吾 | 19 海本慶治 | 20 河原和寿 | 21 野澤洋輔 | 22 諏訪雄大 | 23 田中亜土夢 | 24 六車拓也 | 25 吉澤正悟 | 26 中野洋司 | 27 マルシオ・リシャルデス | 監督 鈴木淳 | クラブ | |
アルビレックス |
---|
サッカー アルビレックス新潟 | アルビレックス新潟シンガポール | アルビレックス新潟レディース |
Jリーグ 2007 | |
---|---|
J1 | |
鹿島アントラーズ | 浦和レッドダイヤモンズ | 大宮アルディージャ | ジェフユナイテッド市原・千葉 | 柏レイソル | FC東京 | 川崎フロンターレ | 横浜F・マリノス | 横浜FC | ヴァンフォーレ甲府 | アルビレックス新潟 | 清水エスパルス | ジュビロ磐田 | 名古屋グランパスエイト | ガンバ大阪 | ヴィッセル神戸 | サンフレッチェ広島 | 大分トリニータ |
|
J2 | |
コンサドーレ札幌 | ベガルタ仙台 | モンテディオ山形 | 水戸ホーリーホック | ザスパ草津 | 東京ヴェルディ1969 | 湘南ベルマーレ | 京都サンガF.C. | セレッソ大阪 | 徳島ヴォルティス | 愛媛FC | アビスパ福岡 | サガン鳥栖 |
|
過去に存在したクラブ | |
横浜フリューゲルス | |
ナビスコ杯 | オールスターサッカー | チャンピオンシップ | 入れ替え戦 | アウォーズ |