ウド鈴木
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ウド鈴木(うど すずき、1970年1月19日 - )、本名、鈴木任紀(すずき ひでき)はお笑い芸人。浅井企画所属。山形県東田川郡藤島町(現・鶴岡市)出身。山形県立庄内農業高等学校卒業。宅地建物取引主任者の資格を持つ。
芸名の「ウド」は、名付け親である「夢麻呂」という芸人が「体だけ大きくて何も役に立たないウドの大木だな」と言った事から命名。
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[編集] 来歴
- 山形から出てきた鈴木少年は浅井企画に飛び込みで面接を受けに行く。門前払いを食ったのだが、何も当てがなく東京に知り合いもいないため、たまたま事務所にいた「夢麻呂」という芸人が面倒を見る事となる。その後、夢麻呂座長の劇団「TEAM童里夢」(現YANKEESTADIAM 20XX)で初舞台に上がる。
- 余談だが、その劇団には岡元あつこもいたため、同じ舞台に上がっていた事もある。
- ピン芸人として活動していたが、1991年、お笑いプロデューサーの山中伊知郎の進言により、天野ひろゆきとともにお笑いコンビキャイ~ンを結成。ボケを担当。ビートたけしとの共演などで人気が爆発する。関根勤が座長を務めるカンコンキンシアターではピン時代から注目されていた。
- 1995年10月から『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』の番組内にて、ウッチャンナンチャンの内村光良と歌手の千秋とともにユニットポケットビスケッツ(ウドが命名)としても活動。このユニットの曲『グリーンマン』では、メインボーカルをつとめている(現在は活動休止)。
- テレビ番組『特上!天声慎吾』の企画からドラマ出演が決定。『FACE~見知らぬ恋人~』(日本テレビ系列)でドラマデビュー。
- 2002年、映画『ナースのお仕事 ザ・ムービー』に出演。
- 同年11月1日未明に東京・新宿区歌舞伎町の繁華街で若者と殴り合い、書類送検された。友人が危害を加えられたため、やむを得ず実力行使に至ったとされる。
- 単独では2003年から『ウドちゃんの旅してゴメン』(メ~テレ)に出演。2005年に番組本発売。発売イベントには相方天野が乱入。
- また、2004年より同年プロ野球に参入した東北楽天ゴールデンイーグルスのファンクラブ名誉創立会員となった。
- 2006年、ウッチャンナンチャンの内村光良初監督映画『ピーナッツ』に出演。
- 同年4月12日に2歳下のソムリエをしているBoA似の女性と、結婚(入籍)を発表。
- 2007年2月23日山形県知事(斎藤弘)より山形の観光大使にあたる『おいしい山形大使』に任命される。山形県の特産品のPRのため。
- 2007年4月13日東京・港区台場フジテレビ本社前の交差点でウドが青信号で直進したところ、対面車線から右折しようとした車に衝突し、その車を運転していた50代の女性が負傷した。ウドにはケガは無かった。
[編集] エピソード
- 恐らくお笑い界一、相方を溺愛している。
- オフの日もよく一緒に遊びに行っていた(現在は不明)。そのことをダウンタウンの番組で話すと、松本・浜田から「信じられない」と非常に驚かれた。
- 明石家さんまの番組で「天野君に彼女ができて以来、僕に構ってくれなくなって寂しい」と発言した。
- 天野がタバコをくわえるとさっとライターを取り出して火をつけた姿を見て、他の芸人から「そんな関係なの?」と言われたことがある。
- 以前、ヤクザとおぼしき人物に「キャイ~ン、やれよ」と絡まれた時に「天野君と一緒じゃなきゃやりません!」と突っぱねた。
- しかしキャバクラでホステスに「キャイ~ン、やって」と言われ、喜んでやっている姿を目撃されている。
- ごくたまに天野に突っ込みをすることがあるが、叩いたりせず、軽く頭頂部を撫でる程度。
- 若手時代、事務所の社長と意見の対立があり口論の末、ウドは事務所を辞めると言って出て行った。社長もそのままクビにするつもりだったが、暫くして戻ってきたウドが「今日までお世話になりました。これからも天野くんの事を宜しくお願いします。」と言い残しまた出て行った。この発言に感心した社長はウドを事務所に残すことにした。
- タモリ曰く、「芸人で唯一スカウトされた奴」と称されている。
- 内村光良の事を師匠、出川哲朗の事を隊長と呼び、どちらも相方の次に慕っている。
- 芸人の町中野も相方同様に溺愛し、同じカンコンキンの共演者である剛州とずっと住んでいたが、結婚するとあっさり引っ越し、またもや周りを驚かせた。
- 実家が農家でオリジナルブランド『キャイ~ン米』(現在の名前は『親父の米』)を出している。この米は『SMAP×SMAP』のコーナー『BISTROSMAP』で木村拓哉・香取慎吾チームが使用した。
- バカなイメージとは裏腹に、記憶力は大変優れている。「100%キャイ~ン!」の企画で漢字検定2級を取得。また、同番組の企画で1時間で天野の携帯に登録されている電話番号100件を全て覚えた(似たような企画で、卒業アルバムに載っている天野の同級生全員の名前を暗記したことも)。円周率を500ケタほど暗唱できる。
- 同番組の企画でセイン・カミュを真似た「セイン・ウミュ」というキャラクターに扮してロケをしていたら、偶然にも近くで他番組のロケをしていたセイン・カミュ本人に遭遇したことがある。
- 「60代でも若過ぎる」と発言するほどの、かなりの熟女好きである。テレビ番組の企画で熟女の年齢をピタリと当て、浜田雅功を感心させたことがある。またフジテレビの女子アナの中で一番好きなのは阿部知代である。にも関わらず年下の女性と結婚したため、事務所の先輩(コサキンら)やウドを知る業界の関係者からは驚かれた。
- 「どうして熟女と結婚しなかったの?」と聞かれると、そのたびにウドは「『ゆりかごから墓場まで(もしくは灰になるまで)』がストライクなんですよ。」と答えている。事実、結婚前は若い女性と合コン、風俗のハシゴと節操がなかった。
- 柔道初段の持ち主でもある。ピン芸人時代は、田村亮子(現:谷亮子)選手に似ていることを持ちネタにしていたこともある。
- 飄々とした雰囲気があるが実は熱血漢で、曲がったことが大嫌い。友人(特に相方の天野)に危害を加えられると激怒する。不良にからまれてもガンの飛ばしあいにも一歩も引かない度胸がある。関根勤は「ウドちゃんはキレたら芸能界一怖い人物」と言ったことがある。
- かなり涙もろく、リンカーンの企画で山口智充が用意した数話の泣ける話で、ウド鈴木のみ号泣し、涙が止まらない状態になっていた。
- 不良に「100円やるから殴らせろ」と言われ「う~ん、もう一声!」と言って殴られずにすんだことがある。
- 絵の才能もあり、漫画のキャラクターを書くのが得意。
- 結婚願望が強かった。全国各地に「嫁探しの旅」と称してナンパに繰り出すほか、毎年クリスマスの時期になると、未来の彼女のためにホテルの一室を予約し、自分を追い込んでいた。ちなみにその時の「嫁探しの旅」のVTRを「情報ツウ」(日本テレビ系)で披露したのが評判よく、ソロ番組『ウドちゃんの旅してゴメン』(名古屋テレビ)が始まった。2006年4月に、美人ソムリエとの交際を女性自身によりスクープされ、交際を発表。4月12日めでたく結婚した。独身時代は宵越しの金は持たないといわんばかりに毎日仲間と飲む等遊び歩いていたが、結婚してからは真っ直ぐ家に帰るようになった。ちなみに結婚を決めるきっかけは、深夜に自宅のトイレが詰まりラバーカップが無いために一緒に出かけていき、数店ハシゴした末にラバーカップを購入、自宅のトイレの詰まりを2人で直したこと、と語った。
- 『BISTROSMAP』に出演した際、以前木村拓哉から貰ったサーフボードを「ヒカルくん」にあげてしまったことでツッコミ入れられていた。この「ヒカルくん」とは、キャイ~ンのスタイリストの夫で、同コーナーにも遅れて登場した。
- 結婚前、映画「ALWAYS三丁目の夕日」をずんの飯尾和樹と見に行き、ボロボロ泣く程感動したのだが、映画館を出た直後に飯尾に言った一言は「キャバクラ行きましょう」だった。理由は、東京タワーが見える港区芝~六本木周辺にキャバクラがたくさんあったから。また昭和45年・山形生まれであるにも関わらず、昭和30年代の東京を描いた同映画を見て「懐かしい~」ともらしていた、とは飯尾の談。
- かなりの酒豪。かつてはビールをガブガブ飲んでいたが、尿酸値が高くなり、痛風の一歩手前までいった事から焼酎にスイッチ。でもガブガブ飲むのは変わらない。どうしてそんなに酒が好きなのか問われた時、しみじみと「酒は裏切りませんからねぇ~」と答えていた。
- かつて叔父からもらったアウディを愛車にしていたが、『お笑いウルトラクイズ』にてブルドーザーに踏み潰された。その後の愛車キャデラックもピンクに塗装していたのに、『ウリナリ』で「グリーンマン」を発売した時に勝手にグリーンに塗装されてしまったことがある。
- 女芸人光浦靖子のファーストキスの相手は誰あろう、ウドである。もちろん番組の企画上の展開であったのだが…
- すっぱい物が嫌い。内Pスペシャルで梅干とレモンの絞り汁を食し、苦悶の表情をする。「レモン」と聞いただけで嘔吐く事もある。また、アップルパイなど、加熱した果物、及びそれを使用した食品も食べられない。
- 一回のトイレでトイレットペーパー一本まるまる使い切ってしまう程の潔癖性。前述の「結婚を決意したきっかけになったトイレのつまり」もこれが原因。所属事務所の社長宅のトイレもこれで詰まらせた事があり、汚水が逆流し社長宅のカーペットを全部取り替えさせてしまった事もあった(それでも社長は怒りもせず「ウドちゃんは可愛いからなぁ」と許していた)。
- 何かというとかっこわるさが目立つウドだが、煙草を吸うときの姿が異様にかっこいいとカンコンキン女優たちからは好評。
- 山形での高校生時代、すれ違った小学生に(何もしていないにもかかわらず)「あっ、バカだ!」といわれた事がある。また、海外で現地の子供がウドの顔を見るなり「Oh,My God !」と叫んだ事がある。事務所の先輩芸人である関根勤やルー大柴からは「(芸人として)ズルい顔」と賞賛されている(要するに顔だけで笑いを取れるから)。
- ウリナリ芸能人社交ダンス部では「アミーゴウド」として大活躍。
[編集] 髪型
金髪のモヒカンという非常に特徴的な髪型をしているが、キャイ~ンとしてデビューした当初までは手入れが簡便なのでパンチパーマであった。ちなみにデビュー当初は黒でその後、赤→緑と来て今の金髪になった。この赤→緑という流れは、ポケットビスケッツの3rd、4thシングル(Red Angel、GREEN MAN)にあわせてと思われる(ただし、赤くしだしたのはRed Angel発売の後)
- キャイ~ンを組む前、コサキンに一人で出ていた時に少し髪を伸ばしていた頃があり、そのヘアスタイルをコサキンに訊かれて「ボサノバです(本人としては『ボサッと伸ばした』の意らしい)」と答え、コサキンに感心されていた。