トリスタン・ダ・クーニャ
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トリスタン・ダ・クーニャ(Tristan da Cunha)は南大西洋に浮かぶ孤島であり、南緯37度、西経12度に位置する。行政区域はイギリス領セントヘレナに属しているが、同島からは約2,000km離れている。1961年に火山の噴火があり、当時居住していた数百人の住民はイギリス本土に避難したが、現在はほとんどの住民が帰還している。島の周囲は、標高600mを越える崖であり、そのため島へのアクセスは難しく、その隔絶性を増している。
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公用語 | 英語 | ||||
行政府所在地 | エディンバラ・オブ・ザ・セブン・シーズ | ||||
女王 | エリザベス2世 | ||||
総督 | マイケル・クランシー | ||||
管理者 | マイク・ヘントリー | ||||
面積 - 総計 - 水面積率 |
210km² 極僅か |
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人口 - 総計() |
271人 |
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通貨 | イギリス・ポンドとセントヘレナ・ポンド | ||||
時間帯 | UTC+0 | ||||
ccTLD | .sh | ||||
国際電話番号 | 290 |
目次 |
[編集] 歴史
島が発見されたのは1506年であり、ポルトガルの航海者トリスタオ・ダ・クーニャによってであった。島の名称は、その航海者にちなんだものである。ただし、彼は島に上陸することはなかった。
島の最初の調査は1767年にフランスのフリゲート・L'Heure du Bergerによって行われた。大まかな海岸線の測量が行われ、Big Watronの大滝や北部の海岸線近くにある湖が調査された。調査結果はイギリス海軍の水路部によって1781年に発表されている。
最初の定住の試みは、アメリカ・マサチューセッツ州セーラム市から来たジョナサン・ランバート(Jonathan Lambert)によるものである。彼は1810年に島に到着した。さらに、島の所有を宣言し、島名をリフレッシュ島(the Islands of Refreshment)と名付けた。ただし、この事態は1812年に彼がボートでの事故により死亡したことで終了した。ただし、彼がゾウアザラシの油を、付近を航行する船舶に売却することで得られた金品は島のどこか隠されていると信じられている。
1815年にイギリスは島を正式に併合した。これは、フランスがセントヘレナに流刑になったナポレオンを奪回するための基地として、トリスタン・ダ・クーニャを使用することを防ぐためである。その後、現在までトリスタン・ダ・クーニャはイギリス連邦の一員であり続けている。
[編集] 地理
トリスタン・ダ・クーニャという名称は、島の名前だけではなく、島嶼の名前でもある。島嶼には以下の島々が含まれている。
- トリスタン・ダ・クーニャ(98k㎡)
- イナクセシブル島(Inaccessible Island)(14K㎡)
- ナイチンゲール諸島(Nightingale Islands)(2K㎡)
- ゴフ島(Gough Island) (別名 Diego Alvarez) (65K㎡)
イナクセスブル島とナイチンゲール諸島は、トリスタン・ダ・クーニャ主島の35キロ南西にある。また、ゴフ島は395キロ南南西にある。
トリスタン・ダ・クーニャ主島は火山性の山がちな地形である。面積約5K㎡の平地が島の北西岸にあり、行政府所在地でもあるエディンバラ・オブ・ザ・セブン・シーズ(Edinburgh-on-the-Seven-Seasで通称はエディンバラ、Edinburgh)の周辺に限られている。島の最高点はクィーン・メアリー・ピーク(Queen Mary's Peak)であり、標高は2,010m。冬季には降雪が見られる。海岸線は無く、島の周囲は険しい断崖絶壁に取り囲まれている。
トリスタン・ダ・クーニャ主島以外は無人島であるが、ゴフ島では、1956年まで南アフリカによって気象観測所が運用されており、4名のスタッフが常駐していた。
このほかには、トリスタン・ダ・クーニャはワタリアホウドリ(Wandering Albatrosses)の営巣地としても知られる。イナクセシブル島とゴフ島はユネスコ世界遺産の自然遺産にゴフ島野生生物保護区として指定されている。
[編集] 経済
この島の主な外貨収入源は、収集家のための切手発行にある。そのため、万国郵便連合がトリスタン・ダ・クーニャに特別な割り当てを行っており、ISO 3166-1においても特別な割り当てを行っている。この他の収入源としては、ロブスター漁があり、日本とアメリカ合衆国へ輸出している。
[編集] 住民
人口は約300人であり、2003年次には、外国人の定住者はいなかった。島で使用されている言語は英語であり、二つのイギリス国教会がある。人口が少ないため、近親婚による健康・遺伝問題があり、それに由来する気管支喘息や緑内障の者がいる。住民のほとんどは公務員であり、地方自治体に勤務している。島では自給自足が可能であり、生活必需品などを搭載した連絡船が3から4ヶ月に一度、寄港する。なお、空港はなく、小さな漁港があるのみである。
テレビ放送はなく、トリスタン・タイムズ(Tristan Times)という新聞が発行されている。学校が一校あり、病院、郵便局、博物館、喫茶店、パブと水泳学校が一つづつある。
16歳になったものは、希望すればイギリス本土で教育を受け続けることができる。