ドバイ
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ドバイ(アラビア語:دبي Dubayy)は、アラブ首長国連邦を構成する首長国の一、ないしは、特に、同国の首都としてアラビア半島のペルシア湾の沿岸に位置する、同国名と同名の都市。
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[編集] 地理
中東地域のほぼ中央、ペルシア湾に面した平坦な砂漠の地にあり、面積はアラブ首長国連邦の構成7首長国中第2位にあたる約3,885km²、これは同地域からユーラシア大陸を隔てた北東に位置する日本という国の行政区の一つ・埼玉県とほぼ同じ大きさである。北でシャルジャ首長国に、南でアブダビ首長国に、東で国境を隔ててオマーン国に接する。亜熱帯気候にして夏冬の二季。夏季には、気温は50℃を超えもし、湿度は100%を計上する。[1][2][3]
街は東西に流れる運河を軸として大きく2つに分かたれる。そのうちの北側を『ディラ』といい、そのうちの南側を『バールドバイ』という。[4]
[編集] 歴史
[編集] 興り
漁業や真珠の輸出を産業の主とする小さな漁村であったこの地に、アブダビの首長ナヒヤーン家と同じバニー=ヤース部族のマクトゥーム家が、1830年代にアブダビから移住。伴ってドバイ首長国が建国され、ここに今に至るドバイの歴史が始まりの時を迎えた。1853年に他の首長国と同時に英国の保護国となる。[5][6][4]
[編集] 近代
統治を担った英国はこの地を、東インド会社に到るための、貴重な中継の地とした。20世紀になると、歴代の首長の推進をもとに自由貿易の政策を採ったことで、周辺地域の商人達の拠点となりゆく流れのなかで、中継貿易港としての色合いを濃くしてゆく。[5][4]
[編集] 勃興
20世紀も半ばに迫った頃。この地を近代的な都市にすることを夢見た当時の首長・シェイク・ラーシド・ビン・サイード・アール・マクトゥームの推進により、1959年のクウェートからの借金をもとにして社会インフラの近代化が図られてゆく。1958年のアブダビにおける原油の油田の発見に続く、1966年の海上油田の発見はこの動きに大きな力を与えた。[5][7][4]
1971年の英国軍のスエズ以東からの撤退に伴って、同年の12月2日、他の6の首長国とともに、今に至るアラブ首長国連邦をこの地に結成。その副大統領兼首相となったラーシド首長を指導者に据え、原油依存経済からの脱却の取り組みと産業の多角化を進めてゆく。その流れのうえで1981年(1985年)に開設に至った『ジュベル・アリ・フリーゾーン(JAFZ)』という名の経済特区、およびナショナル・フラッグとしてのエミレーツ航空の開港は、国外資本や外国企業の進出とあわせて『人』と『物』の集積地としての発展を急速に促していった。[5][7][8][9][10][11]
[編集] 繁栄
時は下って21世紀に入る頃には、従来よりの近代化の波を経て、中東における貿易・商業の最大の中心地と呼ばれるまでのメガロポリスに変貌していた。1970年代からわずか20年のうちに起こった変化は、都市外観のそれのみならず、経済の石油依存率は半分以下に減じ、GDPの伸びは30倍に達するなど、『中世から近代への急変』との表現をもって語られる激変そのものであった。[5][7][9][12]
[編集] 現代
2003年以降の発展は特に凄まじく、2004年の後半から続く原油高がその発展を更に後押ししている。2005年度の経済成長率は16%に達し、総数120万の民の都市となった。摩天楼の連なる幻惑的な百万都市を擁する都市国家として、中東でも随一の繁栄の様を今に示している。[7][13][10][1][14]
[編集] 住民
国民の大部分が沿海地域に居住する。[3]
[編集] 人口
1980年の時点でわずか28万人足らずであった総人口は、その後15年間のうちにおよそ2.5倍に膨れ上がり、1995年におよそ70万人、2007年初頭にはおよそ120万人となっている。[1][2]
年度 | 1975年 | 1980年 | 1985年 | 1990年 |
---|---|---|---|---|
人口 | 183,000 | 276,000 | 419,000 | 559,000 |
[編集] 外国人の町
2007年初頭において、住民の実に90%が外国人、実に60%を、インド人を主とする南アジアからの出稼ぎ労働者が占めている。『もはやアラブの都市にあらず』と言われる所以である。[15]
『世界で最も美しいインド人の町』と言われるほどにインド人の多さには定評があり、なかでも建設業を主力として、社会のあらゆる職種にインド人の姿を見ることができる。[16][17]
[編集] 言語
国語はアラビア語、官公庁の公文書もアラビア語であるが、英語、ウルドー語(インド人)、ペルシア語(イラン人)なども多く会話に用いられる。[9]
[編集] 政治
連邦の副大統領は1971年の連邦結成以来、マクトゥーム家から出ており、半ば慣例化している。現首長ムハンマド・ビン=ラーシド・アール=マクトゥームも現在連邦副大統領の職にある(連邦首相も兼任)。
今日のドバイの繁栄を築いた名君と言われるラーシド首長は、1990年の10月をもってこの地に永眠した。[9]
[編集] 経済
元来の石油埋蔵量の少なさにより石油依存型経済からの脱却を志向せざるを得なかったドバイは、特に1980年代の半ば頃から経済政策として『産業の多角化』を積極的に進めてきた。その流れのなかで1981年(1985年)に開設に至った『ジュベル・アリ・フリーゾーン(JAFZ)』は、外資の直接投資の自由や外国人労働者の雇用の自由を完全に保障する経済特区で、その性質から外国企業や資本の進出を多大に促進した。[10][11]
中東における金融と流通、および観光の一大拠点となるべくハード、ソフト双方のインフラストラクチャーの充実に力を入れたことが一定の成果を出し、日本やイギリス、アメリカなど世界各国の大企業が進出してきており、名実ともに中東の金融センターとしての位置を占めることに成功した。市内には倉庫や超高層ビル、高級ホテル、別荘などが立ち並んでいる。
[編集] 観光
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既に総GDPに石油の占める割合は6%以下となっており、現在は観光を軸とした一貫した政策のもとで、ジュメイラ・ビーチの人工島に建設された世界最高級の高層ホテルであるバージ・アル・アラブなどの高級リゾートホテルや中東地域最大のショッピングセンターの建設、人工衛星から見える唯一の人工島群であるパーム・アイランドなど、各種観光資源の開発に力を注いでいる。その甲斐もあり、近年は中東諸国からだけではなく世界中から観光客が訪れている。野心的なプロジェクトも進めており2007年に海中ホテルハイドロポリスの完成を目指している。
また、1996年からは同地のナドアルシバ競馬場で競馬の国際GI・ドバイワールドカップが開催されている他、モータースポーツやゴルフ、マリンスポーツの世界的な大会の誘致を積極的に行っている。
また、ここではビル・ゲイツやデビッド・ベッカム、ミハエル・シューマッハなどの多くの金持ちが別荘を有している。
現在、世界最大のテーマパークであるドバイランドが建設中である。
[編集] 交通
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世界最大の人工港ジェベル・アリーと、国際ハブ空港として有名な24時間空港であるドバイ国際空港を持ち、中東地域の人と物の流れの中枢、中継貿易都市として繁栄している。ドバイ国際空港はエミレーツ航空の拠点であり、世界各国から多くの航空会社が乗り入れている。2005年にドバイ国際空港とジェベル・アリ港を結ぶ都市鉄道建設を開始。2009年9月開通予定。更にジェベル・アリ国際空港の建設に着工。4,500mの平行滑走路6本を持つ世界最大級の空港となる予定。
[編集] 日本との交通
現在、エミレーツ航空がドバイ国際空港(DXB)から関西国際空港(KIX)および中部国際空港(NGO)へそれぞれ1日1便直行便を日本航空とのコードシェアにより運行している。現在の使用機材は全てエアバス社のA340-500型機である。また、成田国際空港からの直行便の就航の予定もある。
現在の運行スケジュールは以下の通りである。ただし、飛行機のスケジュールは変更されやすいので、常に最新のものを確認されたし。
- EK314便
- ドバイ2時45分発 中部16時50分着
- 所要時間9時間5分
- EK315便
- 中部23時00分発 ドバイ6時10分(翌日)着
- 所要時間12時間10分
- EK316便
- ドバイ2時50分発 関西16時40分着
- 所要時間8時間50分
- EK317便
- 関西23時15分発 ドバイ6時05分(翌日)着
- 所要時間11時間50分
[編集] 姉妹都市
[編集] 文献資料
- ^ a b c Consulate-General of Japan in Dubai 概要 - 在ドバイ日本国総領事館
- ^ a b 躍進する国際都市ドバイ - 三幣利夫(社団法人日本貿易会)
- ^ a b ルポ ドバイの今 - 山中通崇(社団法人日本貿易会)
- ^ a b c d ドバイの歴史 JNT ジャパンネットワークツアー - ジャパンネットワークツアー
- ^ a b c d e Consulate-General of Japan in Dubai 略史 - 在ドバイ日本国総領事館
- ^ 外務省: アラブ首長国連邦 - 日本外務省
- ^ a b c d ドバイ 砂漠に咲いた夢 1/2 - 日経ビジネスオンライン
- ^ 友好都市(ドバイ市(アラブ首長国連邦)) - 大阪府
- ^ a b c d e 『魅惑のドバイ』 〔ISBN 4326933127〕 - 田畠富子
- ^ a b c 第6章 中東経済のいま:「開発」と「変革」 ~ドバイとエジプトを例に~ - 日本財務省
- ^ a b アブダビ・ドバイ経済視察団 報告書 - シンガポール日本商工会議所
- ^ 「21世紀のハイテク都市国家へようこそ」--ドバイ最新事情 - CNET Japan - CNET
- ^ 『NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版 2007年1月号』 - 日経BP/ナショナルジオグラフィック協会
- ^ 原油高で沸く中東の中核都市ドバイ - 藤森浩樹(三井物産戦略研究所)
- ^ ドバイ 砂漠に咲いた夢 2/2(要ログイン) - 日経ビジネスオンライン
- ^ 外務省: 総領事館ほっとライン 第22回 ドバイ 投資・建設ブームに沸く中東のオアシス - 在ドバイ総領事・乳井忠晴(日本外務省)
- ^ 地球 街角アングル>繁栄を支えるインド人 ~アラブ首長国連邦 ドバイ - NHK
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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