ルディ・フェラー
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ルディ・フェラー(Rudi Völler、1960年4月13日 - )は、ドイツ(旧西ドイツ)出身の元サッカー選手。現在はバイエル・レバークーゼンでスポーツディレクターを務める。
1977年、地元のクラブチーム・オッフェンバッハでキャリアをスタート。その後、1860ミュンヘン、ヴェルダー・ブレーメンに在籍し、1982-1983シーズンにはドイツ・ブンデスリーガ得点王に輝くとともに、西ドイツ年間最優秀選手にも選出。ドイツを代表するストライカーとなった。その活躍が認められ、1987年にはセリエA・ASローマへ移籍。1990年のイタリアW杯ではエースとして西ドイツの優勝に貢献した。決勝戦のアルゼンチン戦では、当時所属していたローマでの試合ということもあり、ひときわ大きな拍手で迎えられた。
その後、マルセイユ、バイエル・レバークーゼンを経て1997年に現役を引退。ドイツ代表としては90試合に出場し、47得点を記録した。
指導者としては2000年からドイツ代表監督を務め、日韓W杯では準優勝をおさめたが、EURO2004でグループリーグ敗退と振るわず、その責任を取って辞任した。直後に古巣ASローマの監督に就任したものの、成績不振もあって開幕からわずか1ヶ月で辞任。その後はレバークーゼンに戻り、スポーツディレクター職に就いている。
明るい人柄でドイツきっての人気者であり、「ルディ・フェラーはただ一人」という歌は人口に膾炙している。
目次 |
[編集] 選手経歴
- オッフェンバッハ(ドイツ) 1977-1980
- 1860ミュンヘン(ドイツ) 1980-1982
- ヴェルダー・ブレーメン(ドイツ) 1982-1987
- ローマ(イタリア) 1987-1992
- マルセイユ(フランス) 1992-1995
- バイヤー・レバークーゼン(ドイツ) 1995-1997
[編集] 指導者経歴
- ドイツ代表: 監督 2000-2004
- ローマ(イタリア): 監督 2004
[編集] タイトル
- ドイツ・ブンデスリーガ得点王 1回(1982年/1983年)
- 西ドイツ年間最優秀選手 1回(1983年)
- イタリアW杯優勝
- コッパ・イタリア優勝 1回(1990年/1991年)
- UEFAチャンピオンズリーグ優勝 1回(1992年/1993年)
[編集] その他
2006 FIFAワールドカップの日本対クロアチア戦で決定機を外した柳沢敦のプレーについて、ピエール・リトバルスキーは「ルディ・フェラーならギブスをつけていても入るボール」とコメントした。しかし、フェラー自身も1990年大会一次リーグのUAE戦で、決定的なシュートを一本バーの上にふかしている[1](その試合チームは圧勝し、またフェラーも他のシュートを決めたため、事無きを得た)。また、2006 FIFAワールドカップ準決勝のイタリア戦の前に、「イタリアの穴はグロッソだ」と発言したが、そのグロッソに決勝点を決められてしまい、ドイツ代表は準決勝で敗退してしまった。
[編集] 脚注
西ドイツ代表 - 1990 FIFAワールドカップ 優勝メンバー (3度目) | ||
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1 イルクナー | 2 ロイター | 3 ブレーメ | 4 コーラー | 5 アウゲンターラー | 6 ブッフバルト | 7 リトバルスキー | 8 ヘスラー | 9 フェラー | 10 マテウス | 11 ミル | 12 アウマン | 13 リードレ | 14 ベルトルト | 15 バイン | 16 シュタイナー | 17 メラー | 18 クリンスマン | 19 プフリュグラー | 20 トーン | 21 ヘルマン | 22 ケプケ | 監督: ベッケンバウアー |
ドイツ代表 - 2002 FIFAワールドカップ | ||
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1 カーン | 2 リンケ | 3 レーマー | 4 バウマン | 5 ラメロウ | 6 ツィーゲ | 7 ノイビル | 8 ハマン | 9 ヤンカー | 10 リッケン | 11 クローゼ | 12 レーマン | 13 バラック | 14 アサモア | 15 ケール | 16 イェレミース | 17 ボーデ | 18 ベーメ | 19 シュナイダー | 20 ビアホフ | 21 メッツェルダー | 22 フリンクス | 23 ブット | 監督: フェラー |
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