ポストモダン建築
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ポストモダン建築(ポストモダンけんちく)は、モダニズム建築への批判から提唱された建築のスタイル。装飾を排し、禁欲的な四角い箱を目指すようなモダニズムに対する反動として現れた、多様性、装飾性、折衷性、過剰性、などを特徴とする建築のこと。1980年代に流行した。
モダニズムは合理性、機能性を追求してきたが、そのために都市や建築があまりに味気なくなってしまったのではないか、という批判から、モダニズムを否定するポスト・モダニズムが提唱された(参考:チャールズ・ジェンクス『ポスト・モダニズムの建築言語』1978年)。1980年代以降に、思想上の近代批判とあいまって、「脱近代」が一種の流行となった。当初、「ポスト・モダニズム」という言葉も使われたが、のちに「ポスト・モダン」が定着した。
モダニズムにおいて否定された装飾や象徴性の復権などが唱えられた。かつてモダニズム建築の旗手であったフィリップ・ジョンソンが、ニューヨークのAT&Tビル(1984年、現ソニープラザ)において、超高層ビルの屋上付近に古代ギリシアの神殿建築に由来するぺディメント(三角破風)を装飾として付けたように、古典主義建築からの引用という手法もよく見られる。また、提唱者の一人ロバート・ヴェンチューリは、つまらない建築、俗悪な建築もポストモダンの観点から評価し、ラスベガスの商業建築を論じている(『ラスベガス Learning from Las Vegas』1972年)。
しかし装飾や過去のデザインの引用を正当化するため、その建築の意味や物語を重視したが、理論武装のためにポストモダニズムなどの現代思想が導入されたことで建築理論は難渋なものとなった。1989年のフランス・パリでのビブリオテーク・ナショナル(パリ国立図書館)のコンペで、ドミニク・ペローのミニマルな設計案が優勝したころからが「ポストモダンの流行の転回点」とみなされている。以後、1990年代以降の建築の潮流はモダニズムの見直しが行われるほか、ミニマリズムの影響を受けた、できるだけ素材の質を活かした簡素なデザインが増え、一方で脱構築主義などのより過剰で複雑な建築も登場している。
ポストモダンと称して建てられた作品が、モダニズム建築より景観的に優れているとは必ずしもいえず、中には建築家の好みを押し付け街並みや景観を乱している事例もある。ひところの流行語だけに、現在ではあまり使われない言葉になってきている。M2などポストモダンの作品を設計した隈研吾もポストモダンへの訣別を語っている。
[編集] 代表的作品
- 母の家(ロバート・ヴェンチューリ)
- AT&Tビル(フィリップ・ジョンソン)
- ポートランド市庁舎(マイケル・グレイヴス)
- つくばセンタービル(磯崎新)
- 水戸芸術館(磯崎新)
- 一番館(竹山実)
- M2(隈研吾)現東京メモリードホール [1]
- 江戸東京博物館(菊竹清訓)
- ホテル・ソフィテル東京(菊竹清訓) 2006年、取壊しが決まった。
- 東京都庁舎(丹下健三)
[編集] 関連項目
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