メイショウホムラ
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1988年2月17日 |
死没 | (現役種牡馬) |
父 | ブレイヴェストローマン |
母 | メイショウスキー |
生産 | 北星村田牧場 |
生国 | 日本(北海道新冠町) |
馬主 | 松本好雄 |
調教師 | 高橋成忠(栗東) |
競走成績 | 25戦10勝 |
獲得賞金 | 2億3441万5800円 |
メイショウホムラは、日本の競走馬・種牡馬。1993年にJRA賞最優秀ダートホースを受賞。主な勝ち鞍は、フェブラリーハンデキャップ。
[編集] 戦績
1990年11月、京都競馬場の新馬戦でデビュー。ダートの1400メートル戦で、2着に大差をつけての圧勝で初戦を飾った。 続く格上挑戦の京都3歳ステークスを3着として阪神3歳ステークスに挑んだ。 重賞実績の無い1勝馬ながら4番人気に推されるも、直線で伸びを欠きイブキマイカグラの7着に終わった。
レース後に骨折を負い、長期休養を余儀なくされた。復帰戦となったのは、1991年11月のダートの500万下条件戦。2着に7馬身差をつけ久々の勝利を挙げた。 翌1992年は、自己条件で着実に実力をつけていき、11月の花園ステークス(1500万下)に勝利し、オープン入りを果たした。 年が明けて1993年初戦の平安ステークス(オープン)は、昇級初戦とあって7着と敗れたものの、 続くフェブラリーハンデキャップでは好位から直線で抜け出すと、あとは他馬を寄せ付けず、2着に2馬身半差をつけて優勝。7番人気の低評価を覆し、重賞初制覇を果たした。 当時は中央のダート重賞が3競走のみで、地方との交流競走も未整備だったため、活躍の場は限られていたが、ダートではオープン特別を4連勝するなど遅咲きの素質が完全に開花した。
しかし、この年最終戦となった根岸ステークスで6着に敗れると、脚部不安で再び長期休養に入ることとなる。 翌1994年10月に復帰したが、2戦して共に最下位という惨敗を喫し、1995年に競走馬登録抹消となった。
[編集] 引退後
引退後は、重賞を1勝したのみという競走実績ながら馬主の厚意もあって、日高町の日西牧場で種牡馬入りした。 種付け頭数には恵まれていないが、数少ない産駒の中からメイショウバトラーが小倉大賞典などの重賞を制するという活躍を見せた。
[編集] 血統表
メイショウホムラの血統 (ネヴァーベンド系(ナスルーラ系)/アウトブリード) | |||
父
*ブレイヴェストローマン Bravest Roman 1972 鹿毛 |
Never Bend 1960 鹿毛 |
Nasrullah | Nearco |
Mumtaz Begum | |||
Lalun | Djaddah | ||
Be Faithful | |||
Roman Song 1955 鹿毛 |
Roman | Sir Gallahad | |
Buckup | |||
Quiz Song | Sun Again | ||
Clever Song | |||
母
メイショウスキー 1981 鹿毛 |
マルゼンスキー 1974 鹿毛 |
Nijinsky | Northern Dancer |
Flaming Page | |||
*シル Shill |
Buckpasser | ||
Quill | |||
*フェアリーテイル Fairy Tale 1961 鹿毛 |
*Sicambre | Prince Bio | |
Sif | |||
Fee Royale | Vatellor | ||
RoyaleF-No.4-j |
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