中村武志
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中村 武志(なかむらたけし、1967年3月17日-)は、京都府出身の元プロ野球選手(捕手)、湘南シーレックスのバッテリーコーチ。
愛称はたけし。中日時代に当時の星野仙一監督が彼を姓を付けずに「たけし」と呼んでいたことから馴染みのある解説者や応援などで使用されることが多い。 中日時代の応援歌は若手の頃『コンバット!』のオープニングテーマであった。
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[編集] 来歴・人物
花園高では甲子園出場こそ無かったが強肩強打で知られ、1984年のドラフトで中日ドラゴンズから1位指名を受け入団。
その後、中日の監督になった星野に目を掛けられ、時には鉄拳も辞さない厳しい指導を受けて才能を伸ばしていった。以降、15年近く中日の正捕手としてマスクをかぶり続ける。安打のうち一割を本塁打が占めるなど、「恐竜打線」と恐れられた中日打線の一角を長期に亘り堅持した。特に、1991年7月19日、ナゴヤ球場で行われた巨人戦では、4点差から満塁本塁打、さらに二打席連続のサヨナラ本塁打で勝利に導くという活躍をした(詳細はナゴヤ球場の項を参照)。これにより「中日にはクリーンナップが2つある」「影の四番」などとも言われたことがあり、攻守のバランスの取れた中村に対して「中日の正捕手は10年間安泰」と言われた。しかし、走塁が非常に遅く、普通なら2塁に進めるようなヒットでも、そこでアウトになったりなどしている(ラジオの実況でアナウンサーが、あまりの遅さに「遅い! 遅すぎる、中村!」と叫んだこともある)。
最優秀バッテリー賞を1993年山本昌、1999年野口茂樹の各投手と共に受賞。中村にとっては、これと91年7月の月間MVPが個人タイトルである。その他の勲章としては、リーグ優勝決定時のマスクを通算2度被っており、1988年は台湾籍の郭源治(翌89年帰化)、1999年は大韓民国籍の宣銅烈、の各投手が胴上げ投手であった。
2001年オフ横浜よりFA宣言した谷繁元信が入団することが決まると、出場機会を求めトレードを志願。谷繁と入れ替わるように金銭トレードで横浜ベイスターズに移籍(TBS系列で放送中のサンデーモーニング内のコーナーである御意見番では、張本勲が「これでは中村がかわいそうですよ」と中日に喝をいれた)。横浜では相川亮二との併用で起用される事が多く、随所で重要な仕事をした。しかし、往年の強肩は見る影もなくなり、古巣・中日相手に1試合6盗塁を許したこともある。
2005年に無償トレードによって、中日の先輩である田尾安志が初代監督が就任した新規参入球団東北楽天ゴールデンイーグルスに第1号選手として移籍。楽天では正捕手・藤井彰人のサポートとしての出場が多かった。この年戦力外通告を受け現役を引退。2006年から湘南(横浜の2軍)バッテリーコーチに就任した。
配球は外角主体であったが、上記の野口や横浜の吉見祐治投手など弱気になりやすい投手にコントロールがままならない時にど真ん中にミットを構えたこともあった。構えた所に投手がボールを投げられなかったり、投球が際どくストライクゾーンから外れたとしても「うんうん」とうなずくなど、投手に対する配慮は現役時代を通じ定評があった。特に野口は、自身が好投しヒーローインタビューを受けた際も「中村さんのミットめがけて投げました」「中村さんのおかげです」とのコメントからも信頼度をうかがい知ることができ、コーチとしての手腕にも注目される。
中日時代には世界デザイン博覧会のチケット発売のCMに出演した経験がある。
[編集] 鉄拳制裁
中村といえば星野仙一の鉄拳制裁を受けることで有名だったが、山本昌が投げているときは山本の分まで殴られていた。これは、山本が叱られるとへこむ性格だったことが原因とされている。この鉄拳制裁のせいで顔が腫れてマスクが被れず試合に出られなかったことや、顔が変形したという逸話を持つ。星野監督の「怒られ役」となっていた中村だが、裏ではその分カバーされる部分も多かったとされる。
ちなみに、山本昌は一年先輩で同じ高卒。入団当初からファームで苦楽を共にし後に球界を代表する黄金バッテリーに。このバッテリーは1997年ナゴヤドーム初の公式戦と、2001年札幌ドーム初の公式戦における先発バッテリーでもある。(ちなみにナゴヤドーム第1号本塁打は中村とともに88年の優勝にルーキーながら貢献した立浪和義、札幌ドーム第1号本塁打は小学生のころ立浪に憧れ同じ高校に進学同じドラフト1位で中日入団し新人時代に立浪同様レギュラーとしてリーグ優勝に貢献した福留孝介。いずれも各球場初の公式戦で初回先頭打者として記録)
[編集] 略歴
- 身長・体重:178cm、85kg
- 投打:右投右打
- 出身地:京都府京都市
- 血液型:O型
- 球歴・入団経緯:花園高 - 中日ドラゴンズ(1985年 - 2001年) - 横浜ベイスターズ(2002年 - 2004年) - 東北楽天ゴールデンイーグルス(2005年) - 横浜コーチ(2006 - )
- FA取得:1995年(行使せず。横浜時代、複数年契約を結んだことで実質買取)
- ローマ字表記:NAKAMURA
- プロ入り年度・ドラフト順位:1984年(1位)
- 背番号:39(1985年 - 2005年) - 86(2006年 - )
- 守備位置:捕手
[編集] 年度別成績
年度 | チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四死球 | 三振 | 打率(順位) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1987年 | 中日 | 43 | 113 | 12 | 24 | 3 | 0 | 3 | 11 | 2 | 1 | 0 | 5 | 19 | .212 |
1988年 | 中日 | 98 | 267 | 30 | 63 | 18 | 0 | 5 | 21 | 2 | 8 | 1 | 30 | 63 | .236 |
1989年 | 中日 | 125 | 352 | 23 | 95 | 12 | 0 | 7 | 41 | 2 | 9 | 2 | 57 | 94 | .270(19) |
1990年 | 中日 | 97 | 256 | 22 | 64 | 9 | 0 | 7 | 21 | 1 | 6 | 1 | 19 | 43 | .250 |
1991年 | 中日 | 104 | 333 | 42 | 90 | 13 | 0 | 20 | 62 | 5 | 9 | 4 | 24 | 74 | .270 |
1992年 | 中日 | 113 | 351 | 25 | 86 | 16 | 4 | 6 | 31 | 1 | 3 | 1 | 36 | 57 | .245 |
1993年 | 中日 | 127 | 404 | 38 | 88 | 11 | 0 | 18 | 46 | 0 | 8 | 1 | 48 | 116 | .218(28) |
1994年 | 中日 | 125 | 398 | 37 | 102 | 16 | 0 | 9 | 50 | 1 | 8 | 0 | 50 | 48 | .256(24) |
1995年 | 中日 | 94 | 301 | 26 | 77 | 10 | 0 | 8 | 32 | 2 | 2 | 0 | 32 | 57 | .256 |
1996年 | 中日 | 115 | 376 | 45 | 102 | 11 | 1 | 12 | 37 | 2 | 2 | 2 | 42 | 51 | .271(30) |
1997年 | 中日 | 102 | 280 | 27 | 65 | 15 | 0 | 8 | 36 | 0 | 2 | 3 | 29 | 42 | .232 |
1998年 | 中日 | 128 | 407 | 27 | 96 | 18 | 4 | 5 | 42 | 2 | 7 | 2 | 52 | 65 | .236(33) |
1999年 | 中日 | 127 | 395 | 31 | 79 | 12 | 0 | 6 | 42 | 3 | 13 | 3 | 28 | 65 | .200(31) |
2000年 | 中日 | 126 | 356 | 26 | 87 | 10 | 0 | 4 | 34 | 2 | 16 | 1 | 44 | 68 | .244 |
2001年 | 中日 | 134 | 412 | 29 | 109 | 16 | 0 | 2 | 27 | 1 | 10 | 1 | 32 | 59 | .265(26) |
2002年 | 横浜 | 107 | 283 | 22 | 57 | 8 | 0 | 5 | 19 | 0 | 1 | 2 | 16 | 72 | .201 |
2003年 | 横浜 | 79 | 209 | 23 | 56 | 8 | 0 | 11 | 37 | 3 | 8 | 1 | 12 | 35 | .268 |
2004年 | 横浜 | 47 | 101 | 6 | 20 | 4 | 0 | 1 | 8 | 0 | 5 | 0 | 5 | 19 | .198 |
2005年 | 楽天 | 64 | 111 | 8 | 20 | 4 | 0 | 0 | 7 | 0 | 1 | 0 | 7 | 25 | .180 |
通算成績 | --- | 1955 | 5705 | 499 | 1380 | 214 | 9 | 137 | 604 | 29 | 119 | 25 | 568 | 1072 | .242 |
[編集] タイトル
- オールスターゲーム出場 8回(1988年~1991年、1993年、1996年、1998年、2001年)
[編集] 関連項目
00 河野友軌 | 0 ミツル | 1 金城龍彦 | 2 内川聖一 | 3 種田仁 | 4 北川利之 | 5 石井琢朗 | 7 仁志敏久 | 8 相川亮二 | 9 下窪陽介 | 11 山口俊 | 12 吉川輝昭 | 13 那須野巧 | 15 高宮和也 | 16 川村丈夫 | 17 加藤武治 | 18 三浦大輔 | 19 染田賢作 | 20 木塚敦志 | 21 吉見祐治 | 22 高崎健太郎 | 23 藤田一也 | 24 寺原隼人 | 25 村田修一 | 26 佐伯貴弘 | 27 山北茂利 | 28 秦裕二 | 29 新沼慎二 | 30 土肥義弘 | 31 吉村裕基 | 32 松家卓弘 | 33 古木克明 | 34 三橋直樹 | 35 牛田成樹 | 36 堤内健 | 37 岡本直也 | 38 稲嶺茂夫 | 39 内藤雄太 | 40 桑原義行 | 41 岸本秀樹 | 42 マーク・クルーン | 43 北篤 | 44 小池正晃 | 45 吉原道臣 | 46 佐久本昌広 | 47 工藤公康 | 48 後藤伸也 | 49 斉藤俊雄 | 50 下園辰哉 | 51 鈴木尚 | 52 石川雄洋 | 53 野中信吾 | 54 橋本太郎 | 55 呉本成徳 | 56 スコット・チアソン | 57 鶴岡一成 | 59 黒羽根利規 | 60 飯田龍一郎 | 61 武山真吾 | 62 高森勇気 | 63 梶谷隆幸 | 65 西崎伸洋 | 66 木村昇吾 | 67 ホセロ・ディアス | 99 横山道哉
85 監督 大矢明彦 | 72 弘田澄男 | 71 波留敏夫 | 77 斉藤明夫 | 75 野村弘樹 | 82 進藤達哉 | 73 青山道雄 | 84 秋元宏作 | 98 片平保彦 | 87 塚原賢治 | 70 ジョン・ターニー | 76 二軍監督 田代富雄 | 78 高木由一 | 80 中根仁 | 74 吉田篤史 | 83 武藤潤一郎 | 81 万永貴司 | 90 井上純 | 86 中村武志 | 93 三浦正行 | 89 谷川哲也 | 95 平野元章 |