内川聖一
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内川 聖一(うちかわ せいいち、1982年8月4日 - )は、プロ野球横浜ベイスターズに所属する外野手、背番号は2番。
大分工高時代から名前が知られており、2001年夏の大分県大会では準優勝。高校通算41本塁打。
当時大分工高の監督だった父親が法政大学出身だったため法大進学が確実視され、当初どの球団も指名を躊躇していたが、横浜にドラフト1位で指名され入団。楽天の吉田豊彦とは子供のときからの知り合いで2006年の交流戦では吉田からヒットを打った。
勝負強さと状況に応じたバッティングに加え、リストを生かした長打力も秘めた好打者であるが、1シーズンを通して試合に出続ける体力がないのか不振に陥ることも多い。 これは内川が故障の多い選手であることに加え、かかとの病気(概要で後述)で高校時代満足に体力作りができずにプロ入りしたことも原因であると考えられる。
また、送球に非常に難がある選手で、悪送球を連発することから内川の送球は一部のファンから「魔送球」と呼ばれ恐れられる存在となっている。
高校時代はショートだったがプロ入り後は主にセカンドに回り05年からはレフト・ファースト・サード等を兼任するユーティリティープレイヤーに成長した。さらに06'オフには、多村仁とソフトバンクの寺原隼人の交換トレードにより外野に空きが出来たため、外野にコンバートすると本人から発表された。
目次 |
[編集] 概要
- 高校時代に骨嚢腫という病気になり左かかとを3回に渡って手術した。
- 2001年 - ドラフト1位で大分工高から横浜に入団、広島も指名の予定だったが内川が拒否した。
- 2002年 - 4月24日の対中日戦でギャラードから初安打を放った。7月7日の対中日戦で山井大介投手から初本塁打。
- 2004年 - 自己最多の17本塁打を放つなど種田仁とセカンドのレギュラーを争った。
- 2005年 - セカンドには種田が固定されたため、出場は代打の他、慣れないレフトのポジションを小池正晃や古木克明と争うことに。
- 2006年 - 打撃不振の種田に替わってセカンドに復帰するが、故障者続出のチーム状態や送球難からレフトやファーストを兼任する事も多かった。
[編集] エピソード
- 2003年 - キャンプ中に突如、右目の視力が極端に悪くなり開幕は二軍で迎えた。シーズン途中に不調で二軍落ちした石井琢朗に変わってショートのレギュラーになっていたが今度は右手の握力が弱くなりボールすら握れなくなり、登録抹消。その原因は内川のトレードマークでもあるアゴが右側に曲がっていて頚椎の神経を圧迫していたことが理由。契約更改で、アゴの整形のために年俸を追加されたが、アゴの整形はせずに奥歯のかみ合わせを矯正する事によって解決した。
- 門倉健程ではないが、やはりアゴが非常に長く、試合中に佐伯貴弘にアゴで遊ばれているシーンなどがあり、2004年に3打席連続ホームランを打ったときはマスコミから「アゴジラ」と言われた。が、本人はお気に召さなかった様子で「アゴを強調されるのはいいんですが、ゴジラはちょっと…」との言を残している。
- 牛島和彦前監督に守備があまりよくないことから直々にキャッチボールをやってもらっていた。
[編集] プロフィール
- 出身地 - 大分県大分市
- 身長/体重 - 184cm/79kg
- 血液型 - B型
- 投打 - 右投右打
- 球歴 - 大分工高-横浜
- 指名順位/年度 - 1位/2000年
- 推定年俸 - 3500万(2007年)
- 英語表記 - UCHIKAWA
- 守備位置 - 外野、二塁、三塁、遊撃
[編集] 背番号
- 25(01)
- 2(02~)
[編集] 通算成績
[編集] 年度別成績
年度 | 所属チーム | 背番号 | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗塁死 | 犠打 | 犠飛 | 四死球 | 三振 | 併殺打 | 失策 | 打率 |
2001 | 横浜 | 25 | 3 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 |
2002 | 2 | 42 | 66 | 11 | 22 | 4 | 1 | 2 | 34 | 7 | 0 | 0 | 3 | 0 | 4 | 13 | 1 | 1 | .333 | |
2003 | 45 | 150 | 20 | 47 | 5 | 0 | 4 | 64 | 18 | 4 | 4 | 6 | 0 | 5 | 13 | 1 | 9 | .313 | ||
2004 | 94 | 338 | 55 | 97 | 11 | 1 | 17 | 161 | 45 | 2 | 7 | 12 | 1 | 18 | 42 | 7 | 12 | .287 | ||
2005 | 90 | 234 | 33 | 64 | 11 | 0 | 5 | 90 | 23 | 1 | 1 | 6 | 1 | 21 | 36 | 10 | 2 | .274 | ||
2006 | 124 | 402 | 41 | 115 | 15 | 2 | 4 | 146 | 34 | 8 | 3 | 7 | 3 | 27 | 64 | 9 | 11 | .286 | ||
通算(2006年まで) | 6年 | 398 | 1192 | 161 | 345 | 46 | 4 | 32 | 495 | 127 | 15 | 15 | 34 | 5 | 75 | 168 | 28 | 35 | .289 |
[編集] 記録
[編集] 外部リンク
00 河野友軌 | 0 ミツル | 1 金城龍彦 | 2 内川聖一 | 3 種田仁 | 4 北川利之 | 5 石井琢朗 | 7 仁志敏久 | 8 相川亮二 | 9 下窪陽介 | 11 山口俊 | 12 吉川輝昭 | 13 那須野巧 | 15 高宮和也 | 16 川村丈夫 | 17 加藤武治 | 18 三浦大輔 | 19 染田賢作 | 20 木塚敦志 | 21 吉見祐治 | 22 高崎健太郎 | 23 藤田一也 | 24 寺原隼人 | 25 村田修一 | 26 佐伯貴弘 | 27 山北茂利 | 28 秦裕二 | 29 新沼慎二 | 30 土肥義弘 | 31 吉村裕基 | 32 松家卓弘 | 33 古木克明 | 34 三橋直樹 | 35 牛田成樹 | 36 堤内健 | 37 岡本直也 | 38 稲嶺茂夫 | 39 内藤雄太 | 40 桑原義行 | 41 岸本秀樹 | 42 マーク・クルーン | 43 北篤 | 44 小池正晃 | 45 吉原道臣 | 46 佐久本昌広 | 47 工藤公康 | 48 後藤伸也 | 49 斉藤俊雄 | 50 下園辰哉 | 51 鈴木尚 | 52 石川雄洋 | 53 野中信吾 | 54 橋本太郎 | 55 呉本成徳 | 56 スコット・チアソン | 57 鶴岡一成 | 59 黒羽根利規 | 60 飯田龍一郎 | 61 武山真吾 | 62 高森勇気 | 63 梶谷隆幸 | 65 西崎伸洋 | 66 木村昇吾 | 67 ホセロ・ディアス | 99 横山道哉
85 監督 大矢明彦 | 72 弘田澄男 | 71 波留敏夫 | 77 斉藤明夫 | 75 野村弘樹 | 82 進藤達哉 | 73 青山道雄 | 84 秋元宏作 | 98 片平保彦 | 87 塚原賢治 | 70 ジョン・ターニー | 76 二軍監督 田代富雄 | 78 高木由一 | 80 中根仁 | 74 吉田篤史 | 83 武藤潤一郎 | 81 万永貴司 | 90 井上純 | 86 中村武志 | 93 三浦正行 | 89 谷川哲也 | 95 平野元章 |
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