四元数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
数学において四元数(しげんすう、クオータニオン、quaternion)とは、以下の条件を満たすような 3 つの虚数単位 i, j, k を持ち、4 つの実数 x, y, z, w を用いて x + yi + zj + wk と表記される数のことである。
数学分野では「四元数」と呼ばれることが多いが、工学分野では「クオータニオン」と呼ばれることが多い。
四元数は発見者ウィリアム・ローワン・ハミルトン(1843年)の名前にちなんでハミルトン数とも呼ばれる。四元数全体の成す集合はしばしば H または と書かれる。発見されてから一世紀もの長期間、何ら省みられることもない存在であったが、1980年代以降の急速な情報処理機材の進歩に伴って発展した立体画像コンピューターグラフィックスや人工衛星の姿勢制御などに欠くべからざる理論となった。
マイナス1 (-1)の平方根の存在を肯定することにより得られた複素数(二元数)では、乗法交換法則(ba=ab)が存在するが、四元数においてはもはや乗法交換法則は一般的には成立しない。乗法交換法則が成立しない事例はわれわれの身の回りも存在し、一つにマトリックス(行列)の積であり、もう一つは三次元ガウス空間におけるベクトル積である。四元数は、乗法交換法則を認めない代わりに、後述の定義の3に示すような演算規則を導入した。この演算規則は、三次元ガウス空間におけるベクトルの積においても既に存在する規則であり、そのために四元数から実部を除外した虚部の三軸は、三次元ガウス空間と酷似する性質を持つに至った。
全ての四元数の虚部は三次元ガウス空間の一点と同一視することができ、さらに実部はその点における特別なスカラの物理量を代表させることも可能である。空間の中の有限個の点によって代表される物体は、これらの点の数と同数の四元数の集合によっても代表できると考えられる。この集合に含まれるこれら四元数の各々に対し、一定値の四元数を加えもしくは引いて得られる四元数の集合は、平行移動した該物体を代表する。さらに、集合内の四元数の各々に対し、一定値の四元数を掛けて得られる四元数の集合が、旋回移動した該物体を代表するものに近い。しかし、単純な掛け算では歪が生ずるので、剛体旋回を表すためには工夫が必要である。
絶対値が 1 であるような四元数を、単位四元数あるいは単位クオータニオンとよぶ。旋回させたときに物体の大きさが変わらないためには、掛ける四元数は単位四元数でなければならない。さらに単位四元数を用いたとしても、単純な掛け算では旋回の赤道面内の点は正しく旋回するが、赤道面から離れた点では誤差が生ずると言う問題がある。この誤差を解消するためには、
- 実部と虚部を分けて演算する。
- 共役四元数を利用する。
- 左側からの積と右側からの積を計算し差を採る。
などの工夫が行われる。従来、物体の並進と旋回を計算する演算は、四行四列の行列を掛ける方法が広く普及していたが、この行列に比べ四元数は要素数が少なく、従って計算量も少なくて済む利点が再認識された。
実部がゼロであるような四元数を、純虚四元数と呼ぶことにし、前述の点の位置を純虚四元数で表すと、演算の一部を省略することができ、かつ歪除去の工夫も簡略化できる。さらに純虚四元数は三次元ベクトルと同一視できる性質を備えており、二つの純虚四元数の積の虚部はベクトル積であり、その実部はスカラー積の符号を変えたものであると見ることができる。三重積は、ベクトルを使った定義は複雑・難解だが、純虚四元数を用いれば簡単・明解な定義となる。このように、四元数は演算速度の改善のみならず、理論的思考過程の簡素化にも効果があり、今後の進展が期待される。
目次 |
[編集] 定義
四元数全体の成す集合 H には、実数全体の成す体 R 上の {1, i, j, k} を基底とする 4 次元ベクトル空間としての構造に加えて、次のように積が定義されている:
- 積は結合法則を満たし、和に対して分配法則を満たす。
- i, j, k は、それぞれ自乗すると -1 になる:
- i 2 = j 2 = k2 = -1 。
- ij = -ji = k, jk = -kj = i, ki = -ik = j, ijk = jki = kij = -1 。
3 番目の条件から、交換法則が成立しないことがわかる。しかし、0 以外の元は積の逆元をもつ。すなわち、四元数全体の成す集合 H は非可換体(または斜体、可除環)である。H を(ハミルトンの)四元数体と呼ぶ。
四元数 q = x + yi + zj + wk に対して、x を q の実部あるいは実数部分、y, z, w を q の虚部、yi + zj + wk を q の虚数部分と呼ぶ。
四元数 q = x + yi + zj + wk に対して、
と表される四元数 q を、四元数 q の(四元数としての)共役あるいは共役四元数であるという。四元数 q のノルム N(q) および絶対値 |q| がそれぞれ、
および、
として定義される。
[編集] 四元数の模型
四元数体 H は実数体 R 上の 4 次全行列環 M4(R) あるいは複素数体 C 上の 2 次全行列環 M2(C) の部分体にモデル(模型)を持つ。すなわち、これらの行列環の部分体に H に同型なものが存在する。
C 上の 2 次行列環における実現は次のようにする。まず α = x + yi ∈ C を、四元数 x + yi + zj + wk で z = w = 0 とおいたものと思うと、加群として H = C + Cj と分解される。この和は加群の直和である。つまり H は C 上の 2 次のベクトル空間になっている。ここで特に H の積構造は j α = αj が成り立つということに気をつければあとは分配法則と C における積から決まってしまう。ただし、α は α の共役複素数である。
ここまでの準備の下、行列環の部分集合として
を考えればこれが H の模型となることが簡単な計算で確かめられる。あるいは
という対応を考えても良いであろう。
R 上の 4 次行列環における実現としては、部分集合
を考えればよい。この場合、基底の対応は
となる。
[編集] 一般化
可換環 R 上の階数 4 の自由加群 Q = R + Ri + Rj + Rk に上で定義した四元数と同様に積を定める。具体的には、基底 {1, i, j, k} の間の積を α, β ∈ R に対し、
- i 2 = α, j 2 = β, k 2 = -αβ,
- ij = -ji = k, jk = -kj = -βk, ki = -ik = -αj
と定義して、その積を Q 全体に線型に拡張する。
このとき、Q は R 上の多元環になる。Q を一般四元数環 (generalized quaternion) あるいはもっと明示的に、R 上の (α, β) 型四元数環とよぶ。例えば、R が実数体 R であるときの (-1, -1) 型四元数環 Q が最初に定義した四元数体 H である。また例えば、複素数体 C 上で((-1,-1) 型の)四元数環を考えることもでき、これを H の複素化と呼んで、HC などと記す。またこの場合は H に含まれる四元数を特に、実四元数(実型の四元数)と呼ぶこともある。
またその場合は四元数 q = x + yi + zj + wk の x にあたる部分を、実部とは呼ばずに q のスカラー部分などと呼んだりする。HC は実数体 R 上のベクトル空間としては 8 次元ベクトル空間としての構造をもっていることになる。
K が体ならば K 上の四元数環は斜体であるか K 上 2 次の全行列環 M2(K) に同型である。また、体上の四元数環は巡回多元環の一種である。
[編集] 3次元コンピュータグラフィックスにおける応用
前述のように、一つの四元数によって3次元空間内の座標(虚部)と付随する性質(実部)を組にして表現することができる。そこで、三次元空間内の物体を想定した時、ある軸(三次元のベクトル)に対する回転(スカラ)を一つの四元数によって表すことができ、また複数の回転の複合も四元数の積で計算することができるので便利である。
回転を表す四元数をq、回転させたいベクトルをv、qの共役四元数をqとすると、回転後のベクトルv′は
v′ = qvq
で得られる。
回転を表す四元数は次のようになる。物体の記述にはNED座標を用いることが一般的であり、図で言えば、飛行機が存在する点を原点、機首方向をX(North、前)、機体の右方向をY(East、右)、機体の下方向をZ(Down、下)とする。
- 機首をZ軸まわりに角度φだけ左右に振る回転(青色)
- 機首をY軸まわりに角度θだけ上下に振る回転(緑色)
- 機体をX軸まわりに角度ψだけバンクさせる(両翼を互いに反対方向に上下させる)回転(赤色)
はそれぞれ、以下の四元数で表される。
- [ cos(φ/2), ( 0, 0, sin(φ/2) ) ]
- [ cos(θ/2), ( 0, sin(θ/2), 0 ) ]
- [ cos(ψ/2), ( sin(ψ/2), 0, 0 ) ]
[編集] 関連項目
カテゴリ: 数学関連のスタブ項目 | 多元環論 | 数論 | 数学に関する記事