国鉄キワ90形気動車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
国鉄キワ90形気動車(こくてつキワ90がたきどうしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)時代の1960年(昭和35年)に新製された、有蓋気動貨車(有蓋車にエンジン・運転台を取りつけた車両)である。その特異な存在と称号から「キワモノ」とも呼ばれる。
[編集] 目的
当時ローカル線では蒸機牽引の客車列車に代わり気動車が次々と投入され、運行コストの削減に大きな成果を上げていた。国鉄では気動車での成果をローカル線の少量貨物輸送にも展開できないか見極めるため、気動貨車の試験を行うこととした。この試験のため新製されたのが本形式である。このため試験車を意味する90番台を名乗っている。
塗装は当初は茶色1色、後には上半分がクリーム色、下半分が茶色のツートンカラーに塗り分けられていた。
当時の気動車用の標準機関であったDMH17Cが採用され、全長わずか8mの2軸車両である。このように小さい車両になったのは、非力な機関を1台のみ搭載しているため、他の貨車を牽引できるよう自車をできるだけ軽量化しようとしたためである。
台車はキハ01形などと同様、2段リンク式の板バネ支持による2軸単台車を使用していた。
車体中央に設けられた荷物室の最大荷重は7tで、車体は工作の簡易化を目的として切妻とされ、前面は101系電車の前面デザインを窓の傾斜を無くして平板にした様な意匠とされていた。
自らが7tの貨物を積載する一方、2両ほどの貨車も牽引することを想定していた。2両が製造されている。
[編集] 運用
新製後宮崎に配置され、実験線区に選定された妻線に投入された。しかし、非力なDMH17Cでは2両の貨車の牽引でも精一杯で、少しの勾配でも速度が落ちてしまい、走行性能上実用にならなかった。また、当車に7tの貨物が搭載できるとはいえ、幹線との接続駅で積み替えの手間があり、合理化にも寄与しなかった(キワ90に貨物を搭載しなければ軸重が軽くなり空転が生じる恐れがあり、貨物もしくは死重の搭載が必要であったとされる)。
このため試験とはいえ持て余すようになり、宮崎で休んでいることが多くなった。また、貨車代用であったか緩急車代わりであったか理由は不明であるが、貨物列車の最後尾に連結されている例もあった。
試験は事実上失敗し、1969年にキワ90 2が郡山工場でキヤ90形(キヤ90 1)に改造され、残るキワ90 1は1971年に廃車された。ローカル線では小型のディーゼル機関車の投入もしくはトラックへの切換が進められ、気動貨車の投入は行われなかった。
非力な機関で走行性能が実用にならないことは設計段階で判明しているはずであり、なぜ車両を新製してまでこのような試験が行われたかは定かではない。
[編集] キヤ90形
房総地区の電化工事における電柱への金具取り付けを目的として改造された事業用気動車(装柱車)。改造にあたり片運転台化し、車体の2/3を撤去し主作業台・回転作業台・昇降用ディーゼルエンジンを設置した。
塗装は保線車両と同様、車体が警戒色である黄1号となった。
しかし、車籍的には気動車の扱いであるため、運用するには気動車乗務員を手配しなければならない点が現場から指摘されたため、1970年に一部制御回路を変更し、最高速度を45km/hに制限して保線機械並みに作業要員が扱えるようにして、ヤ390形390として貨車に編入。房総地区での電化工事終了後は旧大網駅跡の側線に留置されていたが、1984年に廃車された。
- 日本国有鉄道(鉄道省)の気動車 ■Template ■ノート
カテゴリ: 日本の気動車 | 日本国有鉄道 | 鉄道関連のスタブ項目