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三沢光晴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三沢光晴
プロフィール
リングネーム 三沢光晴
タイガーマスク(2代目)
カミカゼ・ミサワ
リオン
本名 三澤光晴
ニックネーム 方舟の盟主
アンタッチャブル
ゾンビ三沢
エロ社長
身長 185cm
体重 110kg
誕生日 1962年6月18日
出身地 北海道夕張市
所属 プロレスリング・ノア
スポーツ歴 アマチュアレスリング
器械体操
トレーナー ジャイアント馬場
ザ・デストロイヤー
ドリー・ファンク・ジュニア
ジャンボ鶴田
デビュー 1981年8月21日

三沢 光晴みさわ みつはる、本名:三澤 光晴1962年6月18日 - 北海道夕張市生まれ、埼玉県越谷市育ち)は、日本の男子プロレスラープロレスリング・ノア(以下ノア)代表取締役社長。あわせて2006年9月グローバル・レスリング連盟初代会長に就任。公称185cm、110kg。血液型O型

現在、関東地区で放映中の「リーヴライフ21(ザ・リーヴ)」のコマーシャルに出演中である。

目次

[編集] 人物

新日本プロレス蝶野正洋全日本プロレス武藤敬司、プロレスリング・ノアの小橋建太と共に、人気、キャリア、実力共に拮抗し、日本の男子プロレス界に君臨する。幾ら打たれても投げられても立ち上がってくるところから「ゾンビ三沢」「受け身の天才」「アンタッチャブル」と称され、若い頃には端整な顔立ちから「エルボーの貴公子」とも呼ばれていた。

一貫してグリーンを基調としたロングタイツを着用し続けている。理由として、

  • 彼が好きだった正統派外国人レスラー、ホースト・ホフマンに倣った物であること
  • 占い師に「貴方は緑がいい」と助言されたこと

などが挙げられている。例外的に、マスクを脱いだ直後の試合で新コスチュームが間に合わず、タイガーマスクのロングタイツを使用して試合を行なった事がある。

また、彼が旗揚げしたプロレスリング・ノアでは、リングマットに自身のイメージカラーと同じエメラルドグリーンの物を使用している。これは「目に優しい色だから」という理由もあるようだが、日本のプロレス・格闘技団体では青を採用することが多いため、プロレス専門誌の写真などでも特徴的な印象を与えている。因みに、アニメのタイガーマスクの終盤において、しばしばマットの色が緑色で描かれていたことから、タイガーマスクであった三沢がNOAHで緑色のマットを採用したこととの間に因縁を感じるものもいるようである。

入場テーマ曲:『スパルタンX』(ノア移籍後は前奏がある「スロー・バージョン」を使用中)

[編集] 経歴

[編集] 生い立ち~若手時代

1962年6月18日北海道夕張市に生まれる。埼玉県と北海道の間で転居を繰り返すが、両親が離婚したために兄と共に母方の三沢家に引き取られ越谷市に移り住む。幼少の頃、兄と一緒にテレビに流れる全日本プロレス中継を見て「見るもんじゃなくてやるもんだな」「俺ならもっと面白く出来る」と思いプロレスラーへの憧憬を抱く。中学3年の時に家を抜け出し全日本プロレスの事務所まで押しかけたが、事務所の前にいたジャンボ鶴田に「高校を出てからまたおいで。」と説得され、高校への進学を決意。

1978年

プロレスの為にアマチュアレスリングの名門である足利工業大学附属高等学校に入学。3年時に世界ジュニア選手権出場、国体で優勝を果たす。
  • 長く盟友として苦楽を共にする一つ下の後輩川田利明とはこの時に出会っている。

1981年

3月、全日本プロレスに入門。同年8月21日、埼玉・浦和競馬場正門前特設リングにて同期の越中詩郎を相手にプロレスデビュー。同年10月シングル戦初勝利。

1982年 東京スポーツ新聞社制定 昭和57年度プロレス大賞・新人賞獲得。

1983年

4月、ルー・テーズ杯争奪戦で準優勝。

[編集] 2代目タイガーマスク時代

1984年

3月、越中と共にメキシコに遠征に出発。同年7月極秘帰国し、2代目タイガーマスクに変身。東京・蔵前国技館にてお披露目される。
8月26日、田園コロシアムにてラ・フィエラを相手にデビュー戦を行い、8分37秒、タイガー・スープレックス'84で勝利。

1985年

6月、日本武道館にて小林邦昭の持つNWAインターナショナルジュニア・ヘビー級王座にタイトル初挑戦するも敗退。
8月、両国国技館にて再び同タイトルに挑戦し、15分36秒、タイガー・スープレックス'85で小林邦昭に勝利、シングル王座初戴冠。
10月、チャボ・ゲレロを相手に王座防衛の後、ヘビー級転向のため返上。

1986年

7月、両国国技館にて「猛虎7番勝負」番外戦 ザ・グレート・カブキに勝利。
10月、岡崎市体育館にて「猛虎7番勝負」第1戦で 谷津嘉章に敗北。
11月、世界最強タッグ決定リーグ戦にジャイアント馬場とのタッグで初出場。

1987年

2月、夕張市総合体育館にて「猛虎7番勝負」第2戦 フランク・ランカスターに勝利。
3月、高崎市中央体育館にて「猛虎7番勝負」第3戦 リック・フレアーに敗北。
4月、熊本市体育館にて「猛虎7番勝負」第4戦 阿修羅・原に勝利。
6月、石川県産業展示館にて「猛虎7番勝負」第5戦 天龍源一郎に敗北。
7月、後楽園ホールにてジャンボ鶴田をパートナーにPWF世界タッグ王座に挑戦、スタン・ハンセンテッド・デビアス組に勝利し第3代王者になるも8日後のリターンマッチに敗れ王座陥落。後楽園ホールにて「猛虎7番勝負」第6戦Tデビアスに勝利。

1988年

2月、後楽園ホールにてカート・ヘニングの持つAWA世界ヘビー級王座に挑戦、リングアウト勝利するもルールによりタイトル獲得ならず。
3月、横浜文化体育館にて「猛虎7番勝負」最終戦 鶴田に敗北。
  • 5月10日に現夫人と結婚。同時にタイガーマスクの正体を発表する。
6月、仲野信市高木功高野俊二田上明と共に決起軍を結成。
  • 9月、試合中の怪我で左膝の靭帯を切断。シリーズを数日間欠場しただけで無理をして復帰する。

1989年

3月、日本武道館にてリッキー・スティムボートの持つNWA世界ヘビー級王座に挑戦し敗北。
  • この試合後左膝の怪我が深刻化、手術を受けるために長期欠場に入る。この間に決起軍解散(馬場の「全然、決起してない」という一喝から)

1990年

1月、リング復帰。
2月、新日本プロレスの選手の大量離脱騒動の余波から「'90 スーパーファイトIN闘強導夢」に天龍とのタッグで出場。自身初の交流戦に挑む。長州力ジョージ高野に勝利。
4月13日、全日本プロレス、新日本プロレス、そしてWWF(現・WWE)との3団体合同による「日米レスリング・サミット」を東京ドームにて開催。ブレット・ハートとのシングルマッチを戦い、20分時間切れで引き分ける。
4月、岡山武道館にて小橋健太(現:小橋建太)をパートナーにカンナム・エクスプレスの持つアジアタッグ王座に挑戦、勝利。第51代王者に輝く。
  • この後突如、天龍がSWSに電撃移籍。その後も多くの所属選手が天龍の後を追い、大量離脱騒動が起こる。

[編集] 素顔~3冠王座時代

5月14日、川田とのタッグで谷津、サムソン冬木(故:冬木弘道)と対戦。試合中冬木の執拗なマスク剥ぎ行為にあい、自らマスクを取って投げ捨て冬木に突進。素顔の三沢光晴に戻る。広島県立体育館にてアジアタッグ王座初防衛後に返上。
  • 現在まで続く三沢のビジュアルイメージである”緑”はこの時期に固まった。
6月8日、日本武道館にてジャンボ鶴田との一騎討ち。これに勝利して下の世代で初めて鶴田越えを達成。
7月、松戸市運動公園体育館にてテリー・ゴディが返上した三冠統一ヘビー級王座をスタン・ハンセンと争うことに。しかし惜しくも王座奪取ならず。
8月の強化合宿にて川田・田上・小橋・菊地毅・浅子と共に「超世代軍」結成。
  • 田上は鶴田のパートナー指名を受けて超世代軍としての活動を殆どしないまま離脱。
9月、三冠統一ヘビー級選手権挑戦者決定戦に出場。ジャンボ鶴田と争うがバックドロップ・ホールドに敗北。

1991年

2月、宮城県スポーツセンターにて川田をパートナーに世界タッグ王座挑戦、テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス組に敗れる。
4月、日本武道館にて鶴田の持つ三冠統一ヘビー級王座に挑戦、敗れる。
6月、千葉公園体育館にて川田をパートナーに世界タッグ王座挑戦、ハンセン&ダニー・スパイビーに敗れる。
7月、石川県産業展示館にて川田をパートナーに世界タッグ王座挑戦、ゴディ&ウィリアムスを破り王座奪取。第17代王者となる。
9月、日本武道館にて川田をパートナーに鶴田&田上明組と世界タッグ王座防衛戦。フェースロックにより鶴田から初ギブアップ勝ちを奪う。世界最強タッグ決定リーグ戦に伴い王座返上。
11月、川田をパートナー世界最強タッグ決定リーグ戦に出場するも怪我の為途中から欠場。

1992年

3月、日本武道館にてハンセンの持つ三冠統一ヘビー級王座に挑戦、敗れる。
6月、日本武道館にて小橋をパートナーに世界タッグ王座挑戦、鶴田&田上組に敗れる。
8月、日本武道館にてハンセンの持つ三冠統一ヘビー級王座に挑戦、勝利し第10代王者に。
  • その直後、鶴田がB型肝炎発症を理由に長期離脱。名実共に全日本のエースになる。
10月、日本武道館にて川田を相手に三冠統一ヘビー級王座防衛。
12月、日本武道館にて川田をパートナー世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦で田上&秋山準組を下し優勝、第20代世界タッグ王者となる。

1993年

1月、千葉県体育館にて世界タッグ王座防衛戦、ゴディ&ウィリアムス組に敗れ王座転落。
2月、日本武道館にて田上を相手に三冠統一ヘビー級王座防衛。
  • 4月、川田が超世代軍離脱を表明。いわゆる四天王プロレスが幕を開ける。

[編集] 四天王時代

5月、日本武道館にてハンセンを相手に三冠統一ヘビー級王座防衛。
6月、日本武道館にて小橋をパートナーに世界タッグ王座挑戦、川田&田上組に敗れる。
7月、日本武道館にて川田を相手に三冠統一ヘビー級王座防衛。
9月、日本武道館にてスティーブ・ウィリアムスを相手に三冠統一ヘビー級王座防衛。
10月、日本武道館にてハンセンを相手に三冠統一ヘビー級王座防衛。
12月、日本武道館にて小橋をパートナー世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦で川田&田上組を下し優勝、第24代世界タッグ王者となる。

1994年

3月、馬場から初のピンフォール勝ち。チャンピオン・カーニバルのダグ・ファーナス戦で喰らった技が原因で歩行困難に。途中リタイアとなる。
5月、札幌中島体育センターにて川田&田上組を相手に世界タッグ王座防衛戦。40分を越える激闘の末、勝利。
6月、日本武道館にて川田を相手に三冠統一ヘビー級王座戦を戦い、タイガードライバー'91を解禁し防衛。
7月、清水市営体育館にてウィリアムス&ジョニー・エース組を相手に世界タッグ王座防衛戦、王座防衛。日本武道館にてスティーブ・ウィリアムスを相手に三冠統一ヘビー級王座防衛戦、ウィリアムスの殺人バックドロップの前に敗れ王座転落。
12月、日本武道館にて小橋をパートナーに世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦でウィリアムス&エース組を下し優勝。第25代世界タッグ王者となる。

1995年

1月、山形県体育館にて川田&田上組を下し世界タッグ王座初防衛。
3月、日本武道館にてウィリアムス&エース組を下し世界タッグ王座防衛。
4月、チャンピオン・カーニバルの試合中に川田の蹴りを浴びて左眼窩骨折の重傷。以後、試合に出続けて、日本武道館での優勝決定戦で田上に勝利して初優勝。
5月、札幌中島体育センターにてハンセンの持つ三冠統一ヘビー級王座に挑戦、勝利し第14代王者に。
6月、日本武道館にて川田&田上組に敗れ世界タッグ王座から転落。
7月、日本武道館にて川田を相手に三冠統一ヘビー級王座防衛。
9月、日本武道館にて田上を相手に三冠統一ヘビー級王座防衛。
10月、日本武道館にて小橋をパートナーに川田&田上組の持つ世界タッグ王座に挑戦、引き分け。日本武道館にて小橋を相手に三冠統一ヘビー級王座防衛。
12月、日本武道館にて小橋をパートナーに世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦で川田&田上組を下し2連覇。

1996年

1月、日本武道館にてゲーリー・オブライトを相手に三冠統一ヘビー級王座防衛。
5月、札幌中島体育センターにて秋山をパートナーに川田&田上組の世界タッグ王座に挑戦。勝利し第29代王者になる。札幌中島体育センターにて田上を相手に三冠統一ヘビー級王座戦。田上の迎撃式のど輪落としに敗れ王座転落。
6月、日本武道館にてウィリアムス&エース組を下し世界タッグ王座防衛。
7月、石川県産業展示館にて川田&田上組を下し世界タッグ王座防衛。
9月、日本武道館にてウィリアムス&エース組に敗れ世界タッグ王座から転落。
12月、秋山をパートナーに世界最強タッグ決定リーグ戦出場。最終戦で敗れ準優勝。

1997年

1月、大阪府立体育会館にて小橋の持つ三冠統一ヘビー級王座に挑戦、40分を越える激闘を制し王座奪取。第17代王者になる。
4月、日本武道館にてスティーブ・ウィリアムスを相手に三冠統一ヘビー級王座防衛。日本武道館のチャンピオンカーニバル優勝決定巴戦にて川田に初のフォール負けを喫し優勝を逃す
  • 三沢はこの試合の前に小橋と30分フルタイムを戦ったばかりで明らかにスタミナ切れだった。
  • 5月、小橋が超世代軍を正式に離脱。超世代軍はこれをもって消滅。
6月、日本武道館にて川田を相手に三冠統一ヘビー級王座防衛。
7月、日本武道館にて田上を相手に三冠統一ヘビー級王座防衛。
8月、札幌・中島体育センターにて秋山をパートナーにウィリアムス&オブライト組の持つ世界タッグ王座に挑戦するも敗北。
9月、日本武道館にて秋山を相手に三冠統一ヘビー級王座防衛。
10月、日本武道館にてスティーブ・ウィリアムスを相手に三冠統一ヘビー級王座防衛。
9月、日本武道館にて小橋を相手に三冠統一ヘビー級王座防衛。この年のプロレス大賞・ベストバウト賞に選ばれる大激闘だった。
12月、秋山をパートナーに世界最強タッグ決定リーグ戦出場。最終戦で敗れ準優勝。

1998年

1月、大阪府立体育会館にて秋山を相手に三冠統一ヘビー級王座戦。新技エメラルドフロウジョンを初披露し防衛。
2月、日本武道館にてジョニー・エースを相手に三冠統一ヘビー級王座防衛。
4月、日本武道館のチャンピオン・カーニバル優勝決定戦で秋山を下し2年ぶりの優勝。
5月、全日本初の東京ドーム大会開催。川田に敗れ三冠統一ヘビー級王座を失う。長く続く激闘を考慮し、馬場社長の命を受け暫く休養に入る。8月に復帰。この間自ら志願して一部試合のマッチメークを任される。
9月、秋山戦に敗れた小川良成を気遣ったことを契機にタッグチーム「アンタッタブル」結成。
10月、日本武道館にて小橋の持つ三冠統一ヘビー級王座に挑戦。王座奪回に成功し第20代王者に。
  • この試合でプロレス大賞・ベストバウト賞を2年連続受賞。

[編集] 馬場時代の終焉~三沢体制への移行から苦悩の時代へ

1999年

1月、全日本の象徴であった馬場が逝去。2月、鶴田が引退。全日本の内情は暫し混迷する。三沢もこの時期かなり悩み、マスコミの取材に対し、弱気な発言をする時もあった。
3月、日本武道館にてアンタッチャブルとして小橋&秋山組の持つ世界タッグ王座に挑戦するも敗北。
5月、馬場の引退興行として行なわれた東京ドーム大会にてベイダーの持つ三冠統一ヘビー級王座に挑戦。王座奪回に成功し第23代王者に。この大会後、選手会の強い要請を受け全日本社長に就任、三沢体制が誕生する。
6月、日本武道館にて小橋を相手に三冠統一ヘビー級王座防衛。
7月、日本武道館にて川田を相手に三冠統一ヘビー級王座防衛。
8月、広島市東区スポーツセンターにてアンタッチャブルとしてノーフィアーの持つ世界&アジア両タッグに挑戦、勝利し第39代世界タッグ王者、第67代アジアタッグ王者に。アジアタッグは即返上。
9月、日本武道館にて行なわれた5大シングルマッチ開催で川田欠場の代役として2試合に出場。高山に勝つもベイダーに敗れる。社長としてファンに対する責任をきっちり果たして見せた姿に、ファンは惜しみない拍手を贈った。
10月、愛知県体育館にて小橋&秋山組を相手に世界タッグ王座防衛戦、王座転落。日本武道館にて三冠統一ヘビー級王座にベイダーの挑戦を受けるも、敗北し王座転落。

2000年

4月、松本市総合体育館のチャンピオンカーニバル公式戦において裏十字固めによりベイダーから初のギブアップ勝ち。
  • これによりベイダーは左腕骨折。
  • しかしこの頃、裏ではオーナーの馬場元子夫人との確執が表面化。
5月、ジャンボ鶴田、肝臓移植で訪れたフィリピンで手術中の出血多量により逝去。三沢が社を代表して記者会見に立つ。
6月、東京スポーツの記事で5月に全日本の社長を辞任していたことがスクープされる。
6月13日、定例役員会において三沢が口頭で一方的に取締役辞任の意向を伝え散会。同時に小橋・田上・百田も取締役辞任。オーナー側との亀裂は決定的となる。

[編集] プロレスリング・ノア誕生

2000年

6月15日、フロント陣を含めた離脱者全員で全日本に退団届を郵送し受理。
6月16日、全日本を退団した選手、スタッフを集めディファ有明にて新団体設立会見。同時に内容証明郵便を全日本事務所を送付。同28日の記者会見で8月5日、6日ディファ有明にて旗揚げ戦を行うことを発表。
7月10日、記者会見で新団体名を7月7日付けで「株式会社プロレスリング・ノア」として登記申請したと発表。15日の旗揚げ戦チケット発売日は長蛇の列になり、6000枚のチケットが1時間足らずで完売。
8月5日、旗揚げ戦開催。メインで田上と組み60分3本勝負のタッグ戦に登場するも、1本目に秋山の意表をついたフロントネックロックにより僅か2分で失神。
10月、「アンタッチャブル」を「WAVE」に名称を変更、池田大輔丸藤正道が加わる。
12月、有明コロシアムにて因縁のベイダーとのシングルマッチをランニングエルボーで勝利。
  • 新日本を退団しプロレスリングZERO-ONEを旗揚げした橋本真也が登場。三沢は純血選手たちでの開催を考えていたが橋本の強硬な対戦要求に根負けし大森隆男戦を用意した。

2001年

1月、大阪で小川をパートナーについに橋本とタッグマッチで対戦。新日本出身の闘魂三銃士と初めて手を合わせる。橋本のシングルマッチ要求に初めてマイクアピールを行なう。
3月2日、ZERO-ONE旗揚げ戦にノアの宣伝を兼ねて秋山とのタッグで出場。橋本&永田組と対戦し、混戦の隙をついたバックドロップを橋本に見舞いピンフォールを奪う。試合後、小川直也の挑発にエルボーで応戦し初遭遇。
  • この後お互いの求める方向性の違いからZERO-ONEとの交流は頓挫。橋本との遭遇もこれが最後になる。
3月21日、団体公認のベルトGHCヘビー級王座をかけたトーナメント戦が開始。
4月、有明コロシアムにて高山善廣をエメラルドフロージョンで下し初代GHCヘビー級王者に輝く。
4月18日、ZERO-ONE旗揚げ第2戦に力皇とのタッグで出場。小川&村上一成組と対戦し勝利。
5月、札幌にて田上を相手にGHCヘビー級王座防衛。
7月、旗揚げ1周年興行で念願だった日本武道館に進出。メインで秋山を相手にGHCヘビー級王座防衛戦に望むも敗北。
11月、小川をパートナーにGHCタッグ王座獲得。
12月、有明コロシアムで高山&大森組に敗れGHCタッグ王座を失う。

2002年

2月17日、「Navigate for Evolution 2002」最終戦 日本武道館大会において、395日ぶりに復帰した小橋建太とタッグを組み、秋山準永田裕志組と対戦。
4月7日、「Encountering Navigation 2002」最終戦 有明コロシアム大会において、冬木弘道と約15年ぶりに対戦し勝利する。
5月、新日本との交流戦で新日本東京ドーム大会に参戦し蝶野正洋とシングルマッチで対戦、お互いの団体を象徴するランニング・ネックブリーカー・ドロップや卍固めを掛け合う攻防を展開、30分フルタイムで引き分ける。
9月7日、「Navigation Over the Date Line 2002」 最終戦 大阪府立体育会館大会において、佐野巧真と組んで王者森嶋猛・力皇猛組とGHCタッグ選手権試合で対戦するが敗れる。
9月23日、「GREAT VOYAGE 2002」日本武道館大会にて高山善廣を下しGHCヘビー級王座奪還に成功、第5代王者に返り咲く。

2003年

1月10日、「GREAT VOYAGE 2003」日本武道館大会において、新日本の蝶野とドリームタッグを結成。小橋建太&田上明組と対戦するが、小橋建太のリアル・ブレーンバスターの前に敗れる。
3月1日、「Navigate for Evolution 2003」最終戦 日本武道館大会において、完全復帰を果たした小橋建太を相手にGHCヘビー級王座防衛戦に挑むも、小橋の禁じ手バーニングハンマーの前に敗れる。
  • この試合は2003年度プロレス大賞ベストバウト賞を受賞。
12月6日、「Navigation Uprising Spirit 2003」最終戦 横浜文化体育館大会において、越中詩郎と約19年ぶりに対戦し、変形エメラルドフロウジョン(ブレーンバスターからのエメラルドフロウジョン)を初公開し勝利する。

2004年

1月、小川とのコンビで新日本の永田裕志棚橋弘至組に流出していたGHCタッグ王座に挑戦、ベルト奪還に成功。
7月10日、ノア初の「DEPARTURE 2004」東京ドーム大会を開催。GHCタッグ選手権試合にて全日本の武藤敬司&太陽ケア組と対戦、防衛に成功。
  • これで三沢は新日本出身のいわゆる闘魂三銃士と全て手を合わせたことになる。
7月18日、恩讐を越えて全日本両国国技館に登場。先の東京ドーム大会において全日本の小島聡から対戦を直訴され、その熱意と礼儀を買って快諾してのものだった。試合はタイガードライバー'91で三沢が勝利。
10月31日、全日本両国大会「武藤敬司デビュー20周年記念興行」のメインイベントで武藤とドリームタッグを結成。

2005年

1月8日、「GREAT VOYAGE 2005」日本武道館大会において、力皇猛と組み、天龍源一郎越中詩郎組と対戦。天龍源一郎とは約15年ぶりの対戦となった。
5月14日、新日本プロレス東京ドーム大会に参戦。藤波辰爾とタッグを組み、蝶野正洋獣神サンダー・ライガー組と対戦。
7月18日、「Destiny 2005」東京ドーム大会で5年ぶりに川田利明とシングル対決、これに勝利。
  • しかしこの時の川田のマイクアピールに憤慨した三沢は試合後に川田との絶縁を宣言。
9月18日、「2nd GREAT VOYAGE 2005」日本武道館大会において、力皇の持つGHCヘビー級王座に挑戦するも敗北。
  • これにより1992年より続いていたシングルタイトル挑戦成功率100%の記録が途切れる。
10月1日、WRESTLE-1代々木第一体育館大会に参戦。とタッグながら初対決し、ランニング・エルボーで勝利する。
11月5日、「3rd GREAT VOYAGE 2005」日本武道館大会において、天龍源一郎と18年ぶりに一騎打ちを果たしこれに勝利。
12月4日、「Winter Navigation 2005」横浜文化体育館大会において、タッグマッチで柴田勝頼と初対決。

2006年

1月22日、「The First Navigation 2006」最終戦 日本武道館大会において、NOAHマットでははじめて(初対決から1年3ヶ月ぶりに)、6人タッグマッチで佐々木健介と対戦する。
3月5日、「Navigate for Evolution 2006」最終戦 日本武道館大会において、4大シングルマッチで森嶋猛と対戦し勝利する。
7月16日、「Summer Navigation 2006」最終戦 日本武道館大会において、秋山準と組んで、高山善廣復帰戦の相手を務める。
9月12日グローバル・レスリング連盟(GPWA)が発足。初代会長に就任する。
12月10日、「GREAT VOYAGE 2006」日本武道館大会において、丸藤正道の持つGHCヘビー級王座に挑戦。雪崩式エメラルドフロウジョンで勝利し、第11代王者に返り咲く。

2007年

1月21日、「The First Navigation 2007」最終戦 日本武道館大会において、GHCヘビー級選手権試合森嶋猛と初防衛戦をおこない、ランニングエルボーで勝利。
3月5日、「Navigate for Evolution 2007」最終戦 日本武道館大会において、5大シングルマッチで杉浦貴と対戦。マウント状態からのエルボー連打で、TKO勝ちを収める。


[編集] 得意技

元々アマレス出身であり、メキシコ遠征~タイガーマスク時代を経て空中殺法やルチャリブレ系のサブミッション、また各種エルボーという打撃技を習得したことによって、相手がどんなレスラーであっても対応可能な懐深いレスリングが特徴。またキック技も使うが、タイガーマスク時代に重傷を負った左膝の影響もあり、こちらは繋ぎ技として使われることが多い。また人と同じ技を使うことを良しとせず、数多くのオリジナルティー溢れる技を開発し続けているように、持ち技は多彩である。試合の組み立てはエルボーを主とした打撃とスープレックス系が中心だが、近年は年齢的なこともあってスープレックス系の使用頻度が落ち、ほとんどエルボーのみで試合を作っている場合もある。

[編集] 打撃技

エルボー・バット
三沢の代表的な必殺技。エルボーとは言うが、肘の尖った部分で打つのではなく、肘から下の硬い骨が出ている下腕部で相手の下顎やテンプル等の側頭部を狙って叩き込む。バリエーションも、ローリング式、ランニング式、バックハンド式、マシンガン式、ワンツー式、ダイビング式など豊富にあり、マウント状態で連続で叩き込むエルボーも披露したことがあった。技の出だしも早く連発も容易なため、接近戦において最大の攻撃力を発揮する。しかしそれだけに自分の肘にかかる衝撃は相当なもので、三沢以外の使い手は殆ど皆無(あえて上げるならZERO-ONE田中将斗)。実際この技の多用が原因で三沢の肘の軟骨はボロボロに砕けてしまっている。
エルボー・バット自体は昔から得意としているレスラーがいるが、ムエタイ等と違い、プロレスではあくまで繋ぎ技として使われる程度のものだった。それをフィニッシュに結びつく必殺技にまで昇華させたのは、三沢が初めてである。初めて食らった選手の殆どが「脳が揺れた」「こんなに効くとは思わなかった」と口にする。
2001年高山戦のフィニッシュで披露した、エルボー→ワンツー→ローリング→ランニングを指して特に「ファイナルエルボーコンビネーション」と呼ぶ。
ハンセンから三冠を奪取する前後から三沢の主力として用いられることになったが、その理由としては「投げ技が難しい大型選手とあたる時には打撃が必要不可欠」「肘くらいしか怪我をしていない部分がなかった」「打った時の感覚が違った」の3つが挙げられる。
ローリング・エルボー(回転式エルボー)
相手と対面状態から素早く左回転し、腰と肩を入れて全力で叩き込むエルボー。通常のエルボーを数発叩き込み、相手の意識が朦朧としたところで使用するのが専らである。基本的にこれで相手は倒れこみ、選手権試合以外ではこの技でフィニッシュになることも珍しくはない。
ランニング・エルボー
一定の距離をとり、走りこんで叩き込むエルボー。インパクトの瞬間は左足で踏み込み、突進力と腰の回転で叩き込む。普段からフィニッシュとして扱われる上に、自分よりもはるかに大きい超重量級が相手の時や、全ての投げ技を使い尽くした時に用いられる為、エルボーバリエーションの中では最強の威力を誇ると思われる。
スピニング・エルボー(旋回式エルボー)
ローリング・エルボーとは逆回転で右に回り、肘から上の上腕で相手の顔面に叩き込む。単体では隙があるためか、ローリング式と同じようにエルボーのコンビネーションの途中で流れるように組み込まれるのが殆どである。なお、この技は呼び方が色々あり、「バックハンド・エルボー」「バックスピン・エルボー」「スピン・エルボー」等がある。
マシンガン・エルボー(速射式エルボー)
左手で相手の首を固定し、スピード重視のエルボーを連続で相手の側頭部に叩き込む。最後の一発は腰を入れて打つのが特徴。
ワンツー・エルボー(ダブル・エルボー)
まず通常の右エルボーを叩き込み、相手の体が左にぶれるやいなや左エルボーを叩き込み、即座に右エルボーで揺り戻す。基本的にはトップレスラーとのビックマッチでしか使用されず、この後にローリング・エルボーが叩き込まれるのが常である。
120%エルボー
見た目は全く一緒の対「川田利明」限定エルボー。三沢は相手によって意図的にエルボーの威力を調節しているが、前に立っている人間が川田だと明らかに音が違うエルボーを何故か叩き込むことからこう称される。なお、マシンガン・エルボーも川田が相手だと、足をアストライドポジションにとり全弾腰を入れてアッパー式・打ち下ろし式を交互に織り交ぜて打ち込むようになる。このエルボーを引き出させることが三沢の本気を出させた証明ともなる為、若手時代の秋山などが試合前に宣言をしたことがある。
かかと落とし
テコンドー式の正面から蹴るものではなく、前かがみにした相手のサイドから延髄を狙って前方宙返りをして踵で蹴りつける。パワーボムを踏ん張った相手に不意に繰り出し意表をついたりする。
ステップキック
背中にエルボーを叩き込むなりして相手を前のめりにさせた時、はねながら足の甲で相手の胸あたりを蹴り上げる技。その繰り出す体勢から通称”欽ちゃんキック”とも呼ばれる。
二連発で打つことが多い。まれに三連発になることも。全日本時代(阪神・淡路大震災2日後の95年1月19日大阪大会)馬場&鶴田&三沢組 対 秋山&大森&本田組では、この蹴りを一発喰らった本田が二発目が来る前に動いてしまい、モロに顔面に入ってしまった。周囲の病院が震災直後でてんてこ舞い状態で治療が遅れたこともあり、結果的に全治3ヶ月の大怪我を負わせることとなった。

[編集] 投げ技

タイガードライバー
三沢が2代目タイガーマスク時代にあみ出した必殺技。リバースフルネルソンの体勢から相手を持ち上げ、フックを離し空中で一回転させたと同時に開脚ジャンプして相手を背中から叩きつける。90年代半ばまでは絶対的なフィニッシュとして君臨し続けたが、周りの受身技術が上がり、更に高度な試合へと発展していったことから次第に中盤の中継ぎ技へとなっていった。しかし、現在でも三沢の代名詞として存在し、そのロックをしてからの持ち上げる持ち上げないの相手との攻防は三沢の試合における定番シーンである。相手が踏ん張った際には一度クラッチを解いてから背面にエルボーや後頭部への踵蹴りを叩き込み再度チャレンジする、もしくは意表をついてダブルアーム・スープレックスに移行するパターンもある。
派生技も多く、トップロープの上からの雪崩式で見舞うタイガー・ドライバー2001、エプロンから場外に叩きつけ断崖式タイガー・ドライバー等がある(いずれも相手は秋山)。また、小川良成とのツープラトン技として、クラッチを協力して行なうダブルタイガー・ドライバーが存在する。: なお、初代タイガーマスクが同名の技を使用していたが、三沢のものとは全く違う(DDTとフロントネックチャンスリードロップの中間のような技)。
タイガー・ドライバー'91
前述のタイガー・ドライバーを、空中で回転させずに腕をロックしたまま、または落とす直前にロックを外して脳天から落とす。入り方は通常のタイガードライバーと同じだが、効果としては受身の取れないパイルドライバーに近い。
その危険度から91年1月に対田上戦で公開してすぐに封印。94年6月の川田戦で三年ぶりにタイガー・ドライバー'91を解禁した。この試合を実況していた福澤朗アナは「殺人タイガードライバー」と呼称している。
ロック式は受身が取れないまま杭を打つかのごとくリングに突き刺さるため桁違いに危険なので、相手によって出し方を変えている。まさしく三沢光晴の秘技であり、その危険度から数えるほどしか使用していない。2004年、全日本に参戦した際の小島聡戦で約5年ぶりに封印を解き、2005年の川田戦、2006年の丸藤戦でも使用している。現在において小橋建太、川田利明、丸藤正道、ベイダーのみがこの技を返しているが(ただしベイダー戦と丸藤戦では崩れた形だった)、ロック式を喰らって返した者はいない。
エメラルド・フロウジョン
相手をボディスラムの体勢で右肩に抱えあげ、左手で首を、右手で腰をしっかりホールドして自分のサイドに脳天から落とす三沢光晴の決め技。
初出の時は手のロックが反対で一度手を持ち変える必要があり、少々手間取る為に現在の形に改良されたが、そのまま垂直落下になる分コチラの方が威力があるとも言われている。全日時代には殆ど拝むことが出来なかったが、角度調整が左手の差し方で容易に出来るためかノア以降では相手の力量に合わせた形で頻繁に繰り出すようになった。
2006年9月に入り、小川との合体式エメラルドも披露し、12月の丸藤正道戦ではフィニッシュホールドとして雪崩式で繰り出した。なお雪崩式は小川との合体技としての公開が最初。(前述の合体式とはまた別。小川がボディスラムで持ち上げ、コーナートップで待機している三沢に渡して落とす形)
変形エメラルド・フロウジョン
ブレーンバスターの体勢から抱え挙げてエメラルド・フロウジョンと同じ体勢で落とす。落差が増し、基本的に角度もきつくしているので無印よりも威力は高いと思われる。
全日本時代はタイガー・ドライバー'91に変わる禁断の技として君臨していたエメラルド・フロウジョンであったが、ノア以降は角度調整の効いたものを選手権試合問わず乱発する傾向になった為、「これが出れば試合が終わる」一撃必殺とはならなくなり、選手権試合クラスでは当たり前のように返す選手が増えてきた。そんな最中登場したのが「改」であり、2003年12月に行われた越中詩郎との再会シングルマッチでフィニッシュとして繰り出した。その後もビッグマッチの時によく使用されている。

[編集] スープレックス系の投げ技

ジャーマン・スープレックス(原爆固め)
ホールド式、投げ捨て式共に使用し、何度も自身のフィニッシュホールドとしてきた技。
四天王プロレスの中盤に連発するようになった事から決め技としての価値は暴落した。川田利明に放った3連発が特に有名で、ベイダーを投げきることもあった。最近は投げ捨て式をたまに使用する程度にとどまっている。
タイガー・スープレックス'84(猛虎原爆固め)
2代目タイガーマスク時代に習得。後から両腕をチキンウィングの体勢にとらえて、そのまま後方に投げる。腕がロックされているので非常に受身が取りにくい。なお、初代タイガーの佐山聡は両手を相手の背中にベッタリつけるが三沢以下全日・ノア系の選手は両腕でロックする。
最近は非常にレアな技となったが、2003年の小橋建太戦では、花道から場外マットに向け自らも落下しながら投げ捨て式のタイガー・スープレックス(タイガー・スープレックス2003)を出した。この時、沸き返っていた会場は一瞬にしてざわめきに変わった。
タイガー・スープレックス'85
二代目タイガーマスク時代の三沢がヒザを故障し、復帰戦の対小林邦明戦で初公開したオリジナル技。
背後から自らの両腕を相手の両脇に差し入れてスリーパーホールド状に相手をクラッチ、片方の下腕部だけが相手の首から後頭部に回される変形のフルネルソン状態で後方に投げる。首を深くロックされた上で投げられるため、極めて受身が取りずらい。当時は毎年オリジナルのタイガー殺法を編み出すというデビュー時についたお約束のギミックがあり、その一環として編み出された。
当初はダブルジャーマンをこのタイガースープレックス’85と呼称する予定であったが小林に返されてしまい、とっさにこの技を出した、という経緯がある。
なお、ノアを旗揚げしてからは小橋建太戦と丸藤正道戦での2度しか出していない(丸藤戦では雪崩式で繰り出した)。
旋回式バックドロップ
抱え式バックドロップの体勢で自ら回転しながら投げる。繋ぎ技として使用する場合が多い。

[編集] 飛び技

フライング・ラリアット
ロープに相手を振った後、自分もロープの反動を利用して走り出し、ジャンプしながら相手の首に巻きつくように肘の内側をあて、旋回しながらも綺麗に着地するという華麗な技。
三沢光晴の身体能力だからこそ可能な技だが、試合中にかわされ古傷である右肩の脱臼を招いていた事もある。
エルボー・スイシーダ
トペ・スイシーダで場外の相手に肘から突っ込んでいく。
相手が逃げたりフェイントをかけてきそうな場合は瞬時に判断し、トップロープに両腕を絡め、そこを軸にしてくるっと前方回転してエプロンに着地するというムーブや、ロープ下からスライディングで相手の顔面を蹴り上げる派生技も存在する。更に前者のムーブからの派生として、エプロンからのダイビングエルボーや、再び後方回転して戻って再度エルボー・スイシーダーやスライディングへ行くことがある。
本来は当時の実況アナ若林健治が良く使っていた「トペ・エルボー」の方が名称としては正解だったと言えるのだが、現在の名称を全日本プロレス中継当時の解説者が最初に「エルボー・スイシーダ」と称したためにそのまま定着している。しかし、「tope」には「先端(頭)」という意味もあるため、どちらも間違っていない、もしくは「頭」という意味も込めたダブルミーニングだったともいえる。
フロッグ・スプラッシュ
空中を高く飛んでの屈伸式フライングボディプレス。空中での屈伸姿勢が蛙のジャンプする様に似ているために名づけられた。三沢の場合はつなぎ技としての使用が多いが、大変見栄えが良い技であることから元WWEの故エディ・ゲレロ登龍門ジャパンシーマ・ノブナガ(現:CIMA)の使うマッド・スプラッシュなどフィニッシュ・ムーブとして使用する場合も多い。ノア内では丸藤正道がこの技を受け継いでいる。
WWE所属のロブ・ヴァン・ダムの得意技「ファイブスター・フロッグ・スプラッシュ」は全日本参戦時に三沢のフォームを参考に編み出したものである。
ウルトラタイガードロップ
エプロンの上を走り、場外に居る相手に前方回転して背中から浴びせかかっていく技。スピード感に溢れ華やかであるが、危険度も高くめったに見ることは出来ない。
2代目タイガーマスク時代から使っており、当時はコーナートップから繰り出すことが多かった。
猛虎七番勝負での対天龍戦では、リング内からトップロープ最上段に飛び乗り、場外にいる天龍に向かってこの技を繰り出した。

[編集] 関節技

裏十字固め
相手がうつ伏せの状態にしてかける腕十字固め。三沢の場合は技をかけているときは自身が仰向けの状態になり、相手が逃げようとすると決める方向を変えて脱出できないようにする。2000年チャンピオン・カーニバル松本大会でベイダーの肘関節を破壊した技である(ちなみに、この日は裏の新日本東京ドーム大会で小川vs橋本戦があり、それを上回る強烈なインパクトであった)。なお、この時期は三沢の全日本離脱・ノア設立の直前の時期であり、しばらく後、ベイダーは「骨折させられた恨みを晴らす」として全日本からノアに参戦リングを移した。
フェイスロック
三沢の代名詞の一つである絞め技。しりもち状態の相手の後ろに立ち、右足で相手右腕をロック、右腕下腕部の手首付近の骨の硬い部分で相手顔面の頬のツボや鼻のあたりをこすり上げるようにロック、左手で補佐しながら力強く締め上げる。現在では中盤で相手のスタミナを奪う繋ぎ技となってしまっているが、かつてはジャンボ鶴田から日本人初のギブアップを奪った決め技であった。
三沢がまだ全日本所属だった時代にこの技を初めて喰らった渕正信が「三沢のフェイスロックは苦しいとかじゃなく、とにかく痛いんだよ。とても耐えられるもんじゃない」とその技の効果についてコメントしている。
リバースネルソン・デスロック
フロントからのインディアンデスロック(リバース・インディアンデスロック)を極めた状態でリバースフルネルソンを仕掛ける。タイガーマスク時代から使用していたが、95年チャンピオンカーニバルで前年にフランケンシュタイナーで首を負傷させられたD・ファーナスとの開幕戦でファーナスの力を封じ込めるために久々に公開しギブアップを奪っている。また同シリーズで、川田に顔面骨折をさせられた2日後の秋山準戦ではスタンディング式でギブアップを奪った。この後にもノアの旗揚げ戦(秋山・小橋vs三沢・田上 60分3本勝負)で1本目にフロントネックロックで失神させられた三沢が2本目に秋山にこの技を出している。
キャメルクラッチ
三沢の場合入り方に特徴があって、うつぶせ状態の相手の背中に自分が前転し、そのままこの技に入る。
フェイスロックと合わせて使う場合が多い

[編集] 返し技

受身の天才と称される三沢は、その一方で相手の技のタイミング、試合の流れを瞬時に読むことに天才的な能力を持っていて、時として素晴らしい技の切り返し方をすることがある。最近はあまり見られなくなった(年齢によるものが大きいと思われる)が、全日本プロレス時代には度々見ることが出来た。プロレスゲームでもこれらの切り返しが収録されているものもある。
今まで行った切り返しは主に以下のとおりである。

  • 相手がフォールにきた瞬間の狙ってブリッジで体を反転し逆に自分が上の体勢になってフォール。元はアマレスの動きであり、これでジャンボ鶴田から初フォールを奪った。
  • 秋山準のエクスプロイダーを側転で返す。
  • 田上明のエプロンからの断崖式のノド輪落としをバック転で切り返す。
ウラカンラナ
飛びつき後方回転エビ固め。特にパワーボム系の技を喰らいそうになったときに有効な返し技。また足の位置によってはヘッドシザース・ホイップに切り替えて前方に投げるケースもある。
  • 初披露は全日本時代、対テリー・ゴディ戦。この技で3カウント勝利を収めている。全日本時代、川田のパワーボムを度々これで返していた。2005年7月18日に行われた東京ドームメインでの川田利明戦で久々に繰り出す。2005年9月18日の力皇戦では、花道断崖パワーボムを両足で着地する形で返す。
  • 垂直落下式パワーボムの体勢から反動をつけて2段式ウラカン・ラナで返す。
回転十字固め
両手足をそれぞれ相手の左右の腕にからみつけるように飛びつき、そのまま相手を後ろに倒して両腕を極めたままエビ固めにフォールする。三沢がスタン・ハンセンとの対戦で、ラリアットをかわしてこの技の変形版(ハンセンを前に倒す)を使用してハンセンをフォールした。

[編集] リング上での特徴的な動き

  • リングイン時
入場から、リングの上に上がった際に、ロープの感触を確かめるかのように、2・3回背中からロープにもたれかかる。
  • ワイパー・アクション(指ワイパー)
試合中に汗をかいてくると、大体の選手は腕か手で顔の汗をぬぐうものだが、三沢の場合は指を使って、器用に左右に弾き飛ばす。車のワイパーの動きにそっくりな事からこの名が付いた。純粋に汗を弾き飛ばすだけでなく、相手への挑発行為としても使われる時がある。
また、あまりにそのしぐさが特徴的であるため、モノマネ芸人のイジリー岡田が三沢のマネをする際は、大体この動きが見られる。

[編集] 主な獲得タイトル

  • GHCヘビー…初代(防衛1回)、第5代(防衛1回)、第11代(現王者)
  • GHCタッグ…第2代(防衛0回)、第8代(防衛7回、現在最多) パートナーはいずれも小川良成
  • 三冠ヘビー級王座…第10代(防衛7回)、第14代(防衛4回)、第17代(防衛8回)、第20代(防衛0回)、第23代(防衛2回)
  • 世界タッグ王座
    • 第17代(防衛1回)、第20代(防衛0回)…パートナーは川田利明
    • 第24代(防衛2回)、第25代(防衛2回)…パートナーは小橋健太
    • 第29代(防衛2回)…パートナーは秋山準
    • 第39代(防衛0回)…パートナーは小川良成。このときアジア・タッグ王座も同時に獲得。
  • アジアタッグ王座
    • 第51代(防衛1回)…二代目タイガーマスク時代に獲得。パートナーは小橋健太
    • 第67代(防衛0回)…パートナーは小川良成。防衛戦を行わず王座返上。
  • PWF認定世界タッグ…第3代王者(防衛0回)。パートナーはジャンボ鶴田
  • NWAインターナショナル・ジュニアヘビー…第17代王者(防衛1回)。ヘビー級転向のために王座を返上。
  • プロレス大賞
    • 1982年 新人賞
    • 1985年 敢闘賞
    • 1990年 殊勲賞
    • 1991年 最優秀タッグチーム…パートナーは川田利明
    • 1992年 特別大賞
    • 1993年 最優秀タッグチーム…パートナーは小橋健太
    • 1994年 最優秀タッグチーム…パートナーは小橋健太
    • 1995年 年間最高試合賞…川田利明 田上明 vs 三沢光晴 小橋健太
    • 1997年 殊勲賞、年間最高試合賞…対戦相手は小橋健太 ダブル受賞
    • 1998年 年間最高試合賞…対戦相手は小橋健太
    • 2003年 年間最高試合賞…対戦相手は小橋建太

[編集] エピソード、語録等

  • 非常にフランクな口調で話す。口癖は「ハッキリ言って」「俺的には」「アレだね」「ぶっちゃけ」で、モノマネのネタになる事も多い。
  • 元来礼儀を重んじる性格の上に「プロレスラーもリングを降りれば常識人でなければならない」というジャイアント馬場の教えを受けた人間であるため、筋の通らないことをする人間に対しては非常に厳しい対応をする。
  • 事前交渉もなくファンに見えるところでまずぶち上げるマスコミ・マイクアピール主導の交渉・やり取りが大嫌いである。しかし、新日本プロレスを離脱したばかりの橋本真也にその嫌いな手法で対戦要求をされ続け、2001年1月の三沢&小川対橋本&アレクサンダー大塚戦で敗戦した橋本の「次はシングルだな!」の言葉に、「橋本!次があんのか、この野郎」と勝利者インタビューを除きリング上で初めてマイクアピール合戦を行った。その後の対戦でも「お前らの思い通りにはさせねえよ! 絶対!」という言葉も残している。その後タッグマッチで橋本と対戦することはあったものの、シングルマッチで対戦することはついに一度も無かった。
  • 2002年、ZERO-ONEにおけるマーク・ケアー招聘問題で起こった猪木と橋本真也の絶縁問題と、当時猪木軍傘下にあった選手が猪木の命を受けZERO-ONEから撤退してしまった騒動で、「現場に出てない人間の言う事に従うのは考えなきゃいけない」と名前こそ出さなかったものの、暗に猪木を批判した。また、この時猪木に追従したバトラーツ勢に対しての「出ると言ったものはケツを拭け」という発言からも分かるように、筋の曲がった事を極端に嫌う性格でもある。三沢はこの時ZERO-ONEに数名選手を派遣した。
  • 全日本プロレス時代、ジャパンプロレスが参戦した時期のある地方興行で、ジャパンプロレス所属の先輩選手から「地方だから手を抜いていいよな?」と持ちかけられた。この発言に怒った三沢は、当時パートナーだった川田利明に「川田、やるぞ」と小声で呟き、その日の興行で、先輩選手にセメントマッチを仕掛け(受身が取りにくい技を意図的に連発)、徹底的に痛めつけて圧勝した。当時の三沢は、地方でも手を抜かないファイトスタイルでファンから高い評価を得ている。
  • 個人的な欲では動かず、地道な活動を身上としている。自団体だけでなく、常にプロレス界全体のことを考えて行動している為、筋を当して交渉してきた団体、選手には理解を示し、他団体の大きな興行がある時には、時として自ら出向き夢のビッグマッチを実現させている。また義理人情に熱く、困っている選手や団体に恩讐を越えて手を貸したりする場面も見られる。
  • ノアを立ち上げて全日本から分裂する際、既に契約のあった興業をキャンセルすることをせずに出場した。曰く「要請がなくても出るつもりだった。全日本さんより、興行主の方に申し訳ないですから
  • 「理不尽大王」として活躍していた冬木弘道が突如三沢を標的にしてきた時、当初は対戦を避け続けたが、最終的には全日本時代に仲の良かった冬木の熱意(三沢を乗せたバスを走って追いかける、事務所までマラソンをする等)に応じて2002年4月7日にシングルマッチを行った。その翌日、病院の検査で冬木が大腸癌に侵されていた事が発覚。FMWが崩壊し、新団体WEWの旗揚げにも至っておらず基盤を持たない冬木の為に三沢はディファ有明の空いていた4月14日をすぐに確保し、ノア主導で冬木の引退記念興行を打った。そして、その収益の全てを冬木に贈ったそうである。後に三沢はこの事について「別に深い意味はないですよ。冬木さんは大切な友達だからですよ」と述べている。
  • 2001年2月、当時ノア所属選手だった高山善廣が総合格闘技(PRIDE)に進出する際、高山が準備期間が欲しいため退団を申し入れた。この時三沢は「別に準備期間が欲しいならうちの所属でも構わない。その期間は欠場してもいい」「プロレスをまだ続けたいなら、いつでも帰ってきていいよ」と語り(高山が自書にて告白)相手を思いやる社長ぶりを見せた。その為高山選手も他団体に比べるとメインでの活躍が少ないにも関わらず義理を重んじノアのリングに上がり続けたり、休養中もゲスト解説としてノアとの関係を良好に継続している。復帰戦をノアで行ったのも三沢の人柄によるところが大きかったと思われる。
  • 全日本時代の日本武道館5大シングルマッチで川田の代役として2連戦を戦った時の試合後のコメントに責任感の強さを見てとれる。
「相手を舐めた覚えはないしプロレスに対してだってそう。それを知った上で、あえて自分で2試合やったんだよ」
「あの時点で誰かに『お前やれ』とは言えない。格闘技は精神的なものが左右するから。それだったら、自分が企画したわけだし、2試合とも勝つのはちょっと無理かもしれないけど、自分の限界がどれくらいか知りたい部分もあったしね」
  • 思慮深く礼儀正しい蝶野正洋とはお互い団体所属の一選手でしかない時代に、とある雑誌の対談で会って以来、意気投合。まだ全日本と新日本のライバル関係が色濃く残っていた時にもかかわらず、「もう、猪木さんや馬場さんの時代じゃない。オレらの世代が自分で動いてプロレス界をなんとかしなきゃいけない」という蝶野の言葉に、「今は難しいかもしれないけど、いつかお互いが責任を取れる立場になったら蝶野選手とだったら協力できる」と返している。その約束を果たす意味で実現させたのが、後の新日本との交流戦である。そこでは一騎討ちを行なったが、後のドリームタッグ結成の時はベビー(三沢)とヒール(蝶野)の立場を超えて初タッグとは思えない巧みな連携を見せた。またノア初のドーム大会において個人的に三沢を訪れ対戦要求の挨拶を行なった小島聡の誠実さを気に入り一騎打ちを実現させるすべく、分裂以降絶縁状態でもう上がる事は無いだろうと言われていた全日本リングに、7月18日両国国技館で再び足を踏み入れた。
  • 徹底的に相手の技を受けて、相手を光らせた上で自分が勝つという、俗に言われる王道プロレスで育ったため、相手を光らせることなく一方的に試合を終わらるハイスパートレスリングというファイトスタイルを行なう選手はあまり評価していない。特に長州力にはジャパンプロレスの一員として全日本プロレスに参戦した頃、一方的に試合を終わらされたことがきっかけであまり良く思っていない。また橋本真也との遭遇が短期間に終了したのも同じ原因との節もあるが、実際は一度フォールをとらせてもらってる借りがある関係上、次に対戦するときは負け役を頼まれる可能性が高いため、白星乞食の異名どおりそれを嫌ったものと思われる。
  • 1億人の大質問!?笑ってコラえて!』で、「幼稚園児に民話『おおきなかぶ』のエピソードを実体験してもらおう」という企画が行われた際、幼稚園児と綱引きする「かぶ」の役として三沢が登場。いつもの緑のリングコスチュームに加えて「かぶ」のかぶりものを頭に装着し、満更でもないような笑顔を見せ、最後はよってたかって綱を引く幼稚園児たちの力に負けて、地面にひきずられてしまう三沢の姿がゴールデンタイムに放映された。全日本所属選手がバラエティ番組に登場するようになった最初期だったということもあり、この企画はファンの間でしばらく語り草となり、三沢を「かぶ」と呼称する事も流行した。なお、この被り物は本来、小橋健太が行うはずだったが、当日高熱を出してしまったため三沢が代役で出演した。
  • 真面目な印象が強いが、ノア旗揚げ前後からはユーモラスな面も見せている。積極的にテレビ出演を始めた当初は、寡黙なキャラを守っていたが、次第にテレビ慣れしてきたのか「(小橋と組んで負けた試合の感想を問われ)小橋には、先にイッチャッテごめんね、という気持ちです」「俺おっぱい星人じゃないから」「ぴこぴこぴーん(男性のシンボルが元気になった時の三沢独特の擬音表現)」「(他団体の)プロレスのビデオ見るくらいならアダルトビデオ見たほうがいいよ」などの下ネタ関係の発言を連発。全日本所属時代に大学の学園祭に何度も招聘されていたが、そこで行われたトークショーでは下ネタを連発していた過去がある。「踊る!さんま御殿」は下ネタ御法度であったが、大ウケし「今週の踊るヒット賞」を獲得、「エロ社長」の異名をとった。飯島愛からは「爽やかな下ネタ」と評された。三沢の下ネタは受けが良く、下ネタ発言を楽しみにするファンも多かったが、一方で「(寡黙で真面目な)イメージが崩れる」等の批判が上がっていたのも事実であり、その件で渉外部長の仲田龍から「バラエティ番組出演禁止令」が出され、出演を自粛している(しかし、後述のように日本テレビ系列の年末のスポーツ特番などには出演している)。
  • 年末のスポーツ特番で牛乳を口に含み、芸人のネタを見て吐き出すかというゲームがあった。他の出演者が次々と吐き出すなか、三沢だけ吐き出さないという快挙?を達成。なお、三沢はそのとき尋常ではない汗をかいており、実際には相当に苦しかったようである。
  • YouTubeに三沢が出演した回の『行列のできる法律相談所』の動画が投稿され、「寡黙な三沢」というイメージしか無い海外のファンは、そのギャップに驚愕したらしく「あの三沢が笑っている!」というコメントが多数寄せられていた。
  • 大変な悪声で音痴である。冬木弘道は漫画雑誌「漫画サンデー」に寄稿していたエッセイ「奸善超悪」にて「三沢はいいヤツなんだが、ひとつだけ困った面がある。それは歌だ。あまりの音痴な上に、マイクを握ったら離さない」と嘆いていた。三沢の歌声はザ・リーヴのCM「ムード歌謡編」で聞く事が出来る(ザ・リーヴのホームページで試聴可能)。
  • 2005年12月22日に発売されたXbox360用ソフト「レッスルキングダム」のイベントで、意外にもゲーム好きである事を明かしている。本人曰く「ゲーム、好きですね。Xbox 360、予約しましたよ。最初に買わないと手に入らなくなるかもしれないから、そのとき買わないと」と、かなりのゲーム好きな一面をのぞかせた。「レッスルキングダム」をプレイした感想については「やってておもしろいですね。やっているうちに手に汗をかいてきて、そのうち全身に汗をかいてきたのでやめましたが」とコメント。「ゲームは現実逃避でやるのがイイから」ということで、普段はシューティングとプロレスゲームはしない。
  • オタク関係に相当造詣が深い。ホビー専門誌で特撮ヒーローの人形収集の趣味がある事を明かしている。また、カラオケに行くと子供時代大好きだったマイナー特撮ヒーローの主題歌を歌い、誰も知らない為、周りの人間は少々困るらしい。また、何人かの若手は「遠征中、ドライブインに寄るたびに三沢社長にガシャポンをやりにいかされる」と暴露している。全日社長時、日テレの素顔がイイねっ!に出演し自宅を公開、子供の大きなポケモンの人形の他、かなり希少なファイナルファンタジーVIIグッズやその他のコレクションが乱雑に並べられていた。その他にもメディアワークス刊「電撃スパロボ」にてスーパーロボット大戦シリーズのファンであることが明かされている。また、相当な漫画好きでも知られている。単行本はあまり買わず、雑誌連載で追いかけるという。元付け人の丸藤は「三沢社長の付け人として最初に覚えることは、雑誌の発売日を覚えること」と語っている。
  • タイガーマスク時代はプレッシャーで相当苦悩していたようで、左膝の怪我で長期入院していた時は「もう、タイガーマスクじゃなくてもいいんじゃないかって本当に思ったよ」と後に語っている。
  • 同じくタイガーマスク時代、その跳躍力を買われていた三沢は、先輩レスラーに「お前なら走ってくる車を飛び越えられるだろう」と言われ、おもむろに車道へ出て、向かってくるタクシーを飛び越えたという驚くべきエピソードがある。
  • 鶴田越えを果たした後、上の世代とのタイトル戦においてなかなか勝てなかった三沢は1992年ハンセンの三冠タイトルに挑戦する際に「これでもし負けたら俺はもう三冠に挑戦する顔じゃない。最低でも1年は挑戦しない」と宣言。自分を追い込んだ上で勝利を飾り、これ以降2005年に力皇に挑戦して敗れるまで、実に13年もの間、シングルのタイトルマッチで自分が挑戦者として挑む時は勝率100%を誇っていた。
  • 1995年のチャンピオンカーニバルにおいて川田のキックを受け左眼窩骨折。一般人なら即手術で全3ヶ月という診断にもかかわらず試合に出続け、ついにその年のチャンピオンカーニバルを制して初優勝してしまった。いくら常人では考えられないタフさを持つプロレスラーといえど、これは異例である。また2年後のチャンピオンカーニバルでも試合中、右手薬指靭帯断裂、左膝蓋骨骨折の負傷を負いながらも優勝している。怪我があるときほど尋常でない集中力を発揮するタイプである。
  • 師である馬場が亡くなった事に端を発する全日本の混乱の際、苦悩のあまり「もう、プロレスを辞めようと考えていた。なんだか面倒くさいなぁ、と思って」とらしからぬ弱音をもらしたことがある。
  • 1993年の日本武道館大会での三沢対川田戦において、そのあまりに激しい攻防にテレビ解説していた馬場が「試合展開が高度すぎて、もう私にはわからない」と思わず漏らした。

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