利用者:彩雲館主人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本日は 2007年4月13日
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彩雲館主人(さいうんかんしゅじん)とは、2006年2月ごろから鉄道の分野を中心に編集に参加し、同年8月に利用者名を登録した人物である。詳細については以下のとおり。
- (ここから先は敬体になります)
目次 |
[編集] Who is 彩雲館主人?
神戸市西部の京阪神緩行線沿線で生まれ育ち、現在は京都市に住んでいる30代の地方公務員の男性で、身長・体重とも同年代の平均よりも高く・重い、典型的な大兵肥満型の体型です。昨今では体重と体脂肪率がかなり高くなってしまいましたので、極力体を動かすようにしています。
趣味は、子供のときから国鉄(JR)随一の高速通勤電車である京阪神緩行線と、セットで走る新快速・快速、そのライバルである山陽電車や阪急電車、阪神電車などの関西私鉄に見たり乗ったりしているうちに、すっかりレールファンになってしまいました。趣味の原点がこれらのインターバンだったために、今でもインターバンと、その原点である路面電車が鉄道趣味の中心です。
そして、レールファンであるとともにバスファンでもあります。興味を持ったきっかけは、子供のころに住んでいた家の裏が神戸市バスと山陽電鉄バスの回送ルートでいろんなバスが走っていたことと、1970~1980年代の両社局のバス路線に車掌が乗務する路線がまだ残存していたことから、前後ドア式のワンマンカーと前中ドア式のワンツーマンカーが混在していて、その形の違いに気づいたことから趣味の道に入っていきました。しかし、車両から興味を持った割にはシャーシの形式名とエンジンの形式名を覚えることを面倒くさがったために、車両はボディを見てメーカーを類推するくらいです。現在のバス趣味の中心は、路線(系統の変遷など)と乗ることで、乗るほうはローカルバスや都市近郊の怪しい路線をピックアップして(あるいは同好の士がセレクトしてくれた路線を)乗りに行ったりしています。
鉄道にしてもバスにしても、興味の中心はどちらかというと優等列車や高速バスなどより、日常生活に密着したインターバンや路面電車、路線バスにあります。また、都市交通政策については関心も深く、担当業務として携わったこともあります。
鉄道・バスといった交通に関する趣味が趣味のひとつの柱だとすると、もう一つの柱は歴史・地理です。歴史は日本史・中国史・朝鮮半島の歴史を中心とした東アジアの歴史を中心に、ヨーロッパ史も含めて歴史一般に興味の輪が広がっています。また、最近では文化人類学や民俗学への関心も高いです。地理についてはもともと地形図をはじめとした地図を見るのが好きなほか、地誌をはじめ地名や気候、植生など関連する分野を含めて、専門的ではないですがその分広く浅く関心を持っています。
歴史の分野に政治や軍事がくっついてくるのと、小学生時代に父親が図書館でよく借りていた軍艦や軍用機の本をはじめ、自らの乏しい小遣いを工面して買っていた軍艦の写真集を、父親がいないときに読んだり見たりしていた関係で、ミリタリー物にも興味があります。しかし、興味の分野は朝鮮戦争あたりまでで、現用兵器についてはあまり関心がありません。
他の趣味としてはスポーツ観戦があります。プロ野球では、大阪近鉄バファローズのファンだったので、球団消滅後はどうもよその球団を応援する気にならない状態が続いています。Jリーグでは、長居公園陸上競技場の近所に住む友人に誘われてセレッソ大阪の試合をよく見に行くようになったことと、地元の京都パープルサンガの試合を見に行く機会が増えたので、両チームにはまってしまいました。両チームともども残念ながら2006年のシーズンはJ2降格という試練の年となりましたが、来年中にはぜひJ1に復帰してもらいたいものです。
[編集] 名前の由来
彩雲館主人というハンドルネーム&ペンネームの由来を御紹介します。
ひとつは、李白の『早発白帝城』の起句である、「朝辞白帝彩雲間」から、フィーリングで選んだのと、もうひとつは太平洋戦争後期の日本海軍の艦上偵察機であった彩雲にあやかって、「どんなところにもすっ飛んでいって、しっかり状況を確認し、情報を収集して帰ってくる」というところから選びました。しかし、後者の由来は、飛行機の好きな人からこのようにからかわれました(仮にAさんとしておきます)。
- A「彩雲ねぇ、君の図体なら爆撃機だろう?」
- 彩「爆撃機言うても双発機やなくて4発の重爆でしょうね」
- A「それもB-24 リベレーターぐらいかな」
- 彩「コンソリ(B-24リベレーター)みたいな空飛ぶクジラより、アブロ・ランカスターのほうがいいですね」
ミリタリー物(中でも軍用機)の好きな人には、これで体型がばれてしまいそうですね。
[編集] 記事を書くとき
記事を書くときは、当たり前の話ですが、参考文献をきっちり押さえて書くようにしています。また、資料はきちんと読みこなして、自らのことばに咀嚼したうえで記事を作成して投稿することを心がけています。
そのために、記事を書いているときは、カワウソが捕らえた魚を食べる前に岸にならべる習性があるように、パソコンの周りに資料が散乱する状態となってしまいます。そういえば、晩唐の詩人の李商隠は、詩を作る際に故事来歴を引用するために多くの書物を机の周囲にならべたことから、『獺祭魚』というあだ名をつけられていたそうですし、正岡子規もペンネームのひとつが、『獺祭書屋主人』であったことが知られています。私も、二人のような文学史上の傑物ではありませんが、執筆者のはしくれとして、これからも参考文献をきっちりと読みこなして記事を書いていきたいと思います。
[編集] 好きなものあれこれ
趣味や日常生活のうえで好きなものを挙げてみたいと思います。
[編集] 好きな鉄道車両
- どちらの形式も日本では根付かなかった重パシフィック旅客機ですが、全盛期の写真を見ていると重量感と機械美が感じられます。重軸重の両形式が入線できる線区がC53の場合は東海道・山陽本線と呉線くらいに限られ(丹那トンネル開業前は現在の御殿場線にも入線していましたが)、C59でも前述の線区にプラスして東北本線は仙台まで、鹿児島本線は熊本までしか入れなかったことも、「幹線用の急客機」という魅力をかきたててくれます。
- EH10は子供のときに引退した機関車ですが、他のEF60、EF65一般型が新型直流機一般色なのに対して、2車体連結で黒一色に黄色の細帯といういでたちのEH10が、京阪神地区を走る電気機関車の中で最古参にもかかわらず、一番かっこよく見えて非常に気になる機関車でした。また、EF61は、私が子供のころに持っていた、「荷物列車の機関車=EF58」という固定観念を打ち破ってくれた衝撃的な機関車で、スマートで優美なイメージが今でも強く残っています。「悲運の新型直流旅客機」と紹介されることが多いですが、一度EF61が牽引する列車に乗ってみたかったですね。
- EF64(1000番台)は、左右非対称の側面とジャンパ栓がたくさん付いた精悍なフロントマスクが魅力です。京阪神ではなかなか見られない機関車で、東京出張の際に見かけたりするとついつい写真を撮ってしまいます。
- EF65(F形、PF形)は子供のときから好きな機関車で、精悍さに加えてスマートさも兼ね備えたところが大変魅力的です。1970年代前半に下関運転所配属のPF形が関西ブルートレインを牽引する写真を見て、「早くEF58から変わってくれないかな(今思うと贅沢な話ですね)」と思ったものです。F形やPF形が重連で高速貨物列車を牽引するシーンは大変勇壮なものがありますし、ブルートレイン牽引機として長年君臨したキャリアは伊達ではありません。
- EF81は電化区間で軸重制限をクリアーしていたらどこでも走れる万能ぶりが魅力的です。性能面では?なところもありますが、それを差し引いてもいい機関車ですね。
個人的に文鎮の親戚のような国鉄制式機(DD51やDE10など)に比べると箱型機のほうが好きなので、これらの形式をついついひいきしてしまいます(その延長線上ではDF200なんかも好きですね)。中でもDD54は人によって「悲運の名機」か「単なる失敗作のダメ機関車」と評価が分かれますが、私はDD54の経歴に、時代を先取りして挫折した悲哀感を感じてしまいます。